そんなわけで昨日の続きです。

ディオクレティアヌスの「四頭政」で軍事機構と行政機構の両方が肥大化し、ローマ帝国の税金はとっても重くなりました。蛮族の襲撃を恐れなくてよいかわり、税吏の集金から逃げ回らなければならない時代の到来です。

ここで、塩野さんはローマ帝国の税制を振り返り、初代皇帝アウグストゥスのそれとディオクレティアヌス時代のそれを比較してくれます。

大変わかりやすいまとめ。

アウグストゥス税制:先に納税者あり。国家は、税収が許す範囲のことしか手がけない。

ディオクレティアヌス税制:先に国家あり。その国家に必要な経費が、税として納税者に課される。(文庫35巻P129)

アウグストゥスが実施した税制の基本方針は、「税率は低く抑え、しかしなるべく多くの人が払う制度にし、しかもその税率は変動なしで継続する」というものだった。

税収入が少なくても大丈夫なように、アウグストゥスは大規模な軍事力の削減を行っている。

ここの個所を読んでいると、改めてアウグストゥスってすごいなぁ、と感嘆してしまう。「アウグストゥスはカエサルのような天才ではなかった」と、塩野さんは繰り返し書いていらっしゃるんだけど、しかしやっぱりアウグストゥスという人はただ者ではなくて、歴史上にそう何度も生まれてくる人ではないと思う。

私には、カエサルよりアウグストゥスの方が魅力的。

アウグストゥスの樹立した「パクス・ロマーナ」は、軍事と税制を二本の柱にしたがゆえに安定し継続できたと私が考えるのも、これによっている。まったく、軍務も税務も、政治なのであった。税金をどう考えるかは、国政の根幹である。(文庫35巻P138)

アウグストゥス時代のローマに生きてみたかったな、という気が本当にする。政治家の皆さん、よく読んでください(笑)。

税金が低く抑えられたのには、軍隊を縮小しただけではなくて、ローマ人のもともとの習慣として、功成り名遂げた人物が社会に利益を還元していたことにも拠っている。

公会堂や浴場、そして道路も、裕福な人が自費で建設して、市民にプレゼントしてくれていたのだった。もちろん皇帝達も自費で色々造ってくれている。

昔の人――というか、古代ローマ人って、ホントにすごい。昨日も書いたけど、彼らの生き方を知るにつけ、「人間ってほんとに進化してるんだろうか?昔の人の方がよっぽど賢くて偉い」と思ってしまう。

皇帝が公共図書館を建てれば、元老院議員の一人は育英資金の財源になる不動産を寄附し、市民の一人は街道修復の際にその一部の区間の修復費を負担し、事業に成功して金持になった元奴隷は、故郷にある神殿の修復費を受けもつ、という具合である。(文庫35巻P146)

古代ローマ人のこの「公共性」って、なんなのかしら。もしも彼らが現代にタイムスリップしたら、私たちの「公共心のなさ」にびっくりするかもしれない。

もちろん「お金を出す」だけが公共心の発露ではないけど、私も含め、多くの現代人は「そーゆーことは国(とか“上の人”)がやって当然」という感じで、自分も「社会の一員」であり、社会になんらかの貢献をなすことができる」ということはあんまり考えていないんじゃないかな。

たくさん税金取られてるんだから、これ以上なんで社会のために自腹なんか切らなきゃいけないんだ、って思うしね。

もしアウグストゥス時代のように税金が安かったら、現代人も色々公共物を寄贈したりするかしら???

古代ローマ人のこの素晴らしい「社会への利益還元」習慣も、時代を追うにつれてだんだん廃れていくらしい。

ディオクレティアヌス時代には、もう元老院は有名無実に近くなっているし、カラカラ帝による「属州民」と「ローマ市民」の区別撤廃によって、「市民の誇り」が薄れてしまった。(これについては前作の「迷走する帝国」感想参照)

しかも「3世紀の危機」で皇帝がころころ変わった結果、ディオクレティアヌス以前にもうアウグストゥス税制は崩れていて無政府状態。蛮族の襲撃にも怯えなきゃいけないし、公共心を発揮しようにも大抵の人は「無い袖は振れない」状態。

「完全なる重税」が実行されればなおのこと、そんな余裕はない。

しかもディオクレティアヌスちゃん、「職業の世襲化」までやってしまう。

カラカラ帝の「誰でもローマ市民!」政策によって、かえって社会の流動性が失われ、貧富の差が固定化していった、と前作で触れられていたのに、そこへトドメの一撃。

これも元はと言えば蛮族の襲撃で農地を捨てて都市へ流れ込む人が増え、荒地が増えることへの対策であったようなのだけれど、しかし兵士でさえも世襲制にしてしまうって、ねぇ。

「どんな悪い結果に終わったことでも、最初は善意から発したのだ」と言ったのはカエサルだったっけ?

ディオクレティアヌスが実施した色々なことはすべて、「蛮族の侵攻を防ぎ、帝国内の安全を確保する」という最重要目的に根ざしていて、その結果実際に彼の治世下では「外敵からの安全」は達せられ、決して彼を「暴君」と責めることはできないんだけれど。

できないんだけれど。

なんだかなぁ。

他に何か方法はなかったんだろうかと、思わざるをえない。

蛮族さえいなきゃなぁ、と。

……いや、外敵の脅威がなくても、遅かれ早かれ「一つの文明の終焉」は訪れたんだろうか。盛者必衰の理(ことわり)にのっとって。

ディオクレティアヌスによってトドメを刺された「ローマ的」な社会の流動性と、個人の「公共心」。

その後、コンスタンティヌスの登場により、「ローマ的」なるものは完全に息の根を止められてしまう。

そう、キリスト教の公認によって。

……というところで、以下次回