角川新訳版エラリー最後の1冊『中途の家』を読んでしまうのがもったいないので色々寄り道。

でもあくまで最近のものは読まずレトロに徹するということでハメットを。

ハメットといえば『マルタの鷹』ですけども、他の作品も面白いのですよ。これまでに

『血の収穫』
『コンチネンタル・オプの事件簿』
『デイン家の呪い』
『影なき男』
『ガラスの鍵』

と読んできて、まだ読んでいなかったこの『ブラッド・マネー』(国書刊行会版では『血の報酬』というタイトル)。

ハメットは長編を5つしか書いていなくて(私がこれまでに読んできたうち『コンチネンタル・オプの事件簿』以外の作品)、5つそれぞれ趣が異なっていて、まったく違う面白さが楽しめるんですが、この『ブラッド・マネー』は「6つめの長編」。

「6つめ」と言っても書かれた時期は一番早くて、「これこそがはじめての長編デビュー作という意気ごみをもって書いた曰くつきの作品」なのだそう。(訳者あとがきより)

連作中編という形の作品で長編というには短いのですけど(文庫で170ページ)、解決かと思われた事件に裏があり、最後にもう一つどんでん返し的な趣向があって、主人公「名無しのオプ」の非情さも心憎く、なるほど「『血の収穫』を書くための「助走」」(これも訳者小鷹さんのあとがきから)だったのだなぁと頷ける作品。

そう、あの、「通った後には死体が累々」「ぺんぺん草も生えない」ということで有名なコンチネンタル探偵社のオプ(探偵)、名前もわからない「おれ」が今回も主人公。

『血の収穫』『デイン家の呪い』という2つの長編といくつもの短編で活躍する彼、デビュー作でももちろん「死屍累々」です。文庫本の裏表紙に「狂騒的な地獄絵図のよう」などと書かれちゃってます。

うん、でも、それほどには思わなかったよ?(笑)

確かに「名うてのならず者達が100人単位で集まってきて同時多発銀行襲撃をやってのけ、分け前をピンハネするために首謀者は参加したならず者達をバンバン殺し、最後の決着シーンでも見事にあいつもこいつも死ぬ」展開なんだけど、ここまで来るとかえって爽快というか。

まぁ、通りすがりの一般市民がどんどん殺されるとかじゃないからね。

「自分や家族も犠牲になるかも」みたいなシリアルキラーなサスペンスとは違って、ある意味自業自得な悪党どもの殺し合いだし、「おれ」の一人称の語り口が淡々と乾いたもので、読んでてしんどくない。

私にはウールリッチのあのサスペンスの方がよほど心臓に悪いです。

40がらみの「チビでデブ」、見た目は決して男前ではないらしい「おれ」、しかしその探偵としての腕前は見事で、頭もよく回るし、「え?そんなあぶないことしちゃうの?バレたらただじゃ済まないよ?」と思うことを平然とやり、自分のやり口が「悪党と同じ」ってことをちゃんと自覚してる。

あぶ刑事よりあぶないよね、ほんと。

「おれ」の上司でコンチネンタル探偵社の社長らしい「おやじ」のキャラクターもなかなか良くて、二人のやりとりに味がある。

でもこれ、今回の事件とか、特に依頼人がいるわけでもなかったんだけど、探偵社はどこからお金をもらってるんだろう。警察から? 途中でならず者の親玉に賞金がかけられるけど、「コンチネンタル探偵社は賞金には手をつけない」って言ってるし。

命がけの調査の報酬はどこから出てるんだろう。そして探偵たちの――とりわけ「おれ」の、この危険を怖れぬ行動力を支えるのは何なんだろう。物語の後半は、前半の最後で「いっぱい食わされた」ことに対する反撃ではあったんだけど。

ハメット自身が実際に探偵として働いていて、その時の実体験をもとに「コンチネンタル・オプ」物が書かれているんだけど、アメリカの探偵ってほんとにこんな感じなのかなぁ。すごいよなぁ(しみじみ)。

『ブラッド・マネー』の他に短編6編も収められていますが、うーん、短編はそんなに面白くなかった(^^;)

『ならず者の妻』は興味深かったけど。

ならず者の妻マーガレットは

絶対にイヤよ。決まった時間に食事と眠りに帰ってくるような、飼いならされた、家庭に縛られた男を夫に持つなんて。 (P217)

なんて言って、「あんな悪党を夫に持って」と同情するふりをする周囲の奥さん連中に向かって、「扱いやすいペットの亭主どもを飼っているだけじゃないの」と悪態をつく。

まぁね。地味で平凡な男よりちょっとワルな男に憧れる時期ってあるけどね。

ワルだけどいい男、ワルだけどいい恋人(とか夫)なんていうのはまぁ、現実にはそうそうお目にかからないものなんで……。

「ただのペットじゃない勇猛な男の妻である」というマーガレットの誇りがとある出来事によって崩れていくのが面白かったです。



ウールリッチと同じく、作家として精力的に活動した時期は長くなく、結核を患っていたこともあり晩年は不遇だったらしいハメット。(ウールリッチは1903年生で1968年没、ハメットは1894年生の1961年没で、おおむね同時代人だし、60半ばで亡くなっているのも同じです)

作風は真逆なんだけど、孤独な感じとか、文体(語り口)が命っぽいところとか、通じるところがあるような。

『赤い収穫』をもう一回読み返したくなりました。