ギブスンの『クローム襲撃』と同様、ハヤカワ文庫補完計画によりこの4月に復刊された書籍です。

「森へゆく径」の1万円企画で買った本でもあります。

解説には「ディックの代表作ともいわれる長編」と書かれているのに、なんで絶版だったんでしょうか。近所の図書館にもなかったし、めでたく復刊されて何よりです。

こないだまでウィトゲンシュタインだったこともあり、サクサクと軽やかにページを繰ってしまいました(笑)。

この作品の世界では、「キャンD」というドラッグが流行っています。原文でも「キャンディー」なんでしょうか。「キャンD」に対抗して出て来るドラッグが「チューZ」とか言葉遊び感がすごいですね。主人公の一人であるレオが妾を住まわせてる人工衛星か何かの名前が「プー横宙の家」なのには吹きました。「プー横宙」って、原著ではなんて書いてあるんだろう。

それはともかくドラッグ「キャンD」は特に火星の移民達の間で欠かせないものになっています。砂嵐の吹きすさぶ劣悪な環境で生きていくために、移民達にはドラッグが欠かせず、「パーキー・パットの模型セット」とセットになった「キャンD」で「地球へトリップ」することが唯一の慰めだったのです。

パーキー・パットというのは作者ディックがバービー人形の大流行からヒントを得たという「お人形」なんですが、リカちゃんハウスやシルバニアファミリーのセットと同じく、本物そっくりに作られたミニチュアの模型セットを充実させればさせるほど、「幻覚」世界もより豊かになっていくという設定。

模型セットを前にしてキャンDを飲む(というか、「しゃぶる」という形態らしいですが)と、女はパーキー・パット人形に、そして男はその彼氏役のウォルト人形に乗り移り、楽しい日常生活を送ることができる。

単にドラッグを飲むだけじゃなく模型とセットでっていうのが面白いし、集団で「同じ一つの幻覚世界」にトリップできるのも面白い。

でも何人でトリップしても女はパーキー・パット、男はウォルトにしかならない。だから一人のパーキー・パットの中に実は三人の女が乗り移っていて、ウォルトの方にも同じく三人の男が……ということにもなる。

なんで他にも人形を作らないのか、という気がしますが、「美男美女のカップルだけ」にしておくのがミソなのかもしれません。変に第三者を作ると「恋敵」みたいになったり、かえってケンカになるんでしょうね。

で、そのパーキー・パット模型セットとキャンDを作っている会社のトップが主人公の一人レオ・ビュレロ。そしてレオに雇われている流行予測コンサルタントのバーニイがもう一人の主人公。

バーニイは予知能力者で、その能力を活かして「この模型は流行る・流行らない」等を決定する職務についているのですね。

そこへプロキシマ星系から謎の実業家パーマー・エルドリッチが帰還してきます。新種のドラッグ「チューZ」を携えて。

模型セットなど必要なく、自由に好きな世界へトリップできる「チューZ」。もはやそれは単なる“幻覚”ではなく、“転生”と呼ぶべきもの。

「こりゃえらいこっちゃ。シェアを奪われる前になんとかチューZを阻止しないと!」とレオは行動を起こし……。

レオもバーニイも、自分でチューZを試すことになります。作品の終盤はずっと、チューZを服用したバーニイの“幻覚”世界です。「目覚めた」と思ってもまだ現実じゃない。今度こそ「戻った」と思ったのに、やっぱりそこにはパーマー・エルドリッチの影が。

どうも、チューZによる幻覚世界は「パーマー・エルドリッチの支配する妄想世界」のようなのですね。だから恋人や上司だと思っていた相手の手が突然義手になっていたりする。その正体がエルドリッチであることを示す「金属の義手」。

タイトルの「三つの聖痕」というのはエルドリッチの三つの身体特徴、義手、義眼、そして変形したあご、のことなんですね。

チューZがもたらす幻覚の中では、あらゆる登場人物がその聖痕を持ち得る。その幻覚を見ているはずの当人でさえも。

そのオチとしてエルドリッチ=神、「神はわたしたち一人一人の内側に在す」みたいな話になるんだけど、「どこまでが現実でどこまでが幻覚か」という展開にワクワクしていた私としては、「え?そういう話になっちゃうの?」と少し拍子抜け。

でも一番最後の行までずっと、「実は目が覚めていない」状態なのかもしれない。そう思わせられるところがやっぱり巧い。

もしかしたら最初から幻覚なんじゃないか?とも思ってしまうし。

エルドリッチなんて人物はいなくて、チューZなんて製品もなくて。

人生は「誰かの夢」かもしれない、自分は誰かの頭の中の妄想世界の住人に過ぎないのかもしれない。そもそも「現実」って何なのか――。

火星の移民たちは、国連から「移民徴用令状」みたいなのをもらって移民しているんですが、一体国連が何のためにそんなことをしてるのかよくわからないんですよね。地上の人口を減らすためなんだろうけど、火星ではろくに作物なんか育たないわけで、彼らを生き延びさせるために国連は定期的に食糧その他を配給しているみたいで、「食い扶持を減らす」にはなってない。

地球の資源が乏しくなってきたから溢れた人間達を他の惑星に強制移住させて「あとは自分たちでがんばれ」って言うんならわかるけど、食糧やドラッグを与えてただ無為に生き延びさせるのって何のためなんだろう。

到着したばかりの新しい移民の大部分がそうであるように、これからの苦しいだけでなく本質的に無意味だとわかっている生活を前にして(後略) (P213)

すべての地球人とおなじように、ごく小さいときから、移民生活のこと、てっとりばやい降伏である相互殺戮の誘惑への戦いのことを、話に聞かされて知っていたのだった。 (P217)

では地球での生活は「無意味ではない」のか。地上の人間は何度も「相互殺戮の誘惑」に負けてきたのではないのか……。

移民とかドラッグは小説として描くための仕掛けにすぎず、地上でごく普通に生きている私たちも実は幻想の“現実”を生きているのかもしれない。

エルドリッチとの会合の後、地球に戻ったレオ・ビュレロが口述した短いメモ。本編の前に掲げられたその短い文章こそが、「この本の中でほんとうに重要な一つの短い声明」なのだ、と後にディックは語ったそうです。

本編を読み終わったあとそのメッセージに戻ると、なんとも感慨深いです。

うーむ、そうか……。