萩尾望都さん版『百億の昼と千億の夜』を読んだ後、原作である光瀬龍さん版の『百億の昼と千億の夜』を読み返しています。

今、光瀬さん版はハヤカワ文庫でしか買えないのかな?

私が持っているのは1980年初版、1983年第七刷の角川文庫版。


中島梓さんの解説がついてます。

買ったのはたぶん高校1年の時。どこで買ったのかはよく覚えてる。

当時はAmazonなんてなかったから、本は本屋さんでしか買えない。

欲しい本を探して、駅前にいくつかあった書店をはしごするのが当時の趣味だった。

4つか5つぐらいあったけど、実は2つの書店が「駅前店」「商店街店」とかって出してるだけで、どれもそんなに大きいとこじゃなかった。

でもお店ごとに、「マンガがいっぱいあるとこ」「文庫がいっぱいあるとこ」「アニメ雑誌がいっぱい置いてあるとこ」とか特徴があって。

この『百億』を買った店舗は、今はもうない。

友達か誰かに聞いて、探してたのかな。「あ!あった!!」って思って棚から取り出したような。

当時はほんと、ネットなんかないし、本屋に並んでない本を知る機会なんて、新聞や雑誌の書評か口コミしかなかったもんね。

『百億の昼と千億の夜』。

このタイトルだけで、わくわくした。

「光瀬龍」っていう作者の名前も、なんかいかにもSFっぽくて、「かっこいいな」って思ってた。

今、読み返してみて、最初の「天地創造」の部分の描写とか素晴らしくて、「こんなの高校生で読んでたんだなぁ」ってちょっと感心(笑)。

それまで、中学生の時は新井素子さんとか『クラッシャージョウ』の高千穂遥さんとか、『ウルフガイ』シリーズの平井和正さんとかを読んでたんだよね。

少年ウルフじゃなくて大人の方のウルフガイ読んでて……中学生女子の読む話か!?(笑)。

今の小説って実はほとんど読んでないからほんとは比較できないけど、でも昔の小説って難しいな、って思う。

難しいというか、「わかりにくい」。

昔のアニメ、『ザブングル』とか『ダンバイン』見てても思うんだけど、説明があんまりなくて、最初の方、自分で「これってこーゆー世界なのかな?」「どうなってるんだろ?」って色々考えなきゃいけない。

親切じゃないんだよね、あんまり。

前に橋本さんがどこかで「わかりやすい言葉ばかりがあふれている」みたいなことを書いてらしたと思うんだけど、すぐに理解できる「わかりやすい物語」ばかり与えられていると、自分で考える頭がなくなってしまうような気がする。

なので、久々にこーゆー『百億の昼と千億の夜』みたいなお話を読むと、「ん?どうなってんだ??」とついていくのが大変な反面、読み応えがあって面白い。

日本語の使い方も、きれいで素敵だし。

萩尾さんのコミックでおさらいした後だから、物語を追うのはだいぶ楽なはずなんだけどね。やっぱり、「あれ?」って1行を何度も読み返したりしてしまう。

なかなか、時間がかかります。

がんばろ。

『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍・ハヤカワ文庫)をAmazonで購入

【関連記事】


救いといふもの~『百億の昼と千億の夜』~


世界はなぜ存在するのか~『百億の昼と千億の夜』~