2巻目は、運慶作の「八大童子立像」から「洛中洛外図屏風」まで。

時代的には鎌倉から室町の終わりぐらいまでかな。

室町時代の後半はもう戦国時代で、狩野派の祖、狩野正信の「山水図」なんかも取り上げられています。

1巻は「わ~、これなら知ってる」だったけど、2巻に入ると「へ~、初めて見た」ってものが多数。

でも藤原定家の「小倉百人一首」のもと(直筆色紙)とか、昔の歴史の教科書には必ずと言っていいほど載っていた「伝源頼朝像」とか(これは実は頼朝の像ではないという説が有力らしい。何だったんだ、私らが覚えさせられたあの授業は)、金閣寺とか龍安寺石庭とか、知ってるのもちゃんとあった。

枯山水の庭、大好きだ。

去年のお正月には建仁寺の庭で息子と二人ほっこりしてしまった。ちょうどよく陽が射して、ぽかぽかして、縁側に座って眺めてると全然飽きなくて、ぼーっとできて、すごく落ちつく。

息子も「うちにもこんな庭あったらええのになぁ」と言っていた。

橋本さんによると、「石庭」というのは、「生け花のように石を生けたもの」なのだそうだ。

ちょうど「生け花」というものが生まれた時期に、枯山水の庭も登場してきたらしい。

なんだか難解なように見えるけれども、「この石きれいだから庭に生けよう」という発想で生まれたものなんだろうと。

だから、あんまり深く考えずに、「きれいだなぁ」と思っていればいい。

うん。ほんと、きれいだよねぇ。「海」を模して鋤かれた白砂に、岩。


この、2巻に取り上げられた時代、いわゆる「中世」というのは、日本の「いわゆる伝統」というものが形作られた時期であるらしい。

「生け花」とか「茶の湯」とか、えーっと、色々(笑)。あ、「床の間」とか。

だから、全然見たこともない絵の話の時でも、「話」はわかる。「へぇ、そうなんだ」と思えてとっても面白い。

それに、『双調平家物語』を先に読んどいて良かったな、って。

たとえばこの巻で取り上げられてる「平治物語絵巻」。『双調』読んでなかったら人物名とかよくわかんなかったろうし、「ピンとこない」ことが多かったと思うんだよね。

『双調』は平家が滅びるところまでだから、鎌倉時代になっちゃうともう「日本史の教科書」的知識しかないんだけど、鎌倉のはじめまでの「日本の流れ」は頭に入ってるから、「その後」も理解がしやすい。

『ひらがな日本美術史』を今まで手に取らなかったのは、「1冊が高いから」といういたってしょーもない(そして非常に切実な)理由だったんだけど、きっと『双調』が終わってから読んだ方がわかりやすかったからなんだな、と今は思う。

そーゆーのって、絶対ある。

出会うべき時に、出会うべきものに、出会う。

ま、こじつけなんだけどね(笑)。

でもそーゆーふうに思える出来事に出会えると、嬉しい。


2巻で特に気に入った作品は、「動き出そうとするもの――日月山水図屏風」と「意外とメルヘンなもの――黙庵筆『四睡図』」。

「日月山水図屏風」のところに、この間も引用した、『“流れている時間を描く”は日本の絵画の常識』という言葉が出てくるのだ。

『“流れている時間”などという描きようもないものが一つの固定された画面の中に描かれてしまうものだったら、“流れ出す大地”が描かれていたって別に不思議ではないじゃないかと、私は思う』(P133-134)


「流れている時間を描く」日本人。「流れ出す大地」を描き、「世界が崩壊したっていいじゃないか、きっと穏やかな安らぎはやってくる」ということを語ってくれる日本の絵。

すてきだ。

「四睡図」を描いた黙庵という人は、中国に渡ってその地で水墨画家として大変高い評価を受けた人らしい。確かにその絵は、なんだかとっても穏やかで可愛くて、すぅーっと心に入ってくる感じがする。

私は日本の普通の「山水水墨画」っていうのもけっこう好きなんだけど、「ああ、こーゆータイプの水墨画っていうのもあるんだ」って思った。

雪舟より以前、14世紀の前半。こんなすてきな絵を、本場中国で描いてた日本人がいたんだね。

今、もう3巻目に突入してて、3巻にもかっこいいもの、すごいものがいっぱいあって、これ読んでると素直に「日本っていいな」って思える。

こんな豊かな、大化の改新から数えても1500年近い歴史のある日本。ちゃんと知りさえすれば、「日本っていいな」は素直に思える。ここ100年ぐらいの短い時間に縛られる必要なんてないのにな。


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