『新しい太陽の書』最終巻です。

(1~3巻のレビューはこちら→「『拷問者の影』〜史上最高のファンタジイ降臨!〜」、「『調停者の鉤爪』/ジーン・ウルフ」、「『警士の剣』(新しい太陽の書3)/ジーン・ウルフ」)

鳥取へ行く前に読み終われるかと思っていたんだけど、ちょっと積み残してしまって……やっと読めました。
でも『白痴』に比べれば驚異的な早読み(笑)。

いや~、なんか、すごい小説だった。

すごく面白かったんだけど、何がどう面白かったのかが説明できない。

最後の「この物語に、わたし〈足萎えのセヴェリアン〉こと独裁者は署名する。古い太陽の最後の年と呼ばれることになる年に」という文章を読み終わって、もうこの一文(いや、二文か)だけでもなんか、「ああ……」と感動のため息をついてしまうのだけど、余韻がすごすぎて。

くらくらする。

最後まで読んで、色々種明かしもされたけど、まだまだ理解できない部分もいっぱいあって、わかったようなわからないようなこの不思議な感覚がまた魅力で。
謎がすべて解決されることが、「物語」ではないというのか。
解決されているのかもしれないけど……私がわかってないだけなのかもしれないけど……わかるために、もう一度最初から読みたくなる、このすごさ。


この物語の中には、「ウールスと天空の驚異」という本の中の挿話とか、劇中劇とか、「一番面白い話をした人と結婚する」という「語り比べ」の中で語られるお話とか、一見本筋とは関係のない(でもたぶん実は関係がある)お話がけっこう出てくる。

それらは「何か」を象徴する「寓話」で、この「新しい太陽の書」という書物それ自体が、非常に大きな、「寓話」だという気がする。

帯には、

「ファンタジイ、ミステリ、カトリック小説、幻想文学、そして、本格SF 全ての小説を内包した奇跡の物語」

と書かれている。

決して誇張ではない。(もっとも、クリスチャンでない私には「カトリック小説」という部分はあまりピンとこないけど)


「語り比べ」のところで、主人公セヴェリアンはその「審判」役をさせられる。誰の話が一番良かったか、あなたが判断してちょうだい、と言われるのだ。
結局、その審判は下されないままに終わってしまうんだけど。
でもその部分で、セヴェリアンは、「わたしは物語が大好きだ」と言う。

「世の中のすべてのよきものの中で、人類が自分のものだと主張できるのは物語と音楽だけである」と。

これはもちろん、著者ジーン・ウルフの想いの代弁であろうけれども、物語を読んだり書いたりすることが生き甲斐の私には、大いに勇気づけられる言葉だ。


また。

この「語り比べ」のところでは、アスキア人という、セヴェリアンの属する国と敵対している国の人間も参加している。

で、このアスキア人たちは、支配者によって承認されたテキストによってしか口を利くことができないという、とんでもない設定なのだ。
これってなんか、「どこかの国のことかしらん?」と思ってしまうけど、その、「何かの丸暗記」にすぎない文章を使って、それでもそのアスキア人はちゃんと「物語を語る」。
そしてそれを聞いたセヴェリアンは、「自分達だって、非常に多くの決まり文句を使って会話をしているんだ」と気づき、「物を語るということの多面的な性質を、わたしは改めて学んだ」と言う。

『新しい太陽の書』という物語自体がそのように多面的なものであることを読者に気づかせるかのように。


セヴェリアンは「読み比べ」の審判を下す機会を逸してしまうが、それはとある隠者の家へお遣いに出されるからだ。
その隠者は、時間を超越した家に住む、未来の存在。
家の最下層は「過去」に足を突っ込み、上層へ上がるほど「未来」の時間になっている。
隠者は言う。

「きみは時間を単一の糸だと考えているが、時間は一枚の織物であり、すべての方向に永遠に広がっているタペストリーなのだ」

この「時間感覚」は、この書物において非常に重要な、鍵になる考えだと思う。

そんな「時間」、ちゃんとは理解できないし、実際にそうなのかどうかはわからないけれど。

おそらく、実際にそうだったとしても、今の普通の地球人にはそのような「タペストリー様の時間」なんて知覚できないだろう。

テッド・チャンの『あなたの人生の物語』でも、そういう「時間を織物のように知覚する」宇宙人が出てきて、その言語を解読しているうちに、ヒロイン自身の知覚・認識体系が変わってしまって、「自分の未来が全部見えてしまう」ということが起こった。

「時間」というのは、本当にそういうものなんだろうか?


ともあれ、最後まで読み終えて、また最初から読み直したくなるこの『新しい太陽の書』。
今月22日(もうあと1週間!)には続編『新しい太陽のウールス』が初訳される。
『未成年』も読まなきゃいけないし、文庫版『ローマ人の物語』ももうすぐ続きが出るし、最初から読み直してる暇はないけど……必ずもう一度読み返してみたい。


20年前、初めて1巻を手に取った時にはあまり面白いと思えなかった。
続巻が品切れで手に入らず、そのままになっていたのを、今回の復刊で手に取ることができた。
それもたまたま書店で見かけて、「あれ?これって確か……」と思い出せた。

出逢うことができた。

本好きとして、これほど嬉しいことはない。

20年前、1巻を手にした時に、この未来はもう定まっていたのだろうか?