(『オブローモフ』上巻の感想はこちら。中巻の感想はこちら

はい、下巻です!

中巻は分厚いこともあり、オブローモフの恋のうだうだぐずぐずがかなりうっとうしいこともあり、途中なかなか頁を繰れない日もあったのですが。

下巻は一気読み!

まぁ分量も上巻・中巻に比べずっと少なくて、252頁しかないのですけど。

しかしこの252頁がなんと濃いことか!なんと深いことか!!!

いやー、もう、びっくりした。ゴンチャロフさんソンケー。

中巻の最後でオリガに振られ、「神経性の熱病」でダウンしてしまったオブローモフ。

下巻第四篇の冒頭は「それから一年経った」。

病気は回復してオブローモフは相変わらず未亡人のおかみさんアガーフィヤが切り盛りする下宿で「食っちゃ寝食っちゃ寝」の生活を送っている。

平穏に。

幸せに。

相変わらず自分の領地オブローモフカを見に行くこともしなければ、そこから来る計算書にしっかり目を通すこともなく、農地経営のプランも立てず、外国にも行かず。

だらだらと、ただ食べて寝て、日を過ごす。

下宿の「女主人」であるアガーフィヤは30過ぎの(たぶんオブローモフと同じくらいか少し年下か、という雰囲気)未亡人、二人の子持ちで、夫の残してくれた「家」にオブローモフという下宿人を置き、同居する小役人の兄のお金とで生活している。

決して知性や教養にすぐれているとは言えないし、書類だの契約だのということはさっぱりで、兄に騙されて読みもしないで書類にサインし困ったことになったりもする、シュトルツに言わせれば「平凡で愚鈍な」女性なのだけど。

しかし彼女は家事についてはプロフェッショナルなのだ。

料理もうまいし、洗濯や裁縫、掃除もぬかりなく、常に家の中を動き回っている。

彼女の有能で働き者の「主婦ぶり」を認めたオブローモフは「いっそうちの台所の面倒も見てくれませんか」とお願いする。

「下宿」といっても「部屋貸し」なので、もともとは「生活」は別。オブローモフには例の役立たずの下男ザハールと、そのザハールと結婚した下女のアニーシャがいて、その二人が一応オブローモフの面倒を見ていた。

アニーシャはなんでザハールなんかと結婚する気になったのかわからない、働き者で家事のできる女だったので、有能な主婦であるアガーフィヤにすっかり心服して、アガーフィヤもアニーシャを良きパートナーとして、喜んでオブローモフの生活の面倒一切を引き受ける。

家の中で裁量することが増えて、さらにたくさん料理を作ったり、さらに洗濯物が増えたり繕いものが増えたりすることを、アガーフィヤは喜ぶタイプの女性なのだな。

私には信じられないような人(笑)。

そんなアガーフィヤのおかげでオブローモフの衣類は常にこざっぱりと清潔に、部屋からは埃や蜘蛛の巣も消えるし、食事は豪華に、食後の珈琲やおやつなんかも実に充実したものになる。

アガーフィヤの忙しく働く姿を戸口の向こうに見ながらだらだらするのがオブローモフの「幸福な日常」になっている。

それはかつて両親が生きていた時代に田舎で経験した生活。

彼らは、家の中を絶えず歩きまわり工夫をこらす目があり、休むことを知らぬ手があって、それが彼らに着物を縫い、飲み食いをさせ、着替えをさせ、靴をはかせ、寝かせつけ、死んだら目を閉じさせてくれる、――それをちゃんと承知しているのだった。ちょうどそれと同じように、ここでもオブローモフは、じっと長椅子に座ったまま、何かしら敏活なものが自分のために動いているのを見た、よしんばあす太陽が昇らないで、つむじ風が天をおおい、嵐が宇宙の端から端を吹きまくろうとも、スープと焼き肉は彼の食卓に現れ、彼の肌着は真新しく清潔になっており、壁の蜘蛛の巣は払われているに相違ない。しかも彼は、それがどんなふうにしてできるのか知りもしないし、自分は何がして欲しいのか、考えるのさえ面倒くさいのだ。そんなことはちゃんと察しられて、彼の鼻先へ運ばれてくる」 (下巻P20)

幸福な、「旦那」としての生活。

そしてそれを支えるアガーフィヤも幸福なのだ。彼女は決してイヤイヤ他人の面倒を見ているわけでもなく、オブローモフの機嫌を取ったり下心を持ったりするわけでもない。純粋に家事が好きなのだし、自分の料理が人の舌を喜ばせたり、自分の家政の采配が人を心地よくさせていることに満足しているのだ。

オブローモフは日一日とアガーフィヤに親しんでいく。もちろんその親しみ方は「恋」などというものとはずいぶん違っている。

また何より肝腎なのは、それらがすべて平穏に行われたことである。彼はいま心臓にはれものができたような気持はしなかった。かみさん(アガーフィヤのこと)に会えるかどうか、彼女が何と考えるだろうか、彼女に何と言ったものか、その間に何と答えたものか、などという心配で胸を躍らしたことはついぞ一度もない、――それこそきれいさっぱりである。 (下巻P21)

そこに情熱的なものは何もないのだけど、でもオブローモフはアガーフィヤの忙しく働く姿を眺めるのが好きで、この「かつて育った家」のように居心地のいい場所を離れようなどとは思えない。

だからシュトルツが久々に顔を出して「こんなとこにいちゃダメだよ」と言っても動く気にならない。まぁザハールが埃だらけにしていた前の住居からだって全然動く気にはならなかったんだけども。

「ぼくは何にもできない」というオブローモフに、シュトルツは言う。

「つまり、できるようになろうという意欲がないのだ」 (下巻P39)

あらららららら。

それを言っちゃあおしめえよぉ~~~。

確かにシュトルツの言ってることは正しいんだけど。オブローモフには「やろう」という気持ちがないし、そもそも「なぜやらなくちゃいけないのか」ってことがわからないんだもの。

幸い彼には領地があって、お金には困らないし、そこの管理がまずくなってお金が入ってこなくなっても、それでも彼は「仕方ないなぁ」としか思えない。実務に立ち向かうことに比べたら、ひもじい方がまだましだと思う人間なんだ、彼は。

うーん、これもちょっと違うのかな。そういう生活上の面倒事は「誰か」がやってくれるべきもので、自分で「やらなきゃ!」というものではない、というか。

「旦那」だから。

彼には出世しようとか金儲けしようとかいう欲はないし、ただ平穏に幸せに、食っちゃ寝食っちゃ寝できればいいわけで、「なぜあくせくしなきゃいけないのか」「なぜここでぐうたらしていてはいけないのか」がわからない。

「どうしてぼくは他の連中みたいにできないのか」という思いがちくちくと彼の胸を刺すことはあるけれども、逆に「どうして他の連中はあんなにあくせくしてるのか」とも思えて。

人間って何のために生まれてくるのかなー、と思います。

どんな名声を得てもどんなにお金を儲けても結局は死んでしまうし、人類そのものがいつか消えてしまうだろう中で「名を残す」とか言ってもあれだし、結局死の間際に「ああ、いい人生だったな」と思えるように生きていくしかないんだけども、その「いい人生」って人によってやっぱり色々じゃないの、と思うと、オブローモフの人生はそんなにひどいものかなぁ、と……。

イヤイヤ無理にがんばってあくせくと心臓ばくばくしながら実務に立ち向かって、それで「ああ、いい人生だった」と思えるのか。

食っちゃ寝食っちゃ寝、面倒事はすべて後回し先送り人任せにして、それで「ああ、いい人生だった」と思えるのか。

うーん。

このシュトルツの訪問によって、オブローモフの領地からの上がりを横領していたアガーフィヤの「兄」の計略が暴かれ、領地の管理はシュトルツの支配下に置かれるのですが。

「兄」もその相棒タランチエフもそれで諦めたりしない。

オブローモフがアガーフィヤに親しんでいるのをいいことに、「妹を傷物にして!」とかいう脅し文句ででっち上げの借用証書にサインさせ、今まで以上にオブローモフからお金を搾り取り始める。

……実務ができないって、哀しいね、ほんと…。騙される方が悪いの?自己責任なの?

さてオブローモフがさらに悪党の罠にはまったことは一旦置いておいて。

シュトルツとオリガである。

中巻でオブローモフに「恋」をし、「この人は一生自分から動きやしないんだ!」と理解して見切りをつけたオリガは、それでもやっぱり「傷心」だった。「破れた恋」によって女として成長してしまったオリガは以前のように単純で明快であけっぴろげな「小娘」ではいられず、どこかに憂愁の影を刷いて、シュトルツを魅了するのである。

「この子のことならお見通し♪」と思って侮っていたのが急に「謎めいて」しまって、「なんだなんだ、何があったって言うんだ!」とシュトルツはオリガに夢中になってしまうのだ。

オリガはオリガで行動的で頼りになるシュトルツをもともと兄とも慕っていたし、彼が自分に向けるようになった熱いまなざしにも気づき、惹かれていくのだが。

オブローモフとのことがネックになって、なかなかシュトルツの胸に飛び込めない。

最終的には全部打ち明けて二人はめでたく両思いになるんだけど、「オブローモフ!?そんなの恋じゃないよ!」と一蹴してしまうシュトルツ…あんまりだろ(^^;)

オブローモフに対する「あやまち」なら「あやまち」のうちに入らないよ、なーんだ、心配して損したよ、はっはっはっはっ。

そないオブローモフをバカにせんでも。

オブローモフがいればこそ、彼への「恋」を経験してこそオリガはシュトルツの目に「謎の美女」として現れたというのに。いわば「恋のキューピッド」なのに。

オブローモフはオブローモフでオリガとシュトルツが結婚したことを聞いて素直に祝福する。相手が他の誰かでなく親友シュトルツだった、それなら良かった、というのもわかるけど、しかしお人好しというかなぁ。

なんと善良なる魂か。

しかしまったくシュトルツとオリガは大変お似合いなのだ。二人とも非常に積極的、行動的。当時の上流階級の夫婦なんて「恋」だの「愛」だので結ばれるものじゃなく、『平凡物語』で描かれたように「金や社会的な地位」のために行われるようなもの。互いに信頼し、高めあい、人生の良きパートナーとして……なんて考えはなかったような時代に、二人はそれを実行する。

ある種の人々が、まるで社交界へ入ってゆくとき会釈でもするように、愛というものを夫婦生活のいろはか作法の形式みたいにさっさとすませて、一刻も早く仕事に取りかかる有様を見て… (下巻P163)

シュトルツはずっと疑問に思ってたのですね、「愛」とか「夫婦」ってそんなものでしかないのか? そうではない形があってしかるべきじゃないか、と。

そして彼の前には知性も行動力も備えた、夫と同じレベルで人生を歩める女、オリガが現れたわけです。

彼は妻が自分とまったく同じように理解し、自分に劣らないほどの思慮分別を持っているのを見出した…ザハールはてまえの女房のそういう才能に侮辱を感じたものである!また侮辱を感ずる連中も少なくないのだが、――シュトルツは幸福であった。 (下巻P171) 

「侮辱を感ずる連中も少なくない」って、鋭い指摘だなー、ゴンチャロフさん(笑)。

シュトルツも、シュトルツのような男性を描き、そのパートナーとしてオリガのような女性を造型するゴンチャロフさんも、当時としては進歩的だったんじゃないでしょうか。

オリガはあまりにも「良きパートナー」すぎて、シュトルツはしんどくなるぐらいだったりする。

しかし、彼も長い間、ほとんど一生涯、ある一つのことに苦心しなければならなかった。というのは、自尊心のつよい、誇りの高いオリガの目から見て、男性としての品位を始終同じ高さに保ってゆくことであった。(中略)万が一、少しでも良人に対する彼女の信頼が揺らいだならば、そういうことも起こりかねないのだ。 (下巻P192)

オリガとシュトルツは似合いの二人、ベストカップルではあるんだけど、この「常に向上心満開」で相手の要求するレベルをクリアしていなくちゃならない関係というのは、かなりしんどいものじゃないかなぁ。

一時的な「恋」ならそれも可能だろうけど…だからこそそれは「一時的な恋」に終わって長続きしないのだろうけど、「夫婦」として生涯そんな関係を続けようと思ったら!

だから…かどうか知らないけど、幸福なはずのオリガに「ふさぎの虫」が取り付いたりもする。

この「ふさぎの虫」の原因は今ひとつはっきりしないんだけど……常に夫に美点を発見し続けなければいけない、常に「生活」に発見と驚きを感じ、向上していかなければならないという自分自身の性格に疲れて、「生活」はもうあらかた探検されつくしてしまったのではないか、「これ以上」はないのではないか、退屈と倦怠が私にも襲ってくるのではないか……そんな「漠たる不安」のようなものかもと。

この、シュトルツとオリガの関係は、オブローモフとアガーフィヤの関係に対置されている。

「兄」とタランチエフの計略にはまってオブローモフの手元に金がなくなり、「兄」が結婚して家を出て行ったせいでアガーフィヤの手元にも現金がなくなり、食べる物にも困るようになると、アガーフィヤは自分の嫁入り道具を質に入れて金を工面するのだ。

オブローモフにご馳走を食べさせたい一心で。

彼女自身も彼女の子ども達もお粥で我慢しながら、オブローモフにはなんとか「旦那」らしい食事をと苦心する。

なんと健気な!

これが「愛」でなくて何だろう。

アガーフィヤ自身はそんなふうには思っていなくて、ただ「あの方に恥ずかしい思いはさせられない」と奔走するだけ。自分の嫁入り道具を質に入れたことなどオブローモフには一言だって言いやしない。

オブローモフはオブローモフで手持ちのお金がなくなったからって自分じゃ全然どうしようともしないし、自分にはちゃんとした食事が出るのにアガーフィヤや子ども達は粥で済ませている、なんてこともたぶん気づいていない。

「旦那」と、旦那に献身的に使える下女、といった関係でしかないように見えるのだけど。

現代の基準でも、過去の基準でも、そんな関係で女が幸せなわけはない!と思えるような関係なのだけど。

けれども、彼女はこの生活を愛した。心配と涙の苦い味にもかかわらず、彼女はこの生活を以前の平安無事な時代に、――まだオブローモフという人を知らないで、(中略)見変えはしなかったであろう。 (下巻P117)

オブローモフはオブローモフで、アガーフィヤの苦労など知ろうともしないくせに、シュトルツの前で彼女の料理がいかにうまいか、彼女がいかに素晴らしい世話女房かを自慢して聞かせる。オリガにはこんな料理は作れっこないよ、ぼくは彼女なしでどうして田舎で暮らせるか想像もつかないよ、などと。

互いに自分が「恋してる」なんて想像もしないし、実際問題「恋」なのか?という関係でありながら、二人は幸せな、こちらも「似合いのカップル」だったりするのだなぁ。

「愛」の形は様々だ。

シュトルツのおかげで「兄」とタランチエフの策略はまたも打ち破られ、領地から上がる収入はきちんとオブローモフのもとに届くようになり、アガーフィヤの苦心惨憺質屋通いの日々は終わる。

年月が流れ、アガーフィヤとオブローモフは晴れて(?)結婚し、赤ん坊まで生まれる。

相変わらず社交界に出ようとも働こうとも思わないオブローモフだけど、時には家族で芝居小屋に行ったり、お祭りに出かけたり、「幸福な」家庭生活を送っている。

オブローモフは、うるさく悩ましい生活の要求や威嚇と手を切ったのに、内心得意であった。 (下巻P211)

他の人たちは、――とオブローモフは考えるのであった、――生活のわずらわしい一面を表現するめぐり合せになって、創造の力と破壊の力に動かされている。人にはそれぞれ与えられた使命があるものだ! (P212-213)

相変わらず「食っちゃ寝食っちゃ寝」の不健康な生活でオブローモフは脳溢血で倒れちゃったりするんだけど、美食で早死にするのと粗食で長生きするのとどっちの人生がより幸福か?は難しい問題だと思うわけで。

アガーフィヤの厳しい監督の目のもとリハビリに励んで、オブローモフはその後まだ数年世間と隔絶された平穏な家庭生活を送る。

そしてそこへ久しぶりに訪ねてきたシュトルツに「この穴から外へ出るのだ、この泥沼から光のなかへ、人間らしい健全な生活のあふれている広々とした世界へ!」などと言われる。

アガーフィヤと結婚し、一児をもうけたと打ち明けられるとシュトルツ、「破滅してしまった!」って、えーーーーー!?

いくらなんでもそれはあんまりだと思うよ、シュトルツ。アガーフィヤとの結婚生活は二人にとってとても幸福な、文字通り“ぬるま湯につかっているかのような”心地よいものだったのに。

そりゃあ腐っても「貴族」で「旦那」のオブローモフが身分も何もない子連れの未亡人を娶るのは傍目には「料理女に手を付けた」ぐらいのものだろうけど。

オブローモフ自身それを恥じてかなかなか結婚したことをシュトルツに言い出せなかったりしたけど。

でも「破滅」だなんて……。

そりゃ「ぬるま湯につかってちゃダメだ」って言いますけど、でも「破滅」だなんて。

結局オブローモフは甘やかされた不健康な生活ゆえに早世してしまうんだけど(上巻で30歳くらいと言ってて、1年経って5年経って、えーと、40ぐらいで死んじゃったのかな?)、彼が亡くなった後のアガーフィヤの嘆きと言ったら!

忘れ形見の赤ん坊はシュトルツのもとに引き取られ、前夫との子ども達もそれぞれ嫁に行ったり就職したりして、彼女は一人になる。一人で、兄夫婦に「料理女」としてこき使われる。

シュトルツはもちろん自分達のところに来ないかと誘うし、オブローモフの財産を受け継ぐ権利が彼女にはあるから、相応の金を彼女にきちんと送ってやる。

でもアガーフィヤは決して受け取らない。アンドリューシャ(オブローモフとの子どものこと)のために取っておいてくれと言って。

「これは、あの子のもので、わたしのものではございません。」と彼女は繰り返した。「あれには入り用です、あれは旦那さまですもの。わたしなんか、このままでもけっこう暮してまいれます。」 (P244)

恋など知らぬうちに結婚し、子どもを産み、夫に先立たれ、オブローモフとめぐり会ってもそれを「恋」だとも「愛」だとも思うことなく、ただ彼のために家事にいそしむことに喜びを見出し、日々の生活を送っていたアガーフィヤ。

今こそ彼女は、自分が何のために生活したかを知り、またそれが生きがいのある生活だったことを知ったのである。
彼女はきわめて充実した尽きることのない愛をそそいだ。オブローモフを恋人として、良人として、旦那さまとして愛したのである。ただ彼女は前と同じように、だれに向かってもその気持を話すことがどうしてもできなかった。それに、彼女の周囲の人々は、誰ひとりとしてそれを理解することができなかったに違いない。
 (下巻P243)

うわーん、アガーフィヤーっ(号泣)。

ホントにこのくだりは泣けて泣けて。

シュトルツとオリガの恋はそりゃ「上等」で「あらまほしきもの」かもしれない。でもアガーフィヤの「誰にも理解されないであろう」この「愛」も、決してひけを取るものじゃない。むしろこれこそ本物の、無私の愛ではないのか。

うわーん、アガーフィヤーーーっ(さらに号泣)。

一番最後にはザハールのオブローモフに対する、すでに絶滅危惧種になっていたらしい「旦那」という存在に対する感慨が述べられて。

うう、ここも泣ける。

時代の流れが、人にかしずかれ人に寄生するだけの「旦那」を許さなくなっていたのだろうけれども。

労働と、それによる社会との結びつきが人間を人間たらしめる、というのもそうなんだろうけれども。

「旦那」は「旦那」でいることによって下男たちに仕事を与えていたし、アガーフィヤのような「世話女房」に生きがいを与えていた。

オブローモフが死の間際に「いい人生だった」と思ったか、「ぼくだって他の人のようにできたはずなのに…」と哀しんだか、どっちだったかはわからない。

でもそんなにひどい人生だったのか。

「破滅」とか「犬死に」とか言われなくちゃならないほど。


人生というものを、本当に考えさせられる作品です。


思えば、『平凡物語』では田舎から出てきた夢見がちなお坊ちゃんアレクサンドルが「生き馬の目を抜く都会」でことごとく夢に破れ、最後には都会に適応して、「金目当ての愛も何もない結婚」をする俗物に成り果てる。

そして都会でしたたかに生き抜いてきた叔父さんは、最後の最後に妻のために一番大事だったはずの「仕事」を擲つ。

アレクサンドルと同じように田舎から出てきたお坊ちゃん(というか「旦那」)であるオブローモフは「生き馬の目を抜く都会」に適応することができず、さりとて田舎に戻ることもできず、社会的には役立たずのままひっそりと短い人生を終える。

そして一方にアレクサンドルが最初思い描いていたような、相思相愛、お互いにお互いを高めようとする“理想の夫婦”シュトルツとオリガが登場し、また一方に、アガーフィヤとオブローモフという、一見奇妙に見えながらその実深い愛情をたたえた“夫婦”がいる。

『平凡物語』で、十分な知性や優しさを備えながら夫に従属するしかなかったリザヴェータは『オブローモフ』でオリガへと“進歩”し、さらに『断崖』でヴェーラへと変貌を遂げる。

初めの二つの長編が「田舎から都会へ」であるのに対し、『断崖』は「都会から田舎へ」の物語。

アレクサンドルほどバカではないし、オブローモフほど「旦那」でもないライスキーは、でもやっぱり夢想家で、どっか地に足が着いてなくてふわふわふらふらしている。

そんな彼が故郷=田舎に戻って、そこに「帰るべき場所」「根っこ」を見つけて、相変わらずふらふらしながらもその後の人生をたぶん幸福に生きていく。

そして男性と対等に生きられる能力を持ったヴェーラはそれゆえに「新しい」「既存の価値観をひっくり返すような」男、マルクに惹かれ、しかし結ばれない。

主人公たるライスキーとヴェーラは「兄」と「妹」にしかならなくて、「夫婦」にはならない。

「愛」と「人生」をめぐる難問への、ゴンチャロフさんの思索の変遷。

そこにはもちろん当時のロシアの社会情勢が影響しているのでしょうが、今150年の時を超え、国を超え、読んでみても、そこに描かれたテーマはちっとも古くないと思えるし、『平凡物語』から『断崖』へと進んでいく流れも何か、「わかる」ような気がするのですよね。

「人生」とは何か。とりわけ、「幸せな人生」とは何か――。

ゴンチャロフさんに乾杯♪