『新しい太陽の書』4部作の続編、というか完結編、というか。

4部作の後、「新しい太陽」をウールスにもたらすために宇宙に旅立っていったセヴェリアンの冒険の記録であり、4部作での謎の種明かしのようにもなっている。

が。

難しい。

ドストエフスキーよりはるかに難解っていうか。

全体の「おおまかな筋」としてはまぁ、一応わかったような気がするんだけど、細かい部分がよくわからない。
一つ一つの文章が描くその事象を想像することがものすごーく困難なのだ。

最初の、「宇宙船」の中の描写なんか、具体的にどうなっているのか、“絵”を思い浮かべられないし、集中して読んでいるつもりでもすぐに「あれ?何だっけ?」という感じになって、少しページを戻らないと何がどうなっているのかよくわからない。

それでも途中で放り出す気にはならなかったから、「面白くない」わけではないんだけど。


でも、前4部作の方が好きだな。
あっちの方がはっきり「面白かった」

いくつかの謎が本書で明かされているけれど、謎は謎のまま、自分で「そういうことだったのかな?」って考えてる方が面白いし。

既にセヴェリアンがすっかり成長してしまっているという点でも、ある意味「少年が大人になる」物語でもあった前4部作よりつまらない。

セヴェリアンに感情移入するのが、すごい難しいもん。
ごっつい淡々とした人やから。


特に頭がこんがらがるのは、セヴェリアンが“時間”の流れの中をあっちこっち移動することで。
あれもセヴェリアン、これもセヴェリアン。
太古のあの伝説もセヴェリアン、未来のその伝説もセヴェリアン。

ある人間が過去に遡って、その時代で何かをしたことによって歴史が変わる。

「タイムマシン」とかで過去に行くと、小石一つ拾っても歴史が変わってしまうので、「何もしてはいけない」とよくSFでは言われる。
何かをすると、そのことによって未来で自分が生まれなくなるかもしれないと。
でも、そこで何かをしたから未来で自分が生まれた、ということもありうるわけで。

ドラえもんが未来からのび太を助けに来てくれないと、のび太の子孫は生まれないかもしれないのだが、ドラえもんを送ってくれるのはのび太の子孫なのだった。

いわゆる「タイム・パラドクス」というやつだ。
鶏が先か卵が先か、みたいに、因果関係の前後がよくわからなくなる。


「新しい太陽の書」には、いわゆる「異星人」のような人たちも出てきて、その人達は私たち(セヴェリアン達ウールスの人間)とは時間の流れを逆に進んでいるので、セヴェリアンが彼らに「初めて会った時」は、彼らにとっては「最後に会った時」で、彼らがセヴェリアンに「初めて会った時」は、セヴェリアンにとっては彼らに「最後に会った時」になる。

この場合、因果関係はどうなるのだ……?

セヴェリアンは初めて彼らに会った時に彼らから有用な情報をもらい、それをもとに行動していって、その結果彼らに再び会う。

彼らは、既に「その結果」としてのセヴェリアンに出会ってしまっている。その上で、まだ若い(?)セヴェリアンに会って情報を渡す。

うーん。

ぐるぐる回る因果の輪。


光速で飛ぶ宇宙船の内部では、「時間が進まない」という話がある。
アインシュタインの「特殊相対性理論」。

「時間が進まない=止まっている」と、人間は動けないじゃないか、という気がするんだが、宇宙船の中で、人はきっと活動している。

そんでもって、光速で宇宙を旅してきた人が地球に帰ってくると、地球では何十年も何百年も経っていて、浦島太郎さんのようになってしまう。

もし宇宙戦艦ヤマトがワープ航法でなく、光速でイスカンダルに行っていたとすると、「地球滅亡まであと何日!」とヤマトの中で数えて間に合ったとしても、地球はとっくの昔に滅亡している……と思われる。

今、Wikipedeiaでちらっと「特殊相対性理論」の項を見たら、

長さや時間は、もはや絶対的なものではなく、どのような慣性系から観察するかによって異なる、相対的なものとなる」

「相対性理論においては同時刻とはあくまで相対的なものであり、ある系において同時刻だからと言って別の系では必ずしも同時刻ではないことが分かる。ただし同時性が相対的なものであることが、因果律を犯すものでないことには注意されたい。互いに因果関係を及ぼしうる二つの事象の間での前後関係は、いかなる慣性系で観測しようと保たれる」

とか書いてあった。

うーん、何のこっちゃ。


異星人とセヴェリアンの「時刻」が「同じでない」可能性はわかるが、お互いが影響を及ぼして因果関係を作るとすると、その前後関係は保たれるわけで……。

混乱。


もっとも、この『新しい太陽の書』4部作+『新しい太陽のウールス』でジーン・ウルフが描いているのは、何も「時間の不思議」というようなものではない。

もっと壮大な、もっと、「世界を言葉で創造する」というような――そして、「物語の可能性に挑戦する」ということのような。

……ジーン・ウルフさんの頭の中って、どうなってんねやろ、とつい思ってしまいます……。


最後に、セヴェリアンの言葉を一つ。
「これまでに生きた者は一人残らず、まだ時の何処かで生きている」

この時系列の中では死すべき私たちだけれども、他の時系列から見れば、いつでも生きている私たちに出会えるのかもしれない。

一度でも生まれられたら、それは永遠の命なのかも。


【関連記事】

『拷問者の影』~史上最高のファンタジィ降臨!~
『調停者の鉤爪』/ジーン・ウルフ
『警士の剣』(新しい太陽の書3)/ジーン・ウルフ
『独裁者の城塞』(新しい太陽の書4)/ジーン・ウルフ