『ひらがな日本美術史』は全7巻の作品であり、1巻は1995年に刊行されている。最終となる7巻目は今年(2008年)出た。『芸術新潮』に連載された原稿がもとになっているのだが、足かけ13年。息の長いシリーズであった。

1冊3000円以上の大型本、しかも「美術史」などというタイトルに恐れをなして購入できず、これまで手に取らないままに来た。

それが急に「読んでみようかな」という気になったのは、『江戸にフランス革命を!』の浮世絵のくだりが面白くて、「美術オンチでも大丈夫かもしれない」と思ったことと、『最後の「ああでもなくこうでもなく」』に書かれていたこんなくだり。

……と引用するつもりだったのだが、目当ての文章がどこに書いてあるのかが探せない……。ううう。

確か、「日本についてちゃんと知りたい。あまりにもみんな日本のことを知らなすぎるから、それをちゃんとやりたい」というようなことが書いてあったと思うのだけど、違うかもしれない。

ともかく、「読んでみなきゃ」と思う何事かが書いてあったのだ。

それで、図書館で借りてきた。

1巻目の表紙は、愛らしい埴輪。その埴輪に関する論考から、東大寺南大門に至るまでの21本のお話が入っていて、扱われているのはおおむね弥生時代から鎌倉時代まで。

出て来る美術作品は、埴輪に銅鐸、法隆寺の釈迦三尊像に中宮時の菩薩様、源氏物語絵巻や平等院鳳凰堂、運慶の無著菩薩・世親菩薩立像などなど。

「美術」という時間が苦手で(絵の才能も造形の才能もなかったから)、「美術史」やら「芸術新潮」などと言われるととても敷居の高いもののように思われるけれど、ここに出てくる「美術品」は、「それなら知ってる!」というようなものばかり。

正直、な~んだ、と思ってしまった(笑)。

2巻目以降がどうなるかはわからないけど、1巻目に出てくるのは中学や高校の美術か日本史の教科書で必ず見るような絵巻物だったり、京都や奈良のお寺や仏像。

お寺めぐりがけっこう好きで、高校から大学にかけて、母親と一緒にやたらに京都に出かけていた私には、親しみのある対象だ。

「これなら知ってるし、好きだ」と思って読み始めたら、さすが橋本さん、とっても面白い。

この時期(弥生~鎌倉時代)の「美術品」というのは、基本的に「個人的」な作品ではない。彫刻はほとんど仏像しかないし、「建築美術」はお寺しかないし、かろうじて絵画には「源氏物語」だったり「餓鬼草紙」だったりがあるけれども、やっぱり庶民には関係なくて、天皇やら金持ちの貴族が作らせた、「作らせた人のための作品」で、「作者の作品」ではほとんどない。

作者の個性とか意志とかよりも、その時代の風潮や思想を表現するものになっている。

だから、「美術史」をたどれば、「日本史」がわかってしまう。

仏教が入ってきて、それまで「神像」というものがなかった日本に、「仏像」という彫刻が生まれ、鎌倉時代の後、「彫刻」は美術史から消える。

それは仏教が民衆のものになって、お金持ちの、美術品を作れる立場にある人たちが、違うものにお金をかけ始めたからだ。

「いやなことを言ってしまえば、美術史とは金持ちの贅沢の跡を辿る行為である」(P210)

わはは。

美術品をモチーフに、語られるのはその時代の日本人の心理や政治状況だったりして、「なるほど日本がよくわかる」。

しかも、大判カラーの美術品の写真は見て楽しい。

1巻で取り上げられてる作品で私が前から大好きだったのは中宮寺の菩薩様なのだけれど。
(←母と仏閣めぐりをしていた頃に買ったテレホンカードの菩薩様。

このカードには「国宝・如意輪観世音菩薩」と記されているが、本書では「弥勒菩薩像」と書かれていたりする。

実はこの仏像は、どういう仏様の像なのかよくわからないらしい。いつ作られたのか、作者が誰かも不明なのだとか)

この菩薩様を見ていると、まったく飽きない。

1時間でも2時間でも「ほぉ~」と見惚けていられるなぁ、と思うのだけれど、私はこの菩薩様を、なんとなく「女性」のように感じていた。だってとても穏やかで、たおやかで、優美なんだもん。

橋本さんによるとこの像は、「穏やかな精神性を表現する為に作られた少年の肉体を持つ仏像」なのだそうだ。

ああ、なるほど。

言われてみれば「そうか」とも思うが、言われてみないと全然わからない。

いつもながら、「なんでこんなにちゃんと説明ができるんだろう」と思って橋本さんのすごさに感嘆してしまう。

私なんて、「好きか嫌いか」しか言えない。

なんで好きなんだろう?と考えても、「穏やかでたおやかで、こっちまで安らげるような気がするから」ぐらいしか言葉にならない。

「他にはない、類を絶する仏像」と言われれば「あ、そうか」なんだけど、そもそも「仏像」だと思って見てない気もするし、「好きだ」「きれい」だけでぼーっと眺めているだけのような。

自分の感じていることを、もっとちゃんと言葉にできればいいのにな。

それから。

この本で初めてじっくりと見た(と思われる)運慶の「無著菩薩・世親菩薩立像」。

これは、びっくりした。

ネットで画像検索すればすぐ出てくるから是非見てほしいけれども、「え!?」と思うようなすごさだ。

インドの兄弟僧をモチーフにした一対の仏像なんだけれども、「これ、仏像じゃないでしょ?」という、とんでもない表情をしている。

「ぼさつ」は「ぼさつ」でも、「仏」の一類である「菩薩」ではなく、「高僧」という意味での「ぼさつ像」で、「人間の像」である。

それも、「深い人間的な悲しみをたたえた二人の老僧の像」

写真を見ているだけでも心に迫ってくる。

「うわ……」と感動してしまう。

なんでこんなものが表現できるんだろう。

すごいとしか言いようがない。

またこの像に関する「人として共感出来るもの」という文章が素敵で、なんかうるうるしてしまった。

「仏よりも人を刻みたい」と思ったのであろう運慶という人。

「民衆がじかに仏を感じ、仏にすがることを許されたその時代に、『仏よりも人を信じようとしていた仏師』がいた」(P202)

800年も昔の人と、友達になれるような気がして、嬉しい。

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