ルパンの『813』とともに図書館で借りてきていたのがこれ、『十五少年漂流記』。

子どもの時好きだった作品をもう一度読み返そうプロジェクトです(笑)。

ホントに大好きだったんですよねぇ、これ。

まずは小学生の時に、家にあった50巻本の『少年少女世界文学全集』で読み、その後小学校高学年か中学生の時に福音館版の完訳『二年間の休暇』を読んだ。

『ロビンソン・クルーソー』や『スイスのロビンソン』も好きだったけど、やっぱり主人公が自分と同じ“子ども達”であるこの『十五少年漂流記』は格別だった。

なのにうちの息子ちゃんたら読まないまんま中学生になっちゃって。

こーゆー名作は小学生のうちに読んどかないとぉぉぉ。

というわけで、息子ちゃんに読ませたい&自分も読み返したいということで借りてきた。

やはり完訳がいいのと、文庫の方が持ち歩きやすいので創元SF文庫版。1993年初版で「文庫本初の完訳決定版」と銘打たれています。表紙や挿絵には原著の初版で使われたものが再録されていて大いに雰囲気を盛り上げてくれ、大人になって読み返すにはもってこいの版ではないかと。

ン十年ぶりに読み返してびっくりしたのは、13歳の少年が銃の扱いに長けていて、狩猟がめちゃくちゃ得意なところ。

いやー、昔もびっくりしたのかもしれないけど、改めてびっくりした。

この作品は1888年に書かれていて、つまりもう120年も前のお話なんだけれども、120年前の少年達は普通に狩猟をしていたのかぁ、ううむ。

今のヨーロッパではどうなんだろうか。

この「狩猟が得意」という要素は無人島で生き抜くために非常に重要な役割を果たしているので、「これって日本の少年じゃ無理だし、日本の大抵の大人でも無理じゃん」って(笑)。

あ、もしかして知らない人がいるかもしれないので説明しますが、15人の少年達はニュージーランドの寄宿学校の生徒で、本当は大人達と一緒に二週間程度のクルーズを楽しむはずだったのが、子ども達だけ先に船に乗って寝てたらいつの間にか沖に流されてて嵐に遭って、どこともしれない無人島に漂着、さて彼らの運命やいかに!というお話です。

15人の内訳は14歳1人、13歳4人、12歳半2人、12歳3人、10歳1人、9歳2人、8歳半1人、8歳1人。(創元SF文庫の登場人物紹介参照)

今の日本で言うと中学2年生を筆頭に、小学校3年生まで。

この子達だけで2年間、無人島でやっていくわけです。

幸い船にはかなりの食糧や物資が積んであり、また、船体自体も解体して子ども達は色々な用途に使っている。

もうその、解体して梁や板を住まいや筏として使うというところだけでも「私無理!」って感じなんやけど。

漂着した無人島には獲物はたくさんいて、銃だけでなく落とし穴や罠、投げ玉で捕まえたり、また釣りで鮭やスズキを手に入れたり。

うん、まぁ、落とし穴や釣りならなんとか。

でもその、落とし穴で捕まえたマーラを解体できない……。

子ども達はさ、アザラシを捕獲して(っていうか殺して)解体して、油を取ったりするんだよ。彼らが流れ着いた島は緯度が高くて冬が長く厳しく、洞窟に籠もって生活しなければならない。灯りと暖を取るために「油」は必須で、船に積んであったものがなくなったらなんとかして代わりのものを手に入れなければ。

……アザラシ解体とか無理だよぉ……。

120年前ならコンビニはないし、家で飼ってる鶏を自分で絞めて……っていうのは普通だったんだろうなぁ。いや、今でも鶏ぐらいだったらかなりの地域で普通な気がする。

昔の子ども達がたくましいというより、今の私たちがあまりに軟弱なんだよね。

他に方法がないとなったら気持ち悪くてもやったことなくてもやるしかないんだけど、そもそも「アザラシから油が採れる」とか、塩漬けや燻製にすれば長持ちするとかいうそういう「知恵」をね、今の子ども達に引き継いでないよなぁと思っちゃう。

植物の実を発酵させてお酒造ることまでやってるからね、彼ら。

ブランデーを少し垂らした水を飲み、デザートにシェリー酒をたしなむ子ども達。120年前のヨーロッパの子ども達、“大人”すぎるだろうっ!

彼らはもともとニュージーランドに住んでいるわけだけど、最年長のゴードンがアメリカ人、賢くて行動力があり年下の子ども達に優しく接するブリアンと弟のジャックがフランス人、残りはイギリス人。あ、見習い水夫のモコは国籍わからないけど黒人。

ジュール・ヴェルヌがフランス人だからか、フランス人のブリアンはとっても優等生で、イギリス人のドニファンが何かにつけ反抗する気持ちもよくわかる。

ああいう「正しい相手」には反論できないからよけい腹立つんだよねー。

大人もいない、スーパーがないのはもちろん電気もない環境で子ども達は2年を過ごす。ただ「なんとか生きてました」ではなく、ちゃんと船にあった本を使って勉強もして、大きい子は小さい子に色々と教え、湖が凍ればスケートをしたり、運動不足にならないような配慮もして、手持ちの材料を駆使して人が乗れる大凧を造ったりもする。

本当にすごい。

最初に読んだ時はまだゴードンやブリアンは自分より年上で、狩猟の腕前はともかく「14歳ともなればこんなに立派なのか」と思っていたのだろう、たぶん。

小学校の低学年にとって6年生は「かなりのお兄さん・お姉さん」だし、中学生なんて「子どもよりもむしろ大人に近い存在」に思えた。

きっと「こんなことできるわけない!」ではなくて、「13歳、14歳ならできるかも」「子どもだってすごいんだから!」とその活躍を誇りに思っていたんじゃないかなぁ。

今、自分の子どもが彼らと同じ年になってみると、「いくら何でもすごすぎるだろ」「子どもどころか私にも無理だぞ!」と思ってしまう反面、「本当だったらできる力を持ってるのに、全然やらせないでスポイルしてるんだなぁ」と思ったり。

私の母方の婆ちゃんは12歳で親と離れて女工哀史で働いてたわけだし、家の手伝いをする中で生きた魚や鶏を食べられるようにする、なんてことは自然に身についていたんじゃないかと。

「しっかりしなければならない」となったらできるだけの力がきっと子ども達にはあるよね。

大人はかえってこう、享受してきた便利さ・これまでの“自分”を捨てられなくて、無人島の過酷な生活に適応することを拒否してしまいそう。

彼らが無事生還するプロセスには「そんな都合よくいくもんか?」というところもあるけど、今読んでも無人島での少年達の知恵と工夫と勇気に満ちた行動、「果たして無事故郷に帰れるのか!?」というドキドキ感は本当に面白い。

ヴェルヌさんうまいよね。

十五人という人数も、その年齢構成・性格付けも。

ゴードン、ブリアン、ドニファンはこんな危機的状況でなくても十分にリーダーとしての資質を備えた子達だけど、もしも十五人がみんな同い年だったらどんな展開になっていたか。

「面倒を見なければならない」年少の子ども達がいることは、もともとしっかりしている年長の子達にとっても、一層「しっかりしなくちゃ」という責任感を生んだんじゃないかなぁ。

もし同じ学年の子達だけで遭難したんだったら、仲間割れがもっと早くに起こっていた可能性もありそう。

小さい子達の「世話をしなければならない」という意識、小さい子達から頼られ、賞賛されることから生まれる誇りや自信。

異年齢の集団って大事だよな、と。

そしてもちろん、ブリアン1人に小さい子14人、ではいくら何でも荷が重すぎるわけで、反目はありつつも相談したり役割を分担したりできる同じレベルの“仲間”も必要。

いやー、ほんま絶妙です。


さて。

昔読んだ時はあまり気にしなかった「無人島=チェアマン島」の位置。少年達が2年を過ごすことになったあの島は一体どこにあったのか。

最後の方でかなり詳しく述べられていたので地図帳見てみたんだけど……んんん? こんなにチリに近い場所????? 全然絶海の孤島じゃないじゃん!

ま、だからこそ「助かる」んだけども、しかしいくら何でも近すぎる。

ネット検索してみると「本当のモデルはそこじゃなくてこの島」みたいなのが出てきます。

あくまで「架空の島」で、現実のチリ沿岸の島ではないみたい。

椎名誠さんがモデルの島を旅した本、というのも出ているそうな。


ヴェルヌさんの『神秘の島』も読みたくなってきた。いや、でも私には『ルパン』が…!

読みたい本、いっぱいです(≧∇≦)