はい、またアイリッシュ=ウールリッチに戻ってきました。

『黒衣の花嫁』に引き続く“ブラック”シリーズ第2作『黒いカーテン』。1941年の作品です。

昔の小さめ活字で文庫版194ページ。中編よりはちょっと長いかな、ぐらいの分量。

街角で建物の屋根が崩れてくるのに巻き込まれた主人公タウンゼンド。幸いたいした怪我もなく済んだものの、なぜそんな界隈にいたのかわからない。妻ヴァージニアが待っている家に慌てて帰るとそこに妻はおらず、探し当てた引っ越し先で妻は驚いた顔を見せる。

なんと、タウンゼンドは3年間行方不明だったというのだ。

今朝家を出て、そのまま帰ってきたつもりのタウンゼンドに、3年間の記憶はない。屋根の崩落に巻き込まれたショックで記憶を失ってしまったらしいのだが、一体3年もの間自分はどこでどうしていたのか?

ともあれ愛しい妻のもとに戻り、元の職場にも復帰して何事もなかったように暮らし始めたタウンゼンド。けれどある日、彼は気づく。自分を見ている男――「ついに探し当てたぞ!」という顔をして自分を追ってくる男がいることに。

近づいて、名前を訊けばいい。用件を尋ねればいい。なぜそんなにじろじろ見るのか、なぜ追いかけてくるのか。

けれどタウンゼンドはそれをすることができない。彼には「空白の3年」があるからだ。その3年の間、自分が何をしていたのかわからない。

何か、追われるようなことをしでかしていたのかもしれない。

決して捕まってはならないのかもしれない。

……この、前半の不安と焦燥がたまらないんですよねぇ。人を心理的に追い詰めさせたら天下一品の「サスペンスの巨匠」ウールリッチ。その手腕を遺憾なく発揮しています。

が。

後半、その3年の間に起こった「事件」の真相を解明しようとする部分は正直あんまり面白くない(^^;)

なんというかおまけっぽい。

前半ものすごーく怯えて胃をキリキリさせていたタウンゼンドが急に行動的になっちゃうし、空白の3年の間に“恋人”だったらしい女性と普通にベッドをともにしている感じだし(え?ヴァージニアは?ヴァージニアは???)、いくら「過去」をはっきりさせるためとはいえ、記憶喪失のことを告げずに彼女の自分への想いを利用するのはなんか……。

しかもその女性、最後には都合良くいなくなっちゃうしなー。自分だけ何事もなく妻の元へ帰れるとか、いいのかそれで。

ウールリッチにとっておそらくこれがミステリ長編2作目で、その辺(前半と後半のバランスとかあまりに御都合主義な終わり方)がまだこなれてない感じします。

というか、前半が書ければそれで良かったんやろな、みたいな。

自分が3年間何をしていたのかわからない。記憶の中の“昨日”の続きが今日でない怖ろしさ。

存在の不安。

後半の謎解きの中に、『傑作短編集・別巻』に収録されている「眼」とほぼ同じ設定が出てきます。半身不随で口がきけず、何を見ても何を聞いても周囲に訴えることができないと思われている人物。

失われた3年間の間に主人公とその人物との間にけっこう心の交流があったのかな、とか想像してしまいます。そこが描いてあればもっと話に膨らみが出たのかな、と思う反面、描くのはやっぱり蛇足な気も。

1960年(昭和35年)初版の文庫、中表紙に「圧倒的なサスペンスで描くスリラー派の驍将アイリッシュ」と書いてあります。

「驍将(ぎょうしょう)」という言葉、初めて知りました。新解さん第6版によると、「強いという評判の大将」という意味らしいです。うーん、ウールリッチは「強い大将」というイメージじゃないけどな(^^;)

まだウールリッチが生きている時分に出された邦訳、「戦後わが国に紹介された数多い英米の推理小説作家のなかで、もっとも広く歓迎されたのは、本書のウィリアム・アイリッシュであろう」という解説も感慨深いです。新訳もいいけど、昔の版を読むのも楽しいんですよね。