江戸にどうして市民革命が起こらなかったかといえば、江戸には“市民”なんてものがいなかったからである。

……うーん、ミもフタもない。

でも、そういうことらしい。

江戸の町人たちは自分達のための演劇=歌舞伎を持っていたし、自分達のための絵画&メディア=浮世絵・読本も持っていたし、識字率も高くて、当時の世界の中でもかなり豊かな文化を持った人たちだった。

下手すると今の私たちよりずっと“豊か”だったんじゃないかと思えてくるほどなのだけど。

江戸時代、町人たちは実は税金を払っていなかったらしい。

ええっ、じゃ俺も今から江戸の町人になる!と言いたくなりますね。

それだけでも「今よりええやん」って思ってしまう。

江戸時代の身分制は、ご存知「士農工商」で、武士の次が農民。工業と商業、つまりは「町人」たちは、農民より下に置かれていた。

それは武士にとって大事なのが、「土地」と、その土地に付随する農民、そしてその農民が収穫する作物(主に米)で、「年貢(税金)」というのは「土地」に対して発生するものだった。

日本人の「土地」に対する執着っていうのは、やっぱり根が深いんだなぁと思うし、「米」を特別扱いするのも、歴史的なもんがあるんだよね。

で、町人というのは基本、「土地」も持ってないし、米も作らないし、従って税金も取れなくて、幕府にとっちゃ「よけいなもの」だった。

税金を払わなくていいなんて羨ましい!とつい思ってしまうけど、納税の義務がないってことはつまり、「国民じゃない」ようなもんなのだ。

別に、税金を払ってる「農民」が政治に参加できたというわけでもないんだけど、納税すらしない「町民」は、国のシステムとは何の関係もない、従って政治に何か関わりを持てるはずもない、「よぶんな」人々だった。

だから彼らは、「市民」じゃない。

どんなに豊かな文化を作っていても、「市民」じゃない彼らに政治的な思想・行動は生まれなくて、江戸に「市民革命」は起こらない。

江戸はもちろん身分社会で管理社会で、もし何か思想を持ったり、体制を変えるべく行動を起こしたりしたら、まず「死刑」ということもあった。

「直訴」は家族まで込みで「死刑」だったそうですから。

でも、そうじゃなくても町人たちは「革命」なんか起こさなかったろうな、と思う。

不満は色々あったろうけど、彼らは「豊かな文化」を持って日々を謳歌していたわけで、その現状を覆す必要なんて感じていなかっただろう。

黒船が来て、倒幕運動が起こって、徳川幕府は消えて「明治」が始まるけれども、江戸の町人は「倒幕」になんか何の共感も抱かなかったんじゃないかなぁ。

そりゃ、「外国」は怖かったかもしれないけど、システムとしては現状で全然OKなのに、なんでひっくり返す必要があるのかって。

今、私たちは自民党の二度の政権放り出しに怒って、年金問題だのなんだの、「政府はなってない」って色々文句たらたらなんだけど、でも、「国会議員を選んで、その議員が国を動かしていく」というシステム自体を倒そうとは思わないし、「政治をもっぱらに行う特別な人たち」になんとかしてほしいと考えるだけで、自分達で何か大きな行動を起こそうとは思わない。

不景気だと言っても「豊かな毎日」を謳歌している私たちは、すでにできあがった枠組みの中で安穏と暮らしていて、その枠から出ない範囲で文句を言っているだけだ。


明治維新は、町人たちではなく、地方の下級武士達が先頭に立って起こした。

貧乏で、何の実権も持っていなかったとしても、彼らはやっぱり「士農工商」の一番目に来る「支配階級」で、明治維新というのは「支配階級」の中で起こった権力争いのようなものだった。

橋本さんの他の本でも書いてあったけれど、日本という国は、「政治をもっぱらにする特別な人たち」と、「それ以外(=民衆)」の間に明確な壁があって、民衆が政治に絡んでくることはまったくない。

平安時代とか、一体一般人はどこで何をしてたのかな、って思うもんね。

貴族同士で人事をいじくるのが「政治」やったし。

「国」はあって、「国政」を担当する人たちがいて、でも「国民」っていうのが全然いない。ただ税金を取られてるだけの、「国政」を担当する人たちを養う人々がいるだけなんだ。

ギリシャやローマじゃ「市民」ってものがいたのになぁ。

「市民」が国を動かしていたのに。


下克上の戦国時代、豊臣秀吉は下っ端から成り上がって殿様になった。

でも彼は「下っ端のための政治」なんてものはやらなかった。

「下」の誰かが「上」に取って代わっても、その他大勢の「下」は「下」のまんまだ。

明治になって、「四民平等」ってことになったけど、でも「支配階級内の権力闘争に勝った長州や薩摩の人間」が「上」を乗っ取っただけで、「農工商」は「下」のまんまだった。

身分制社会の江戸時代が終わって、よりよい新時代が来たのかと思うんだけど、「明治」は「王政復古」でもあって、進歩したんだか退歩したんだかわからない。


前にも何度か書いてるけど、小学校や中学校で日本史を習った時に、江戸が終わってまた天皇が出てきた時びっくりしたもん。

「あれ? 天皇って江戸時代にもいたんだ?」って。

江戸時代どころか、信長や秀吉の「天下統一」のところでもう天皇は倒されていなくなったんだな、ぐらいに思っていたのに、ずーっと続いてて、江戸の終わりにひょこっと顔を出してくる。

「え? なんで???」

なんで信長や秀吉や家康は天皇に成り代わらなかったのか、なんで「天皇」は廃されなかったのか。

信長が「俺が日本の唯一の帝だ」って言っといてくれれば、雅子様が苦しむこともなかったのにねぇ。

「なんで時の権力者はみんな天皇をそのままにしといたか」っていうのは、橋本さんの色々な著作を読むうちにわかってきたけども、この本にもそれに関する記述がある。

「天皇が倒すに値するような存在で、そのことになんらかのメリットがあると思ったら、誰かがそういうことをやってたと思う。誰もそんなことにメリットを見出さなかったから、天皇というものはそのまんまあったんでしょうね」(P170)

もう藤原摂関政治の時代から、天皇は「お飾り」やもんね……。

「天皇っていうのがなにかっていったら、答えは一つしかないと思う。自分を主権者として規定することをメンドクさがる日本人の為に存在している、世俗の身分証明書発行機関ていう、ただそれだけだよね」(P170)

ただそれだけのもののために雅子様は苦労してらっしゃるのよねぇ……。


もしも江戸の町人達が「自分達も無関係ではいたくない」と「市民の自覚」に目覚めて、「フランス革命」を起こしていたら、その後の日本はどうなってたのかな。