1943年に出版された“ブラック”シリーズ4作目です。

2005年の新訳版の帯には「“黒のシリーズ”の最高傑作が最新訳で蘇る!」とのキャッチコピーが。



ハヤカワ文庫60周年を記念しての「補完計画」だったのでしょうか。まだ11年しか経ってないのにもちろんというか案の定というか紙の方は絶版ですが、電子書籍版が発売されています。

『幻の女』『黒衣の花嫁』をカクテルしてミントを添えたような(?)お話でした。

まだ22歳の若妻アルバータは夫の様子がおかしいことに気づき、愛人の存在をかぎつけます。愛人と一緒に出奔しようとしていた夫。意を決して相手の家を訪ねてみるとそこには死体となった女が。

殺人容疑をかけられた(のみならず有罪判決まで受けてしまった)夫の無実を信じ、アルバータは独力で捜査を始めるのですが……。

そもまず、自分を裏切った男を救うために孤軍奮闘するアルバータすごいです。もちろん、「不実」だからと言って「殺人まで犯す」かどうかは別の話なので、「夫が犯人のはずはない」とまでは思えても、逮捕されて死刑になるのは「あたしのこと捨てようとしたんだから自業自得じゃん」ではありますよね。

だってアルバータ、22歳なんですよ。22歳だけど、もう結婚して4年経つらしく、夫と知り合ったのは17歳の時らしい。

夫自ら「天使の顔(エンジェル・フェイス)」と仇名をつけるほど可愛く美しくしかも愛情深い妻を裏切って、ただ不倫するだけじゃなくその女のもとへ走るためにこっそり荷造りしてた男なんか。

ほっときゃいいじゃん(´・ω・`)

“なぜ男は女に愛することを覚えさせるの? 女が愛しはじめると、こんなふうに扱うのなら? どうして十七歳の娘にかまったりするの? なんにもしてやらないで、自分のことにかまけて、そばにいようがいまいが関係ないんだったら? こちらが二十二歳になると、もうそんな態度に出るのなら? どうしてほっといてくれなかったの?” (P20)

女の死体を発見する前、アルバータはこんなふうに嘆きます。まったくね~。まぁ17歳の女の子なんか嫁にしたらどこかで年増と遊びたくなるもんかもしれないけど~~~(ちなみに夫の浮気相手は複数の男と関係を持っているらしいすれっからしぽい女優だったりする)。

しかしこういう「嘆き」書くの巧いよね、ウールリッチ。「ウールリッチの書く女はどっか変」と言われているそうだし、実際いくら何でも無茶しすぎるし美女ばっかりだし行動にリアリティがあるかと言ったらあんまりないけど、「心理描写」は素晴らしい。

思い込みだったり、葛藤だったり、不安や疑念のあまり半分狂ったような――だからこそ「そんな無茶な」という行動を起こすわけで。巧みで「そういうのわかる」っていう心理描写に引きずられて、行動や謎解きのリアリティはどーでもよくなってしまう。

それどころか、リアリティなんか必要か?ああっ!?という気にさえ(笑)。

解説では、ウールリッチの評伝を書いたネヴィンズJr氏のこんな言葉が紹介されています。

ウールリッチの世界には論理は存在しないのだ。ウールリッチの最も強烈な作品においては、論理の破綻は現実世界に存在する陥穽を意味しているのである。 (P369)

「論理は存在しない」!!!!! なんと甘美な言葉でしょうか。

それでもなお、ウールリッチの小説が圧倒的に支持されたのは、ストーリー展開や現実との整合性にあるのではなく、人物や場面の描写が読む者の感性に強く訴えかけるからだろう。 (P370)

と、解説の吉野さんがフォローしてくださってます。

そういう「整合性」が気になる人、おセンチなのがダメな人にはウールリッチはまったく合わないと思うけど、逆にそれが好きな人にはたまらないわけで。

この作品でも、女の部屋で手がかりを見つけたアルバータがその手がかりをもとに誰とも知らない男達に近づいていくやり方、「いやいや、あり得ないよ!危なすぎるし!!!」って思うんですけどね。

謎医者モーダントを探るくだりとか、「やめとけ!悪いこと言わないからやめとけ!」という感じで。『夜は千の目を持つ』の前半で感じた「自身の疑心暗鬼に追い詰められるサスペンス」ではなく、「罠に自分から飛び込んでいく娘を外からハラハラして見守るサスペンス」です。

そんな世界とは無縁だった22歳のきれいな女の子が場末のスラム街やらナイトクラブに潜入するんだもん。ほんと、いくら夫を助けたいからって、夫が助かる前に自分がどうなるか……。

実際間一髪の危険な目にあうアルバータ。

そして。

最後が、いいんだよね。

この、単純なハッピーエンドじゃない終わり方が、「“黒のシリーズ”の最高傑作」って言われる所以じゃないかな。

夫は帰ってきた。その代わり“あの人”は行ってしまった。

「天使の顔(エンジェル・フェイス)」、あの人はいつもわたしをそう呼ぶ。――オープニングと同じフレーズが繰り返される。でもそれはもう、最初と同じ情景ではない。

変わってしまった。

たぶん、すべて変わってしまった。

この余韻。

人の心は、論理なんかでは動いてないもの。