(※ネタバレありまくりなのでこれから本書を読む方はご注意下さい)

巨匠アシモフの銀河帝国(ファウンデーション)シリーズ5作目、いやぁ、面白かったです!!!

もともと、『鋼鉄都市』から始まるベイリ&ダニールシリーズのダニールのその後を知りたくて銀河帝国シリーズを読み始めたので、「ついにここまで来た!」という感じ。

「ダニールのその後」についてはなかなか出てこないのですが、「オーロラ」や「ソラリア」という星の名前だけでねぇ、もう、わくわくしちゃいます。

「地球は地底都市を作った」ペロラットはいった。「それらの都市を、かれらは〈鋼鉄都市〉と呼んだ」 (P238)

なんて記述も出て来ますし、〈スペーサー〉や〈セツラー〉といった用語も懐かしい。伝説上の人物としてベイリの名も出てきます。何しろベイリ&ダニールの時代からは2万年ほど経っているので、「一人の人物ではなく複数の英雄の話が一緒くたにされているのだろう」なんて言われていたりします。必ずしも実在しなかった、逸話は誇張されている、などと。

今、この現代から見て2万年前っていったらえーっと。「ウルム氷期のピーク」とか書いてありますね、Wikiの「地球史年表」に。
記録が残ってるも何も……ですよねぇ。ホモ・サピエンスは登場しているとはいえ、ラスコーの洞窟壁画でやっと1万8千年~1万6千年前らしいから。

よくベイリの名前が残っているものですわ。


で、さて。

前作『ファウンデーションの彼方へ』で、「地球」を探しに飛び立ったトレヴァイズとペロラット。「地球」ではなく「ゲイア」にたどり着いて、トレヴァイズは「今後人類は“ゲイア”的な世界とファウンデーション世界、どちらを選ぶのか」という選択をさせられてしまいます。

「なぜか常に正しい選択をする」という不思議な能力に恵まれたがゆえに、「選択者」として決定権を委ねられてしまったトレヴァイズ。自分の直感力には自信があるとはいえ、やっぱり「人類の今後」を自分が決めてしまった、というのはあまりにも重い。

なぜ自分はそちらを――ゲイアを選んだのか。心情的にはゲイアに賛成できず、

いかに大きく、いかに多様性があるとしても、惑星にひとつの頭脳なんて! (P30)

と言っているトレヴァイズなのです。少なくとも自分はゲイアの一部にはなりたくない、“孤立人”として人生を全うしたいと思っている。そのことでゲイアの女、ブリスともしょっちゅう口論になっているというのに、「人類の未来」としてゲイア的世界を選んでしまった。

地球にたどり着ければ、そのわけがわかる気がする。

自分を納得させるために、地球探索の旅を続けるトレヴァイズ。ペロラットと、そしてペロラットの“伴侶”となったブリスも彼に同行します。

「2万年」という時の隔たりだけでは説明できない、地球に関する記録の欠如。何者かが意図的にその位置と正体を隠している……だからこそ、地球を発見できさえすれば、自分がくだした選択の理由もわかるのではないか? 少なくとも、そこには何らかの隠すべき“秘密”があるはずなのだから。

というわけで、地球を求めてトレヴァイズたちはコンポレロンからオーロラ、そしてソラリアへと星々を巡っていきます。

ベイリ&ダニールシリーズの『鋼鉄都市』や『夜明けのロボット』で事件が起こったのがオーロラ、『はだかの太陽』の舞台だったのがソラリア。

『はだかの太陽』の後、ソラリアの女グレディアはオーロラへ移住し、ベイリの子孫とも恋仲になるのですが。

その記録には、その船の船長は〈スペーサー〉の世界を訪問して、〈スペーサー〉の女を連れだしたと、書いてあるんですよ。 (P144)

ふたつのグループ、つまり〈スペーサー〉と〈セツラー〉は混じりあわない、ということです。(中略)しかしながら、明らかに〈セツラー〉の船長と〈スペーサー〉の女とは愛の絆で結ばれていました。これはあまりにも信じられないことですから、わたしには、この物語はせいぜい一片のロマンチックな歴史的虚構としか受け取れません。 (P145)

2万年経ったらすっかり「夢物語」にされてしまっています。まぁねぇ、当時でも非常に珍しいケースだったんだものね。

ベイリが始めた第二波の植民活動。銀河帝国は〈セツラー〉によって作られ、〈スペーサー〉の世界は滅びてしまった。少なくとも、帝国の宇宙地図にはオーロラもソラリアも、記載されてはいない。ようやくたどり着いたオーロラに、すでに人類の姿はない。

そしてソラリアには。

ソラリアにはまだ、〈スペーサー〉が生き残っていたのです! 2万年前にすでに「他人とは顔を合わせない」「広大な敷地に一人で住み、用はすべてロボットがこなす」「他人と何か話す必要がある時はホログラフ」……という徹底的な「個人主義」を採用していたソラリア。

ついに「他人と接触するのは嫌!たとえ子孫を残すためでも!」と「両性具有」になってしまっていました。

うわぁ。

そんな簡単に人類が両性具有に……と思うけど、まぁ2万年あれば遺伝子操作で進化(退化?)しちゃえるか。

他の〈スペーサー〉がセツラーとの競争に負け、姿を消していく中、競争を拒否して引退したからこそソラリア人は今もまだここにいる、と語るソラリア人バンダー。

集団指向の連中は闘わなければならない、競争しなければならない、そして結局、死ななければならないのだ。 (P234)

うーん。

ゲイアのようにすべての生きものが一つの有機体として機能する、「個々」の人格を残しながらも「我々」でもある、という世界には、トレヴァイズと同じく「なんか嫌だ。自分は自分でいたい」と思ってしまうけど、だからってソラリア人のように「他人なんて要らないじゃん」と「孤立人」を極めてしまう世界というのも、さすがに……。

そんな両極端じゃない世界はないのかぁ。ちょうどいいぐあいに「個人」と「みんな」がバランスを持てるやり方は。

ないからこそ、世界は常に争いに満ちているのか……。

どこへ行っても地球についての記録は失われてしまっているけど、かろうじて残っている伝説はすべて「放射能が強くて近づけない」「あそこは死の世界だ」というもの。でもトレヴァイズやペロラットにはそれが理解できない。「どうしてそんなことが起こるんだ?」と。

原子力を兵器として使う、という考えが銀河帝国にはないので、「地球に近づけさせないためにそんな目茶苦茶な話をでっち上げたんだろ?」ぐらいに思ってる。

ああ、2万年後の人達、ごめんよ。人類は、自分達をほぼ滅亡させることができるぐらい原子力兵器を持っているんだよ。うう。

あっちこっちでけっこう大変な目に遭った末、やっと「こここそが地球だぁぁぁぁぁぁぁ!」とたどり着いたトレヴァイズ一行。その先に待っていたものは。

本当に放射能まみれで近づけない、人間どころが猫の子一匹、ウイルスさえもいないだろうという現実。

あああ、ごめんなさい。

でも。

最終的にトレヴァイズたちはダニールに遭うんです。

2万年の時を経て、まだ動いていたダニール。もちろん何度も部品交換とかはしていて、陽電子頭脳も5回も取り替え、そのたびに記憶容量アップして2万年分の記憶を全部溜め込んでいる。

ベイリとの思い出を決して消去したくない、と言っていたダニール。

「あなたがたの伝説で、かれがどのようにいわれているか存じませんが、実際の歴史において、あの人がいなかったら銀河系の植民は決して行われなかったかもしれません。地球が放射能を帯びはじめた後、わたしはかれの名誉のために、できるだけ地球のものを救出したのです」 (P438-439)

もちろん「かれ」というのはベイリのこと。
ああ、ダニール! ジスカルドを失って、たった一人世界に取り残された超高性能ロボット。人間とも、他のロボットとも違う、孤高の存在。

その長すぎる孤独な歳月を思えば、彼が人類のためになしたことは「献身」でこそあれ、「よけいなお世話」ではないはずなんだけれども。

でも、ファウンデーションやゲイアの黒幕にダニールがいた、って言われると、「え……」ってなる。

『ロボットと帝国』で、ジスカルドとともに「ロボット工学三原則第零法則」を見出したダニール。個々の人間に危害を加えないだけでなく、「人類全体に危害を加えてはならない。その危険を看過することによって人類に危害を及ぼしてはならない」

人類同士が相争って滅亡に向かうなら、ロボットはその危険を看過してはならない。

だから、『ロボットと帝国』の最後は

ダニールは立ち上がった。彼はひとりぼっちになった――その肩に、銀河系を背負って。 (『ロボットと帝国』文庫版下巻 P331)

だったんだけど。

あの最後、すごく心にしみたし、せつなくて、ダニール可哀想!!!って思ったんだけど。

実際にダニールが2万年銀河系を背負った結果がファウンデーションでありゲイアであり、トレヴァイズに「選択を託す」であった、と言われると。

……素直にその労をねぎらってあげられない……。

もちろんダニールの関与は間接的で、その時々の決断は人間がくだしているわけで、「世界はダニールの手の中にあった、人類はダニールの掌の上で踊らされていた」というわけじゃない。

ダニールがそうやって関与しなければ、銀河系から人類は消えていたかもしれない。死の星になった地球からなるべく多くのものを救い出したのもダニール。もしもダニールがいなければ……。

ああ、でも、ロボットが――たった一つの人工知能が、神のごとく世界を遠くから動かしているというのは。

AIが人間の仕事を奪うどころか、AIによる人間の評価(採用活動等への利用)も始まっている現在、人間よりもむしろAIの方が完全に「第三者」として客観的に判断できる、公平なのだ、というのはわからなくはないけど、人間に主観的に嫌われる方が、AIにデータ的に「あなたは劣っています」と言われるより精神的に楽なような。

AIだからこそ、ロボットだからこそ、利害得失の異なる人間達の思惑に振り回されず、客観的に「人類の未来」を描けるのかもしれない。

でも、人類ホントにそれでいいのか……。

ロボットは零原則+三原則に縛られているから――何を選んでも、やっぱり犠牲になる人々が出て来てしまうだろうから――、決断は人間であるトレヴァイズにしてもらわなければならない。

6個目の陽電子頭脳を作ることはもう不可能で、ダニールは「死にかけている」。

そのダニールの命を――2万年分の記憶を――繋ぐため、連れてこられたソラリア人の子ども。両性具有で、その身にエネルギー変換装置を持った、異質の人類。

「ここに――われわれのなかに――すでに敵がいるというわけではないんだから――」 (P452)

トレヴァイズの最後のセリフ。これを言う時、「決して間違えない直感力を持った」トレヴァイズは、不安の疼きを覚える。

やがて打ち立てられるであろうゲイア的な世界の主人は、果たしてどんな“人類”なのか。超孤立人と言ってもいいソラリアの子どもがダニールの役割を引き受けて、それで世界は本当に「ゲイア」に向かうんだろうか。

あああ、早く続き!!!

と思ったら「続き」はないんですよね。銀河帝国シリーズ6作目と7作目は時間を遡ってセルダンの生涯が語られるんだそう。

えええ、こんな思わせぶりなところで終わって、続きはないとか、アシモフさぁーーん!


「その後のダニール」には複雑な感慨を覚えたけど、地球探しの旅、非常に面白かったです。

「まえがき」に当たる部分にこの作品の成立事情が書かれているのですが、前作『ファウンデーションの彼方へ』は32年ぶりの銀河帝国シリーズでした。1982年10月の刊行。それからロボットもの二つ書いて、1986年にこの『ファウンデーションと地球』が書かれる。

そう、アシモフさんは
1982年 『ファウンデーションの彼方へ』
1983年 『夜明けのロボット』
1985年 『ロボットと帝国』
1986年 『ファウンデーションと地球』
という順番で書いていらっしゃるのです。

おおお、そりゃオーロラとかソラリアとか、2万年前じゃなく昨日のことのように書けるわ。というか、一続きのものとしてバーッと構想が浮かんだんでしょうね。

銀河帝国シリーズの初期3作と4、5作目はだいぶ毛色が違うけど、書かれた時期とその内容を思うとむしろこの4作品が「一つのシリーズ」という感じなのかも。


続きじゃなくて「前」なの寂しいけど、6作目7作目ももちろん読んでみようと思います。


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『ファウンデーションの彼方へ』(銀河帝国興亡史第4巻)/アイザック・アシモフ