この「最後の努力」での主役は、前半が「四頭政」を始めたディオクレティアヌス、そして後半がコンスタンティヌスです。

「四頭政を始めた」と言っても、ディオクレティアヌスが退位したとたん、あっという間に四頭政はガタガタになり、さっさとコンスタンティヌスが「ただ一人の絶対権力者」になってしまうので、「四頭政」というのはほとんど「ディオクレティアヌス時代」とイコールで、オンリーと言ってもさしつかえありません。

正帝・副帝合わせて四人いると言っても、ディオクレティアヌスの力は一番強く、それまでの「元首政」から「専制君主政」に大きく舵を切ったのはディオクレティアヌスだった。しかしながら退位後の彼はかなり不幸で、奥さんと娘は殺されて海に投げ入れられてしまうし、彼が考案し、尽力した「四頭政」はあっさり終わってしまう。「この人くらい、考え確信をもって実施した政策が、いまだ存命中というのにことごとく破綻した皇帝はいないのだった」(文庫36巻P125)。

キリスト教対策にしてもそうで、ディオクレティアヌスの弾圧から十数年後には、180度の大転換が行われている。

コンスタンティヌスによる「ミラノ勅令」。

世界史の教科書に載ってたよなぁ。

学生の頃は、そんなものかと思ってただ年号と名前を覚えるだけだったけど、『ローマ人の物語』を1巻から読み進んで、古代ローマ人の神々に対する態度に親近感と深い尊敬を感じるようになってしまうと、「とうとうキリスト教の時代になってしまうのか」とため息をつかずにはいられない。

「ミラノ勅令」は、弾圧されていたキリスト教も他の宗教と同じく「認める」というだけで、まだキリスト教を「国教」にしたわけではない。

でも、その文面には、明らかに「それまで」とは違う理念が書かれている。

というか、それまで大事にされてきた理念が「書かれていない」。

それまでのローマは、ローマという「共同体」(Res Publica)に属す住民に対し、個人個人の信ずる神が何であれ、「レス・プブリカ」全体の守護神とされてきたローマ伝統の神々に対しては、相応の敬意をもって対するよう求めてきたのである。(文庫36巻P133)

古代ローマ人の宗教は「多神教」で、もともと神様がいっぱいいるがゆえに、他の民族の神様に対しても寛容で、排斥したり、弾圧することはなかった。

ただ、公共の行事や儀式においてはローマの伝統的な神々を祀るから、その際にはどんな神様を信ずる者も、ローマ伝来の神々に敬意を払うように、と求めていた。

お正月には神社に行って、お葬式はお坊さんに取り仕切ってもらい、クリスマスには喜んでケーキを食べる日本人にとって、このローマ人の考え方というのはとっても「普通」で、共感できるものだ。

けれども一神教を信じる人達にとっては、こーゆー考えは理解不能なのでしょう。

一神教というのは、他の神々を否定してこその「一神教」なんだから。

従って、公共の行事であろうと何であろうと、「ローマ伝来の神々」を大切にする、なんて態度は取れない。

ローマ軍には、毎年一回ローマ伝統の神々に犠牲を捧げ、最高司令官たる皇帝に忠誠を誓う儀式があったそうなのだけど、「一神教の信者」にとっては、この儀式も苦痛だったらしい。

彼らが唯一従い忠誠を誓うべきは「神」であり、皇帝ではないし、「ローマ伝統の神々に犠牲を捧げる」という儀式に参加することも、彼らの信仰には反することだから。

そんなわけで、兵役に就くことを拒否するキリスト教徒もいたらしい。

ディオクレティアヌス以前にも、キリスト教徒のそのような「共同体への参加を拒否する」態度を問題にした皇帝は確かいたはずだけれども、八百万の神々に親しむ多神教な日本人としては、「そんな態度取ってたら怒られたって仕方ないじゃん」と思ってしまう。

塩野さんも、こんなふうに書いていらっしゃる。

ビルの着工時に神主を招いてお祓いをしてもらっている席で、列席者中のキリスト教徒は十字を切り、イスラム教徒ならばアラーへの祈りをつぶやくのと、同じように見なされる。一言で言えば、礼を失する振舞いということだ。(文庫35巻P179)

ミラノ勅令の前の、ガレリウス帝の勅令でもキリスト教徒の信教の自由は認められていて、ただ、そこには「帝国の法に反しない限りにおいて」という制限が付け加えられている。

もちろん、共同体や「国家」が、その権威・権力を嵩にきて、個人の自由を圧迫してはいけないけれど、人間が社会的な生きものである以上、そして「社会」というものが複数の、それぞれに異なる考え・利害を持った人間達から成り立っている以上、「うまくやっていく」ための「法(取り決め)」は必要で、互いに対する「礼」「マナー」も不可欠だと思う。

ディオクレティアヌスがキリスト教徒を弾圧した理由のところだったか、「蛮族にも布教しようとしたキリスト教徒は、異教徒である帝国内の隣人よりもむしろ、キリスト教に目覚めた蛮族の方を“同胞”と考えるので、何よりもまず国境防衛を優先したディオクレティアヌスにとっては、とても放置できなかった」というようなことが書いてあった。

実際に自分が生活している“社会=人間”よりも、“神様”の方が大事、ってどうなんだろう???

古代ローマでは“人間”が主役で、皇帝も市民から統治を委託された存在だった。

コインに刻まれた皇帝の横顔も水平で、“人間”を見ていた。

けれどコンスタンティヌス以後は、しばしば皇帝達の横顔はななめ上を向いている。“神を仰ぎ見る”形で表現されるようになる。

唯一絶対の神から統治を任されるがゆえに、司教の手からの「戴冠式」というものも登場する。

コンスタンティヌスがキリスト教を振興したのは、専制君主として支配するためにそのような「絶対的権威」を必要としたからではないか、と言われているけれど、“人間”よりも“神”を重要視するのって、“退化”じゃないのかな。

社会が複雑になって、人間だけで「取り決め」を決めるのが難しくなり、“唯一絶対の神”という「権威」が必要になる、ってわからなくはないけど、でもやっぱりそれって、「自分たちで考える」を放棄した怠慢のような気がする。

……こんなこと言ったら一神教を信仰してる人に怒られるんだろうけど……。(塩野さん、「一神教による弊害はこの一千年後になってはじめて明らかになることで(文庫37巻P93)」と書いてらっしゃるんだけど、現在でも一神教を信じてる人ってものすごーく多いはず……)


ミラノ勅令はキリスト教を国教と定めたわけではなかった。キリスト教であろうと他の宗教であろうと、個人の信仰の自由を認めただけ。

ただそこに、「帝国の法に反しない限り」という重要な一文は、もうない。

“人間”中心の、“法”によって“共同体”を営んできた、古代ローマ人の“ローマ的なるもの”が、このミラノ勅令と、その後のコンスタンティヌスの施策によって葬られていく。

まるで自分のことのようにせつない。