小林秀雄。
名前だけは知っている。
教科書に出てきたかもしれない。
きっと偉い人だ。
たぶん評論家か何かで、難しげな本をいっぱい書いた人に相違ない。

小林秀雄の著作なんかもちろん私は読んだことがないし、そんな難しそうな人からはできるだけ距離をおいておきたい、と思う。
もしもこの本を橋本治さんが書いたんじゃなかったら、一生小林秀雄のことなんか知らずにすましただろう。

橋本さんが書いたんだったらしかたがないな、読まなきゃいけないかな、と思って、『ガンダムUC』の3巻と一緒に注文した。我ながらすごい取り合わせだ。

橋本治さんは「小林秀雄賞」の第一回の受賞者で、内田樹さんが6回目の受賞者、というのは前に書いた。
一回目には、これまた以前に紹介した『文章読本さん江』で斎藤美奈子さんも受賞しているし、4回目は今をときめく脳科学者、茂木健一郎氏が受賞。

このラインナップを見ると、「もしかして小林秀雄はそーゆー人だったのかな」という気もしてくる。
すごく頭が良くて、すごく大変なことを言っているんだけど、ただ「偉そー」とか「難解」に陥ることなく、素人にも「面白い」と思える、ちょっとエキセントリックな部分も持った、「最先端にして異端」というような人かと。

そう思って期待して『小林秀雄の恵み』を読み始めたら、やっぱり全然わからなかった。
小林秀雄の『本居宣長』というテキストを軸に、橋本さんが色々なことを読み解いていく、という本なのだけれど、そこで引用されている小林秀雄の文章が、もう全然わからない。

「偉そう」で「難解」。

小林秀雄自身が、「私の文章はそう簡単にはわかりません。読者が立ち止まって考えなきゃならないように、わざとそう書いてるんです」というようなことを言っていたらしい。

ヤな奴である。
もうちょっと親切に書いてくれなきゃ、「何か考えさせられる」前に、本を投げ出してしまうぞ。

しかしこの難しげな『本居宣長』、10万部のベストセラーだったらしい。
一体どんな人がこの本を買ったんだろう。
当時(1977年・昭和52年)の日本人はあの文章がすらすら読める頭のいい人ばかりだったんだろうか?
というか、当時の日本人はそんなに『本居宣長』なんかに感心があったのかなぁ。
小林秀雄はもう十分有名で権威のある大批評家で、そーゆー偉い先生が書いて、その筋では評判になっているらしい本を買うことで、「自分もなんか頭がいい気分」を味わっていただけなんじゃないんだろうか。
10万人全員があの本を最後までちゃんと読んだとはとても思えないぐらい、「わからない文章」なんだけどなぁ。

ラジオのCMで、なんか工学系の横文字をいっぱいしゃべる彼氏(?)に向かって、女の子が「日本語かどうかもわからない。でもステキ!」というのがあるんだけど、小林秀雄もそーゆー存在だったのではないんだろうか。
「難しい=偉い」。
「偉い=すごい」。
とりあえず買っておけ、みたいな……。

違うのかなぁ。
私が馬鹿なだけで、『本居宣長』を買った10万の人はみんな賢くて、「なるほど」と言いながら読んだんだろうか。

でも橋本さんでさえ、「『本居宣長』は難解だ」と言っている。その難解なテキストを解きほぐすのに、橋本さんは色々なことを話してくれる。
それが、すごく面白い。

小林秀雄の書いた『本居宣長』を読み解くわけだから、当然本居宣長本人の話は重要で、本居宣長を理解するためには「近世人のあり方」「日本人にとっての思想のあり方」「日本人にとっての神や仏のあり方」ということを押さえておかなければならない。
その部分が、とっても面白いのだ。

本居宣長。

これもまた、「名前だけは知っている人」。
歴史の教科書に出てくる。
何をした人かはよくわからない。
国学者らしい。
そう言われればそう習った気もする。
江戸時代の人で、江戸時代に隆盛だったのは朱子学(儒学)である。中国渡来の朱子学に対して、本居宣長は日本に古来より伝わるものを大事にしよう、という「国学」を開いた人らしい。

あくまでも「らしい」といういいかげんな理解なので、間違ってたらごめんなさい、だけど。

私はこの本を読んで本居宣長が好きになった。
小林秀雄のことはなんだかよくわからないままだけど、本居宣長のことはわかった気がする。
本書の最後の方で、橋本さんも
「私には、近世人本居宣長のあり方や胸の内は分かるが、近代人小林秀雄の頭の中はよく分からない」
と書いている。

時間的には遠いはずの近世の人の方がよくわかって、近くて直接つながってるはずの近代の人の方がわからない、というのも不思議だけれども。

小林秀雄は40代ぐらいで終戦を迎えていて、「戦前」と「戦後」にまたがって生きた人。
神であり主権者だった天皇が「象徴」になって、国民が主権者になるという、一大価値観の転換を、もっとも脂ののった40代で経験してしまった人だ。
だから何、ということもないけど、「天皇」が「象徴」であるのを当たり前に過ごしている現代人の私は、「天皇はいるが実質的な権力は幕府が握っている」時代の町人、本居宣長の方に「あり方」としては近いのかもしれない、とは思う。

だって、橋本さんの語る本居宣長には、なんかとても共感できるもの。

本居宣長は「物のあはれ」を説いた人で、「物のあはれ」とは、「人の情(こころ)の、事にふれて感(うご)く」ことであると言っている。
「それってつまりは感情のことか?」である。
悲しいも嬉しいも楽しいも苦しいも憎いもむかつくも、「すべて人の情の、事にふれて感くは、あはれなり」なのである。

それでいいの?
ってなもんだけれども。

本居宣長を取り巻く周囲も、小林秀雄自身も、「それでいい」がわかってなかった。
本居宣長は「悲しいことを“悲しい”と言っていいのは、最高である。儒教や仏教は、“悲しいことは悲しい”というだけのことに、色々と理屈をつけてはぐらかす。それは間違っている」と言っている。

なるほど、と思う。

「本居宣長は、『悲しいことをただ“悲しい”と受け入れたい』と思い、『なぜそれをさせてくれないんだ』と思い続けていた人なのである」
という橋本さんの文を読むと、とっても本居宣長が好きになってしまう。

心が動くことを肯定してもいい。
それこそが「あはれ」と呼ばれるものだ。

人に感情があるのは当たり前のことで、「感情がある」を肯定するのがそんなにも大変な、「学問論争」を引き起こすものかとも思うけれども、「儒教や仏教は、“悲しいことは悲しい”というだけのことに、色々と理屈をつけてはぐらかす」と言われれば確かにそういう面はあって、今でも「感情的」という言葉はいい意味ではない。

本書の最末尾に、「近代の日本人は、エモーショナルなものに惹かれる自分自身を、どこかで煩わしがっていたのかもしれない」という一行がある。
常に理性的でいたかった、ってことだろうか。
戦前の「感情的な天皇崇拝」のあげくの破綻が身にしみたからだろうか。
それとも単に、「近代の合理精神」が、「感情」という説明のつかない、制御できないものを嫌っただけか。

私は「感情」が大好きだけどな。
せっかく生きてるんだから、いっぱい「感動」したい。
「情(こころ)の、事にふれて感(うご)く」
そうかぁ。
それが「物のあはれ」かぁ。
私、「あはれ」しまくりやん(笑)

というところで、『小林秀雄の恵み』の話はまだまだ続く。

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