一年と数ヶ月ぶりのウールリッチです。全部読破してしまうと寂しいのでしばらく間を空けていました。未読のものは最寄りの図書館になくてすべて県立から取り寄せねばならず、それが少々めんどくさいということもあります(^^;)

Amazonさんでも文庫本は中古のみ。けれどもKindle版ならすぐ入手できます。文庫版とは表紙が違いますね。



この『恐怖』は、『夜は千の目をもつ』(1947年)と同じジョージ・ハプリイ名義で、1950年に発表された作品です。

『夜は千の目をもつ』は、「三日後に父親が死ぬ」と予言されて。「じわじわと精神を蝕まれていく」娘の心理描写が素晴らしかったのですが、今回も主人公プレスコット・マーシャルの精神が崩壊していく過程が「これでもか!」と描写されていて、なかなかしんどいです。

地位とお金を兼ね備えた憧れの女性、マージョリーのハートを射止め、いつ求婚しようかと心を逸らせていたマーシャル。ある夜、彼女と会う約束が反故になり、酒の勢いでゆきずりの女と関係を
持ってしまいます。

彼にとってそれは一夜の火遊びでさえなく、「酒による幻覚」の粋を出ないものでした。記憶にさえとどめていない。

その時点で彼は二つに分裂した。彼は歩いて行ったが、記憶はその場所に停まって、それっきり彼には付き添わなかった。 (P18)

こういう表現、さすがウールリッチ。うまいです。

その後、無事マージョリーにプロポーズし、「YES」の返事をもらったマーシャル。けれどその翌日、女が訪ねてきます。そう、あの夜、酔っ払って一夜を共にしてしまった女です。マーシャルは彼女の顔さえも覚えていなかったけれど、彼女の方は彼の素性を調べてあったし、預金残高まで知っていました。

彼女の目的はお金。

“ゆすり”です。

マージョリーや勤め先に話すわよ、と脅され、マーシャルはお金を払ってしまいます。それで片が付くなら、と。

もちろん、一度お金を払ったぐらいで終わるはずがなく、マーシャルはその女に脅され続けます。マージョリーとの結婚話を進めながら、女から逃げるため別のアパートへ引っ越すマーシャル。

けれど女はあっさり引っ越し先へも姿を見せます。結婚式の当日。今から式場へ向かおうとするその時に。

蓄積された憎しみと恐怖と苦悶の六週間が一瞬にして炸裂し、すさまじい閃光を発して彼の感覚を焼きつくしたのだった。 (P54)

追い詰められたマーシャルは発作的に女の首を絞めてしまいました。

死んでいた。この状態にあることは、死んでいるといわれる。死んでいるというのは、この状態のことをいうのだ。彼はいままでこんなふうになった人を見たことがなかった。 (P57)

これまたいかにもウールリッチ的でうまい叙述だなぁ、と思うんですが、最後まで読むと「もしかしてこの記述は伏線だったのかな?」という気もします。「死んでいるといわれる」……。

ともあれマーシャルは女の死体をクローゼットに隠して結婚式に向かい、女を絞め殺したその手でマージョリーの手を取り、生涯の愛を誓うのです。

式の間も「ぼくの体は血で汚れている」「彼女は一歩一歩人殺しの方へ近づいてきた」と、苦悶と恐怖におののいているマーシャルではあるのですが、警察に自首することも、もちろんマージョリーに真実を話すこともできず、新婚生活を始めます。

アトランティック・シティの夜景。花嫁のいる部屋の中での二重生活。秘密な思い。隠し事。眠っているものと見張っているもの。
アトランティック・シティの夜明け。新婚旅行の秘密の生活。はなればなれの生活。 (P72-73)

いやホントにこういう表現(以下略)。

マージョリーの父のコネを使ってニューヨークで出世できるはずだったマーシャル。けれど「人を殺した」場所に留まっていることができず、彼は別の土地で別の職につきます。不審に思い、また、ニューヨークを離れることに限りない寂しさを抱きながらも彼に付き従うマージョリー。お金持ちのお嬢さんぽいのに、家族とも、優雅な生活や社交とも離れてついてきてくれるマージョリー、偉い。マーシャルの挙動は明らかにおかしく、彼女の幸せを第一には考えてくれないというのに。

マーシャル、ただひたすら「自己保身」なんですよね。とにかく捕まるのが怖い。誰も彼もが「自分を捕まえにきた人間」に見える。

疑心暗鬼により精神を病んでいくマーシャル。その心理状態が克明に、しつこく描かれるので、正直読んでてしんどい。お話の性質上、「“こいつは俺の秘密を探りに来た探偵だ!”ってマーシャルはこんなに心臓バクバクさせてるけど、きっと違うんだろうな、一人で勝手にバクバクしてるんだろうな」ってわかっちゃいますしね。

「きっと違う」とわかりながらも、マーシャルのハァハァしんどい被害妄想に付き合わなきゃいけないので……体調悪い時にはあんまり読まない方がいいかも(^^;)

追い詰められて心が壊れていく系の描写、ほんとさすがウールリッチなんですけど、「これは短篇にとどめておくべきでは」と。

最後、とうとうマージョリーに顛末を知られて出て行かれ、マージョリーのニューヨークでの場面が不意に別の街のマーシャルの場面に切り替わり、どこまでが本当でどこまでがマーシャルの妄想なのか判然としなくなる、その描き方がまた。

うん、途中は読むのがちょっと面倒くさくなったけど、この「現実か妄想か」からラストまでの流れは見事。もうちょっと途中が短ければ……って、でも、あの「これでもか」の追い詰められ方あっての結末ではあるのよね。一つの罪を隠すためにまた罪を重ね、自縄自縛に陥っていく、あの2年があったればこそ。

最後、マーシャルは友人から

「だいたい、きみは何のために生きたいんだ? もしぼくがきみの立場になったら、生きようとは思わないだろうね」 (P307)

って言われるんだけど、本当に、「憧れの女性との幸せな結婚生活」を守るために人を殺して、でもその結果始終「自分を捕まえに来る影」に怯え、彼女を幸せにもできず、もちろん自分も幸せを感じるどころではなく、ただただビクビクする日々。

それでもマーシャルは「とにかく捕まらずに逃げおおせたい」と思うし、出て行ったマージョリーを連れ戻せると思ってる。マーシャルにしてみれば、自分がそんな羽目に陥ったのはすべてマージョリーを手に入れるためで――しかもマージョリーが急に「会えない」と言ってきたのがそもそもの発端――、「マージョリーと一緒に逃げおおせたい」なんだよね。

彼女しかいないから。

将来有望だったニューヨークでの暮らしを捨て、「追っ手」から逃げ回る日々。マーシャルにはマージョリーしか残ってない。

たった一度、ほんの出来心でさえない、酒の勢いで関係を持った女のせいで破滅するマーシャル。確かに哀れだけど、最初に脅迫された時に恥をしのんで警察に訴えてれば……。それができないのが人間、できなくて、怯え続けて、決して悪人ではない、善良な小心者だからこそ「恐怖」で精神を蝕まれていく。

被害者だったはずのマーシャルは加害者になり罪を重ねて、加害者だった「ゆきずりの女」は殺されて被害者。しかも……。

幸福は――人生は、あまりにも危うくて。

『耳飾り~コーネル・ウールリッチ傑作短編集5』に入っていた『選ばれた数字』という作品を思い出します。人違いでひどい殺され方をする若い夫婦の恐怖をただ描いた、救いのない作品。病気や事故や災害と同じに、何も悪いことをしていなくても殺し屋という災難がふりかかる。なぜ自分達だったのか、そこに合理的な理由なんてない。

マーシャルもまた、選ばれてしまった。逃げられなかった。

人生のはてしない悲哀の深淵が、まるで万華鏡をのぞくように、多様な叙情にいろどられて見える――ウールリッチの真価はそこにある。 (P319)

と、訳者さんがあとがきに書いてらっしゃいますが、本当にそのとおりだと思います。

板チョコレートの死。板チョコレートの埋葬。人間の死もそれと何の違いがあるだろう。死はやはり死だ。 (P167)

彼は長いプラットホームをただひとりで行った。人生の道をたどるように――ただひとりで。手荷物もなく、外套もなく、何一つ持たずに、ただ後ろから長い影に付き添われながら行った。 (P280)

こういう表現(と言っても私は邦訳しか見てないわけですが(^^;))がほんとにね、たまらないんですよね。