『ファウンデーションの誕生』を読み終わってしまった寂しさを癒すべく、アシモフさんのロボット物短篇集を手に取りました。

1940年に発表された初のロボット物作品『ロビイ』から1950年の『災厄のとき』まで9編を、アシモフさん自身が「ロボ心理学者キャルヴィン博士がこれまでを振り返る」という形で再構成した短編集。

いやぁ、面白かったです。

例の「ロボット工学三原則」によって引き起こされる様々な“トラブル”。キャルヴィン博士はロボット心理学者としてそのトラブルに向き合い、「現場の技術者」であるドノヴァンとパウエルのコンビは、新しいロボットのテストに派遣されてはロボットの奇妙な行動に頭を悩ますことになる。

1作目の『ロビイ』だけは少し赴きが違って、子守りロボ・ロビイに懐きすぎた娘を心配する両親の話です。
なんとかして娘とロビイを引き離そうとする母親。一旦引き離してしまえば子どものことだもの、すぐに忘れるに決まっているわ。でももちろん娘はロビイのことを忘れたりしない。そしてロビイもまた……。

清水礼子さんの『ナポレオン・ソロ』を思い出しました。少女の子守りロボ、ナポレオン。幼い少女が「大きくなったら私、ナポレオンのお嫁さんになる!」と言ったのを信じていた。でも少女はやがて大人の女性になって、もちろん人間の男性と恋に落ちる。それでもナポレオンは……。
(※白泉社文庫版『天使たちの進化論』所収)


ロビイと少女はめでたく再会を果たすけれど、その後地球上でのロボット使用を禁止する法律ができ、結局二人(一人と一体?)は引き裂かれてしまっただろう、とキャルヴィン博士は語る。

「でも、もう十五にもなれば、八つのときよりはかんたんにあきらめもついたでしょう」 (P54)

そうかなぁ、そうなのかなぁ。大きくなってぬいぐるみを手放すみたいに、ロボットもすぐ手放せるものなのかしら。ただの機械――可愛がってくれたのも、ただのプログラムに過ぎなかったと、割り切れるものかしら……。



「ただの機械」が“神”を編み出してしまうお話が『われ思う、ゆえに……』
地球上では禁止されたロボット。けれど宇宙ステーション等での作業はロボットに大いに頼っています。
とある中継ステーションに着任したドノヴァンとパウエルは、自分達が1週間前に組み立てたロボットの言動に頭を抱えていました。

なんとなれば、そのロボットQT1号は自分が人間に造られたことを“信じない”。

「それよりもっと満足すべき説明があるはずだと思います。あなたがわたしを作ったとは、とうてい考えられません」 (P95)

なぜなら、ドノヴァンたち人間よりも自分の方が完全で、優れているから。

「こうした事実は、いかなる生物も、それ自体より優れた生物を創造することはできない、という自明の命題とともに、あなたがたの愚昧な仮説を完璧に粉砕するものです」 (P103)

ええっ、いや、だったらさ、おまえ誰に作られたと思うわけ?

「わたしの創造主は明らかに、わたしより優秀なものでなければなりません。したがって考えうる可能性はただひとつしかない」 (P103)
「わたしは主(しゅ)のことを言っているのです」 (P104)

……え、何だって?

ドノヴァンたちはQT1号を「頭のおかしいロボット」だと思い、なんとかして説得しよう、人間に造られた存在だということを理解させようとするのですが――結局匙を投げるのですね。
何を信じていようと、たとえ人間を「下」に見ていようと、ステーションに必要な作業をきちっと正確にこなせるんだからいいじゃないか、と。

これ、でも、「人間」に対する皮肉ですよね? 地球上で最も進化した種を自認する「人間」。万が一にも、自分たちが「猿に造られた」とか思わないわけで。

自分達を「特別な存在」だと思って、じゃあなぜそんな自分達が存在しているのかと言ったら「自分達より高位な存在が云々」と“神様”を編み出す。

やがてAIが進化したら、AIは宗教を持つのでしょうか。「人を傷つけてはならない」ということと、「人を蔑んではならない」ということは違うし、「下位のものを守るのは上位のものの務め」などと“理屈”をこねたりしだすのか……。



「人を傷つけてはならない」、これはロボット工学三原則の第一条で、すべてに優先する規律として働くはずなのですが。

もしも「人の心を読めるロボットがいたら」、もしもそのロボットが肉体的だけでなく、精神的にも人を傷つけてはならないと考えたら――というお話が『うそつき』

そして、第一条の後半、「その危険を看過することによって人に危害を加えてはならない」という部分を組み込まなかったらロボットはどうなるのか? 「人に危害を加えてはならない」だけではなぜ十分じゃないの?というお話が『迷子のロボット』

しかもその後半部分を組み込まれていないロボットを他の、全部組み込まれてるロボットと見分けることができるのか?というね。そのロボットは十分に賢くて、人間が自分を探し出そうとしていることを知っていて、その裏をかいてくる。どんな検証をすれば、「違い」が浮かび上がるのか。


ロボットとロボットとの差異。
そして、ロボットと人間との差異。
完璧な外見を持つヒューマノイド・ロボットを、人間はそれと見分けることができるのか。もちろん、分解してみればわかるけれども、よくできたロボット(人工知能)を、会話や行動だけで区別できるものだろうか。

『証拠』では、市長に立候補した男が「ロボットではないか」と疑われます。彼がものを食べるところを誰も見たことがない。対立候補の陣営はキャルヴィン博士に相談をもちかけますが……。

『ファウンデーションの誕生』で描かれたダニール(=首相デマーゼル)の「ロボット疑惑」を思い出しますね。「微笑む」ことで疑惑を文字通り「一笑に付した」ダニール。そしてダニールはフレンド・ジスカルドとともに「個々の人間」だけでなく、「人類全体に危害を加えてはならない。その危険を看過することによって人類全体に~」という第零法則を見出し、それに基づいて長い長い時を、人類の平和と発展のために尽くしたのでした。

この短編集の最後に収められた『災厄のとき』には、すでに同じテーマが現れています。『証拠』でロボットだと疑われた男バイアリイは世界統監の地位についていて、世界のほころびを気にしている。マシンによって完璧に統御されているはずなのに、些細な不具合が起きてきている。マシンが故障しているのか、あるいは……。



「ロボット」という存在、それによってあぶり出される「人間」という存在。人間にとって「幸福」であるとは――「危害を加えられない」というのはどういうことか。
様々な側面から描いていくアシモフさん。

なんか、ロボットネタでアシモフさんが書いてないことはもうないんじゃないか、「新しいアイディアが!」と思っても実はすでにアシモフさんが全部書いちゃってるんじゃ……と思ってしまいます。

ここに収められた作品だけじゃないわけですしね。

巻末に「アシモフのロボット/AI作品一覧」がついていて、他の作品も読んでみたい方には便利です。

とりあえず私は引き続き『ロボットの時代』を読もうと思います。