昨日、デフラグを実行する待ち時間の間に、『双調平家物語』の最終第15巻をやっと読み終わった。
最終巻が出たのは昨年の10月で、早々に買ってはいたのだけど、なかなかひもとけずにいた。

何しろ分厚い。
532頁もあって、値段も3,360円。

刊行当初は、全12巻のはずだった。
それが途中で15巻予定にまで増えて、最後、それでも収まらなかったのだろう。15巻は16巻との合冊と思えるほど分厚いのだ。

途中から年1回の刊行になって、次の巻を読む時に「その前の出来事や人の名前」を思い出すのに苦労していた。
毎回読み始める時には覚悟がいった。

今回も、最初は苦労した。
でも読み進むうちにやっぱりどんどん面白くなって、すごく重いのに病院や体操クラブにまで持っていってページを繰った。

この、第15巻の半分ほどで主役を張るのが木曽義仲。
義仲といって思いつくのは「巴御前」ぐらいしかない。
なんか途中で死ぬのよねぇ、ということしか知らなかった。

義仲は、とんでもなく哀れだった。
読みながら、腹が立ってしょうがなかった。
義仲は、都に上って平氏を逐う。
平氏追討を命じていた都人達は、平氏さえいなくなればそれで良くて、それ以上には義仲を必要としない。それどころか、彼が率いる大勢の武者が怖くてたまらない。
武者に襲われたら闘うすべを持たない都の貴族達は、義仲が平氏と同じように「武」でもって自分たちの優越を侵すのではないかと怖れ、義仲を遠ざけようとする。

都のルールを知らぬ義仲は報いられぬことに業を煮やして院の御所を焼き、「朝敵」となってしまう。
そして、平氏を追い払った義仲は、今度は自身が追い払われて、哀れな最期を遂げる。

何なんだ、と思う。
義仲だけでなく、清盛もそうだった。
御代の最大権力者、とんでもない狸親父の後白河院に利用され、捨てられて、破滅への道を歩んでいった。

何のためだか分からない平氏と源氏の合戦で、累々たる死体の山ができて、後白河院だけがのうのうとして、貴族達は院のやり方を厭いながら刃向かうこともできず、ただただ無能をさらす。

別に都に上りたかったわけでも、天下を取りたかったわけでもない義仲がまんまと都におびき寄せられ、挙げ句に「朝敵」として死んでいく様を読んでいると。
「一体なんだったんだ こんな暮らし
きっと何もかもが違う!
何もかもが違う!!!」
と尾崎豊したくなってしまう。

平氏は滅びるし、その平氏を討った義仲や義経も逐われ、源氏の鎌倉幕府はあっという間に北条に乗っ取られる。
そして平氏と源氏を争わせた後白河院や朝廷の力はその後すっかり衰える。

時代の転換期に、それは必要な犠牲だったか?
名の残った将軍達はまだしも、ただ従っただけの名もなき雑兵たちの屍は何のために必要だったのか。
それで新しい時代が来て、世の中は良くなったのか――?

何だったんだろう。
この争いは何だったのか。
意味など、ないのかもしれない。
人の世はすべてそのような、戯れの夢かもしれない。

はぁ。

橋本さん、大変お疲れ様でした。
そして、ありがとう。