『宇宙を織りなすもの』上巻の第二部「時間とは何か」というところを読みました。
時間とは何か?
……わかりませんでした……。
結局まだ「時間」というものはよくわかっていない。それを表現する物理学上の方程式は発見されていない……という感じでした。
古典物理学の方程式ではすべての時間は対等に扱われ、論理上「現在、過去、未来」という区別はない、というお話とか、エントロピーがどうのこうのとか、空間のところでも頭がこんがらがった量子力学とか、それぞれの論は興味深かったんだけど。
でも結局、「時間はなぜ流れる」のか、そもそもホントに流れてるのか、なぜ不可逆なのか、ホントに不可逆なのか、そーゆー根本的なところはまだわからない。
「科学は“現在”の特別さを捉えられない?」というセクションタイトルが出てくるぐらいですから。
私のような一般人が知っている物理の方程式というと「運動」に関するもので、加速度がどうこうとかっていうぐらいしか思いつけないけど、そもそも「運動」してるためには「時間の幅」が必要だから、「現在という一瞬」は扱えないんだよね???
「変化」を問題にする場合に、止まっている「一瞬」というのは意味がないから。
意味がないんだけど……でも、A地点からある速度である方向に投げられたボールが「その一瞬」どの位置にあるかっていうことは一応予測できるはずで、「その一瞬」にボールが占めている「位置」は実在し、「その一瞬」も実在するはずで……。
わかんな~い。
でもそうか。「その一瞬」を予測するためには「時間の幅」から割り出された「速度」というものが必要になってくるんだから、本末転倒というか「卵が先か鶏が先か」というか、「幅のある時間」という前提があってこその“現在”なんだよね???
方程式上「速度」はマイナスの値をとってもなんら問題はないから、「未来」も「過去」も方程式上は「対等」なものとして扱われる。
「速度」がマイナスになるってことは、「距離」か「時間」のどちらかがマイナスになるってことで、「距離」がマイナスになるってことは、ある基準点からある方向へ進む力の向きを「プラス」と考えた場合の「逆向き」ってこと。
私が車を時速40キロで走らせてたとして、対向車線ですれ違う車は全部時速が「マイナス」……という考えで合ってるんだろうか???
「時間」がマイナスというのは、時速40キロで走っている私の車が「2時間前」にはどこにいたかってこと? いや、時速が「マイナス40キロ」なんだから、やっぱり反対方向に走ってるのか??? でもそれじゃやっぱり「時間」がマイナスになってるわけではないような。
時間も距離もどっちも「マイナス」だと速度は「プラス」になる。
方程式上、時間は「マイナス」になれるし、「何時間前」という考え方をすればその計算式の意味するところを飲み込める気がするんだけども、でも実際には私たちは「過去へ戻る運動」はできない。
2時間前にいたところまで車を走らせることはできるけど、それは「距離」がマイナスになっただけで、「時間」はプラスなまま。さっきとは別の新しい運動をしているだけだ。
だから何?
わかりません。
「相対性理論」では「相対運動をしている観測者は“同時性”が異なる」という話が「空間」のところでも出てきたけど、「光速」にならなくても、「十分な距離」があれば「ズレ」は大きくなるので、何億光年離れた場所にいるAさんと、地球にいる私との「今」はどんどんズレていく。
Aさんと知り合うことはまぁありえないから、どんなにズレてたってその「ズレ」に気づきもしなければ問題も起こらないけど、その考え方で行くと、「宇宙には、時空内のあらゆる出来事が含まれることになる」。
すごく面白くて刺激的だけど、でも、うーん。
ほんまかいな!?と思ってしまうよねぇ。
次の第三部は「時空と宇宙論」。「対称性」という言葉が出てくるけど……これって例のノーベル賞の「対称性の破れ」っていうのと関係する話???
わっかるかなぁ。わっかんねぇだろうなぁ。
でも面白そう。
がんばって読みます。
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