『中途の家』で終わりなんて寂しいので、図書館でソッコー借りてきました。日本では長らく「国名シリーズ最後の一冊」と言われてきた本書、原題は「The Door Between」。“日本”という国名は入っていません。

けれども江戸川乱歩が「雑誌に掲載された時は“日本の扇”という題名だったそうだ」と書いたことから日本ではずっと「国名シリーズの最後を飾るのは日本!」と思われてきたようです。

ところが角川新訳版『中途の家』巻末の解説によると、初出誌でもタイトルに「日本」は入っていなかったのだとか。「ある推理の問題」という副題や「読者への挑戦状」もないことから、これを「国名シリーズ」に入れるのは無理があるようです。

『中途の家』で国名タイトル途切れちゃってますしねー。

ただ、この作品、本当にとっても「日本」なのです。『中途の家』のまえがきに、「ギリシャの棺ちゃうやん!フランスの化粧品ちゃうやん!」という自己ツッコミがありましたが、本書には本当に「日本庭園」が出てくるし、その日本庭園を見下ろす日本趣味たっぷりの部屋で着物を着た女性が殺されるという、ほんとに「なんでこれに国名つけずに今までのに付けてたんや?」とクイーンさんを問い詰めたくなるほど。

日本の大学の教授だった父親と一緒に長く日本で暮らした経験のある女性、カレン・リース。『八雲立つ』という小説で文学賞を取った彼女は、自宅の日本庭園で受賞パーティを開き、エラリーも出席します。

カレンのフィアンセであるマクルーア博士の娘エヴァは、そのパーティでリチャードという青年医師と知りあい、トントン拍子で婚約まで進み、幸せの絶頂。ところが彼女以外に誰もいない準密室でカレンが殺されてしまい……。

『中途の家』と同じく、若い女性が状況証拠により無実の罪に落とされる展開。そしてやはり『中途の家』と同じように、事件をきっかけに知り合った男女が惹かれあい、エラリーの推理よりもエヴァのロマンスと葛藤を軸にお話が進む感じです。

うん。

そういうところが、ライツヴィルシリーズに繋がるところなんでしょうね。エラリーの謎解きよりも、事件に関わる人間模様の方に重きを置いた描き方。

人間関係どろどろやもんなぁ。カレンとマクルーア博士、そしてエヴァの三人をめぐる過去の因縁。パーティで一目惚れしてあっという間に婚約したくせに、エヴァが殺人の容疑をかけられたとたん及び腰になり、何の役にも立たないリチャード。一方、事件現場でエヴァと運命的な出会いをした私立探偵テリーは彼女への疑いを晴らすため、献身的に捜査に関わる。

またこのテリーがいい味というか可愛いというか。

「どうやら」エラリイがドライな調子でエヴァに言った。「あなたは、あの男を征服したようですね。わたしが知る限り、あの男がまいったのは、はじめてですよ」 (P151)

「女にほれたのは、はじめてだ。おれには女は毒だと思っていた。だが、きみにはまいった。眠ることも、なにをすることもできない。しょっちゅう、きみの姿が目の前にちらつくんだ!」 (P300)

エラリイと同じくらいの、27歳だか28歳だかで、クイーン警視たちともなじみの青年なんですけどね、テリー。最後、めでたくハッピーエンドになるところも絵に描いたようなラブコメで(笑)。

事件の真相は私にも「これはこういうことかな?」とおおむね想像がついたんですが、最後の最後に「おまけ」というか、「刑事事件としては終わったけどあなたの責任は――」みたいなのがついていて。

エラリーが、「彼女を真の意味で殺したのはあなただ」と、ある人物を糾弾するんです。

うーん、ここねぇ。なんか、こじつけっぽい感じが否めない。いや、「彼女を真の意味で殺したのはあなただ」ということ自体には納得なんだけど、その理由が私の想像してたのと違っていて。え、そんな理由なの、こっちじゃないの、と。

エラリー、自分で「神のような役を演じるのは、あまり気持のよいものではなかった。(P415)」って述懐するんですけど、はったりを使ってまで――証拠を捏造してまで、糾弾するのはどうなんだろう。「正義」ってなんだろう、と思っちゃいます。

読者にそう思わせることが狙いなのでしょうか。
もちろん冤罪は覆されなければならない。けれども名探偵が暴く真実は、必ずしも関わった人間すべてを幸せにするものではない。修道士カドフェルのように、真実を知っても、それを明らかにせずそっとしておく方が“正義”なのかもしれない。

エラリーは相手に「あなたは三つのうちの一つを選ぶことができる」と言って、その中に「警察に自首する」が入っているんだけど、糾弾された人物がやったことは「精神的な殺人」で、物理的に殺したわけじゃないから、そういうのって「いや、自首されましても法律上あなたには何の咎も……」じゃないのかな。

殺人教唆の一種にはなるのか???

三つのうちの最後、言葉を濁した部分は「自分で自分の始末をつける(=自殺する)」とも思えるし、もしも相手がそれを選んだら、エラリー自身も「精神的な殺人」を犯したことにならないんだろうか。

……って、これこそ「後期クイーン問題」の一つでしたっけ? 名探偵がいることによってかえって犠牲者が増えてしまうという。

「ある推理の問題」という副題、そして「読者への挑戦状」がなくなった最初の長篇。タイトルに「日本」は入ってないとはいえ、クイーンの転換期に「日本趣味」が選ばれたことはやはり日本の読者としては嬉しい気がします。

1937年(昭和11年)発表ということもあって、

「気にくわんのはあの民族の気性だ。日本人はおそらく、地球上でいちばん劣等感をもってる国民だ。それで、しょっちゅうアジアで騒ぎを起こす。白人優越の心理がもたらした災いだよ」 (P200)

なんてエラリーに言われちゃったりしてるけど。

カレンの侍女みたいな役回りのキヌメという老女は琉球人という設定で、

琉球の人たちは日本人よりも小柄ですけれど、もっと均斉のとれた体をしています (P13)

と説明されています。「(琉球人は)世界中で、いちばんやさしい人たちです(P13)」とも。

あと、この作品でもまだジューナ君は健在♪

黒い目をしたジューナは自分の偶像の海外からの帰国を迎える喜びを、充分に表現するのを控えなければならなかった。 (P141)

「自分の偶像」というのはもちろんエラリーのことです。

エラリイはキッチンへ行った。「ジューナ」ジューナは、たちまち姿を現わした。
「映画を見に行きたくないか?」
「そうだね」ジューナは迷いながら言った。「近所の映画館にかかってるのは、みんな見ましたよ」
「なにかあるはずだ」エラリイは紙幣を少年の手に押しつけた。ジューナは彼を見あげた。二人の目が合った。
すると、ジューナは答えた。「ええ、そうですね」そう言うと、急いで押入れへ行って帽子を取り出し、アパートメントから出て行った。 (P391)

ってところも好き。「二人の目が合った(察し)」ってやつですね。

ライツヴィルシリーズ1作目の『災厄の町』までの間にあと三つ長篇があるようですが……。ジューナくんはいつまで出てきてくれるのかな。やはりこうなったらエラリーの出てくる作品全部読むべきでしょうか。「まだ読んでない」を残しておきたい気もするんですけど。

会おうと思えばまた会えるって(いや、読み返せば会えるんですけどね)。