これでハメットの長編は全部読んだことになるわけですが。

『デイン家の呪い』の解説で、訳者の小鷹さんが「これではっきりしたのは、ハメットがまったく趣きも、狙いも、おもしろ味も異なる五つの長編小説を物した作家だったということだ」と書いてらっしゃるのですが、いや、本当にすべて風合いが違って、しかもすべて面白いんだから、すごいです、ハメット。

どうしても、この間読んだばかりの『影なき男』と比較してしまうのですが、『ガラスの鍵』は『影なき男』に比べると少々とっつきにくくて、最初はなかなか人物関係や「展開のしかた」が飲み込めませんでした。

登場人物の心情を直接は書いてくれてなくて、セリフと「表情」「しぐさ」だけで読み取らなきゃいけない。

場面の描写も同じで、「誰々に電話をかけた」ではなく、「ある番号に電話をかけた」というふうに表現される。

「誰々の家の前にいた」ではなくて、建物の外観の描写のみだったり。

なんていうんだろ。

小説なんだけど、与えられる情報はまず視覚から入る感じで、映像とか舞台を見ている雰囲気。

映画や舞台なら、登場人物が電話をかけている絵面がまず目に飛び込んでくるわけで、「誰に電話をかけているのか」は、その後に続く「やぁハリー」とかいうセリフでやっとわかる。

作品の中で、主人公のネド・ボーモンは何度も電話をかけるんだけど、読者にはネドのセリフしか開示されない。

「やぁハリー。……ああ、そうだ。……その点については俺も調べてみる。いや……うん、うん」みたいな(注:これは今勝手に作ったセリフで、作中の文章ではありません)

3人称で書かれていながら、視点は一貫してネドを追っていて、読者にはネドの行動からしか事件を追うことができない。

そしてネドの心情も、その言動、しぐさ・表情の描写からしかわからないようになっている。

もちろんそれだけ細かく、「主人公のネド・ボーモンが口ひげを親指の爪で梳く仕草ひとつにも数通りの方法があり、その梳き方によってそのときの彼の心理状態が描きわけられている」(小鷹さんの解説から)。

要は、親切じゃないのね。

読む方が一生懸命、ただ文章を追うだけでなく、描かれている情景を「読み取らなければ」ならない。

だから最初、ちょっととっつきにくかったんだけど、読み進むにつれて勘所がわかってくるというか、段々とその「格好良さ」が呑み込めてきて、気がつくと物語の中に引き込まれている。

ハメットおそるべし。

その、直接は心理を描写しない、でもちゃんと必要な描写はされているというスタイリッシュさ。

そしてもちろん主人公はかっこいい。

政治屋の食客である賭博師ネド・ボーモン。

「食客」なんて言葉、若い人にわかるのか、って気がするが。

【食客(しょっかく)】①客として待遇され、養われている人。②居候。(旺文社国語辞典より)

ネドを養っているのは建設会社経営で、「市政の黒幕」でもあるマドヴィッグ。この人が推す上院議員ヘンリーの息子の死体をネドが発見するところから物語は始まる。

折しも選挙前の重要な時期。

土建屋が選挙(市政)の黒幕、ってところがなんか、苦笑してしまう設定ですけども。

でも「黒幕」と言っても、マドヴィッグは決してヤな奴じゃないんだよね。少なくとも、いわゆるヤクザとかギャングとかって感じには描かれていない。警察とか地方検事に圧力かけてたりはするけど。

うーん、まぁ、アメリカの「街を牛耳ってる奴」ってのはこんなタイプなのかもしれないな。日本で思い浮かべる脂ぎったヤクザの親分というのとはだいぶ違うのかもしれない。

マドヴィッグの言動はけっこうスマートだし、ネドとの間には固い「信頼関係」「絆」があって、事件をきっかけに揺れ動く二人の「関係性」が、この作品の主題という気がする。

ハメットの作品はどれも「謎解き」自体がメインではなくて、主人公のスタイリッシュな生き様、タフさを描くことがメインで、だからこそ「ハードボイルドの始祖」と言われるんだろうけど、ホントになんか、今読むと「こんな男達はもはや絶滅危惧種ではないか」と思われるほどかっこよくて。

作中でもネドはモテモテやしなぁ。

マドヴィッグの母ちゃんにまでモテモテ。またこのお母さんがなかなか魅力的なんだ。

ハヤカワ文庫の背表紙には「非情な世界に生きる男たちを鮮烈に描くハードボイルドの雄編」と書いてあって、確かにそれは間違ってはいないんだけど、でもやっぱりそう言ってしまうと違和感あるというか、うーん。

「非情な世界に生きる男たちを鮮烈に描くハードボイルド」って、どんなイメージを思い浮かべます?

それはむしろ『赤い収穫』かなぁ。主人公が通り過ぎた後にはぺんぺん草一本も生えない、的な……。

『ガラスの鍵』は「非情」と言ってもドンパチやるわけじゃないし、一回ネドがこてんぱんにやられるとこもあるんだけど、むしろ心理戦が多い感じで。

マドヴィッグとネドの「絆」にひびが入っていく。それが、直接的な心理描写なしに、乾いた口調で描かれる。

まさに「文体がいのちの作家」なのだよなぁ。翻訳者の苦労がしのばれる。

とっつきやすさから言えば『影なき男』の方が上で、あちらは「ものすごくお洒落で粋な、肩の凝らないハードボイルド」。

こちらは「とことんスタイリッシュな、緊張感あるハードボイルド」。

積極的に「読み取る」ことを求められるから、ちょっと肩が凝る(笑)。

どっちも「面白い」んだけど、「面白さ」の質はずいぶん違って、『影なき男』は「楽しかった!これ、好き!」ときゃっきゃする感じ。『ガラスの鍵』は「やられたなぁ」と静かに唸る感じ。

これが、80年近くも前(1931年)の作品なのですよ。

ああ、まったく、ハメットおそるべし!


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『影なき男』/ダシール・ハメット

『デイン家の呪い』/ダシール・ハメット

『マルタの鷹』/ダシール・ハメット (ひゅうがの別サイト)

『血の収穫』/ダシール・ハメット (ひゅうがの別サイト。ハヤカワ版では『赤い収穫』)