などという本は、残念ながら存在しません。
将来的にも、出版されることはないと思いますが(笑)。

『小林秀雄の恵み』というタイトルを見た時から、ずっと「それを言うなら私にとっての“恵み”は橋本さんだよなぁ」と思ってて、読んでいる間もずっと“橋本さんの恵み”を感じ続けていたのです。

何しろ、“小林秀雄”について書かれた本を手に取ってしまうというところからして“橋本治の恵み”なわけです。
橋本さんが書いたんじゃなかったら、そんな本に近づくわけはないんですから。

『小林秀雄の恵み』の中には、『源氏物語』の和歌についての言及があります。
そして、日本における仏教というもののあり方を語る中には、「信西」という人の話があります。
どちらも「なるほど」と面白く読んだのですが、そこがちゃんと読めたのは、橋本さんの『窯変源氏物語』、『源氏供養』、『双調平家物語』があったればこそ。
(信西は、『平家物語』中の平治の乱に出てくる人です)

橋本さん自身も、自分で『源氏』と『平家』を書いたからこそ理解できる部分、説得力をもって語れる部分があったんだろうな、と思うけれど、ともかく私が『源氏物語』だの『平家物語』だのに手を出せたのは、全部橋本さんのおかげなのです。

橋本さんが書いてくれたから、読めた。
でなかったら、まぁ『源氏物語』はともかく、『平家物語』なんか一生読まないまんまで死んでただろうなぁ。

私が橋本さんを知ったのは大学の時で、友達が『桃尻娘』を貸してくれたのがきっかけ。
あっという間に『桃尻娘』シリーズを買いそろえ、『デビット100コラム』だの『秘本世界生玉子』だの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』だの(…昔の橋本さんの本って、タイトルすごいな…)、手に入るものは片っ端から読んで、そうこうしてるうちに『桃尻語訳枕草子』が刊行され、『窯変源氏物語』が始まり……。

橋本さんとの付き合いも、かれこれ20年。
ほとんどの著作を買って持っていて、「橋本治しか読まない」に近い状態だったりもします。

橋本さんが古典に向かってくれたおかげで、私は『源氏』や『平家』や『枕草子』や『徒然草』を読むことができました。
そして橋本さんの『ああでもなくこうでもなく』を代表とする膨大な思索に触れることで、私自身も「ああかな、こうかな」と色々考えることができている。

小林秀雄には『考えるヒント』という著作があって、読者に考えるヒント、きっかけを与える。そして小林秀雄自身も書きながら考えている、らしいのですが、私にとって橋本さんの著作はすべて「考えるヒント」で、「そうか、そういうことか」と新しい視野を開いてくれると同時に、本当に色々たくさん考えさせてくれるのです。

橋本さんの言うことは「自分の頭で考えなさい」で、橋本さんの本には、「私はこのように考える」はあっても、手っ取り早い答えやゴールというものはない。
『小林秀雄の恵み』の中で、一神教の神様は「ゴールを指し示すもの」、仏は「ゴールは指し示さず、道を一緒に歩いてくれる同伴者」というような話が出てきます。
それで、「小林秀雄は読者にとって仏である」みたいになるのだけど、その伝で行くと、「私にとって橋本治は仏である」です。

手っ取り早いゴールを提供する人を、私は信用しません。

橋本さんという仏にめぐりあえたことは、本当にありがたいことです。
橋本さんを紹介してくれた友人にめぐりあえたことも、実にありがたい。
何かを知ったり、好きになったりすると、そこからまた新しいものを知ったり好きになることができて、世界が広がっていく。

小林秀雄の『本居宣長』を読んで、橋本さんは「ちゃんと学問をやってみようかな」と思われたそうです。
橋本さんの本を読むと、自分がどんなに物を知らないかを思い知らされて、もっともっと勉強しなくちゃいけないな、と思います。(思うだけで勉強してないが)

小林秀雄の『本居宣長』も、本居宣長の『古事記伝』も読んでみようとは思わないけど、橋本さんの『古事記』は読まなくちゃな、と思うのです。

そのように偉大な橋本さんが、『小林秀雄の恵み』の最初の方で、自身の『窯変源氏物語』に触れて、
「本当のことを言えば、『たいしたことをやった』くらいに思いたいのだが、世間の方では『たいしたもんでもない』と言っているので、『やった』という事実をさっさと忘れるように努めている」
とおっしゃっています。

なんということでしょう!

「何しろ私がこの目で見た『窯変源氏物語』の唯一の評は『余分なことが書いてある』だった」

誰だ、そんな評を書いたのは!

『窯変源氏物語』は素敵な作品です。
もちろん私は『源氏物語』を原文でなんか読まないし、他の人の訳の『源氏』も読んだことはありません。マンガの『あさきゆめみし』でさえ、読んでない。
だから、比較することはできないけれど。
でも橋本さんの『源氏』が素晴らしいことはちゃんとわかる。そしてあれを読むことで、「紫式部はすごい」もちゃんとわかるのです。

どうして評価されないんだろう。
「余分なことが書いてある」なんて言ったのは、きっと賀茂真淵のような、「物のあはれ」のわからない人でしょう。

今年は『源氏物語』千年紀。
きっと本屋には瀬戸内寂聴さんあたりの『源氏』がいっぱい並ぶんだろうな。
皆さん、『源氏』を読むなら橋本さんですよ。
買えとは言いません。
図書館でいいんです。
図書館で、まず1巻目を手にとってください。
絶対損はしませんから。

橋本さんにいっぱい“恵み”をもらっている私は、こうしてささやかな宣伝をすることぐらいしかできないけれど。
いつか、何かの形でお返しができるような、そういう人間になれたらいいな、と思います。
たとえばそれは、私自身が誰かに“恵み”を与えられる人になることかもしれない、とか。

昨秋出た『双調平家物語』の最終巻を、やっと昨日読み始めました。
これもまた、賀茂真淵に「よけいなことが書いてある」と言われるものかもしれませんが、そのよけいなことがとても面白くて、「やっと日本史がわかってきたな」と思う読者もいるのです。

だからどうか、「たいしたことをやった」と、ちゃんと思っていてくださいね、橋本さん。