『われはロボット』と同じく「アシモフのロボット傑作集」と銘打たれた短編集。こちらには8編のロボット物が収められています。

「この作品は…」とそれぞれにアシモフさんによるちょっとした解説がついていて、作品の生まれた経緯や発表時の反応などがわかります。

そのアシモフさんによる解説で、「若い女性からたくさんの手紙が寄せられた。ほとんどがトニイにあこがれをよせる内容だった」と紹介されている『お気に召すことうけあい』
うん、私もこの作品が一番印象に残りました。

トニイは

髪も目も黒いハンサムな長身の青年で、その動かない表情のすみずみまで驚くほど貴族的な気品がしみこんでおり (P137)

と描写されるロボット。

家庭でのロボットの有用性を実験するために、トニイはクレア・ベルモントの家にやってきます。クレアの夫ラリイはUSロボット社の社員で、昇進を条件にトニイのテストを受け入れるのですが、実際にテストに付き合うのは妻のクレア一人。「ロボットに対する知識のない、一般の主婦」相手の反応を見るのが会社側の狙いなのです。

最初は「ロボットなんて!」とむしろトニイを怖がっていたクレア。でもトニイは前述したように「ハンサムな青年」で、しかも彼女が近頃すっかり劣等感に苛まれていることに気づいて、彼女の髪型や衣裳をととのえ、家の中もすっかり模様替えして、クレアを「美しく素敵な奥さん」に仕立て上げてくれるのです。

「パッとしない女」と夫に思われていることを自覚していたクレア。見違えるようになって、いつも引け目を感じていたよそのご婦人方を招待するのですが、そこでさらにトニイのダメ押し。

いいですか、何度も言いますがトニイは「ハンサムな青年」です。
そしてこの実験の間、トニイとクレアは家に二人きり。
よそのご婦人方はもちろんトニイが「ロボット」だなどとはつゆ知りません。

はい、ここから導き出される結論は一つ。
よそのご婦人方は、「パッとしないと思ってたベルモント夫人がいつの間にかあんなハンサムな青年と!!!」

トニイはクレアを「みんなの羨望の的」にするためにわざとクレアに恋を仕掛け、自分と彼女が抱き合ってる様が窓から見えるように仕向けたのです。

人間心理――とりわけ女性心理に精通しすぎですやん。
どうやったらそんなロボット作れるん(´・ω・`)

若い女性読者からの手紙が殺到したの、わかりますよねぇ。私もトニイ欲しいわ(笑)。
実際にトニイのようなロボットを作ることができるようになったとしても、「家庭用」にはならないでしょうけど。気の利きすぎるハンサムな男性型ロボット、そして美しい女性型ロボットが家庭に――夫婦仲にどんな騒動を巻き起こすか……。

『われはロボット』でもおなじみのスーザン・キャルヴィン博士も、「トニイは失敗だ。徹底的に作りかえなければ」と言います。とりあえず外見をハンサムにするのはやめないと、と思うけど(そしてキャルヴィン博士の“作りかえる”もまずはそこを言ってるのだと思うけど)、もしも精巧な人型ロボットが作れるようになったら、やっぱり人間は「美しい外見のもの」を作ってしまうんでしょうかね。わざとブサイクなのを作るっていうのもアレだし、「人並みの外見」というのが実は一番作るの難しそうだし。

まぁたとえハンサムでなくても、忠実で優しく「気の利く」異性型ロボットが家庭に入ってきたら、やっぱり問題は起きるのかもしれない。

「いいですか、ピーター、機械は恋することはできません、でも――たとえそれが望みのない恐ろしい恋であっても――女にはできるんです!」 (P165)

とキャルヴィン博士は言うのですが、後に『ファウンデーションの誕生』で描かれたセルダンとドースの愛を思えば、機械も恋することができるし、男だって機械に恋をする。(もしドースの外見がブサイクだったら?と思わないことはないですが)。

そしてアシモフさんは「キャルヴィン博士に恋をする」。

時が経つにつれ、わたしはキャルヴィン博士を恋するようになった。(中略)だがともあれ、わたしは彼女を愛している。 (P135)

ふふふ。
人間よりもむしろロボットに近い、周囲からは偏屈な変わり者と思われている、世界でおそらくただ一人のロボット心理学者、キャルヴィン博士。

その彼女がロボットに「マミイ」と呼ばれる作品『レニイ』
ひょんなことから知能レベルが「赤ん坊」になってしまったレニイ、「そんな役に立たないロボットをどうするんだ」と周囲は言うのですが、キャルヴィン博士だけはレニイの秘めた可能性に気づいている。役に立たないどころか、もしもレニイが「成長する頭脳」を持っているとしたら、これはロボット工学にとってとんでもないことですよね。そんなものを人工的に作れるとなったら。

でも最後まで同僚の男性たちは

思うに彼女はレニイの別の用途を発見したらしい。全女性の中でスーザンだけに適した独特の用途ですな (P243)

なんて揶揄する。
まぁ博士がレニイを「育てる」こと、レニイの母となることに研究以上の喜びを見出していたのは事実かもしれないけど。

アシモフさんが「スーザン・キャルヴィンの登場する話の中でこれはわたしの大好きな作品である」と語る『校正』
ロボット(というかUSロボット社)が大学教授に訴えられ、その裁判の顛末を描く法廷もの。一体ロボットが何をしたのかが読者には最初わからなくて、裁判が進むにつれ「どういう事件なのか」が明らかにされていくのが面白いです。

「書物というものは著者の手で造型されるべきものだ。一章、一章が育っていき、成長していく過程を自分の目で見守るべきだ。くりかえし手を入れながら、最初の概念を超えたものに変化していくさまを見守るべきだ。(中略)その接触自体が愉しみであり、創造したものに対するなによりの報いなのだ。あんたのロボットはそういうものをみんな奪ってしまうんだ」 (P312-313)

という教授の言葉には、アシモフさんの「書くこと」に対する愛情が感じられます。

「三原則の六十一語からわたしは無限のアイディアを汲みだしうるのだ」(P92)と語るアシモフさん(すごいなぁ、さすがだなぁ、爪の垢欲しいなぁ(笑))のロボットもの短篇はこの2冊以外にもまだあります。

次は『コンプリート・ロボット』を手に取ってみようと思います。