角川文庫の新訳版エラリー・クイーン。国名シリーズ9作の後、この『中途の家』も刊行されていたんですが、もったいなくてずーっと後回しにしていました。

だって読んじゃったら終わるじゃん! 生意気な新訳版若造エラリーの活躍、もう読めなくなっちゃう!

……これ、2015年の7月に出てるんですよね。すぐ買ったはずだから、丸2年近く置いてあったことになる。

国名シリーズ最終巻『スペイン岬の秘密』を読み終わってからもほぼ1年。1年早いなぁ……。

デビュー長篇である『ローマ帽子の秘密』以来ずっとタイトルに国名を冠してきたエラリー・クイーン、その例を破るに当たって、「まえがき」で自虐めいた言い訳をしています。

「まえがき」はいつもエラリーの友人J.J.マック氏が書いている体(てい)なのですが、「なんでいきなり『中途の家』なんだよ! 国名が入ってないなんて、これはきみの失策だよ!」と怒っている。そしてエラリーに「たとえば『スウェーデン燐寸の秘密』なら良かったのか?でもあれはスウェーデン製のマッチじゃない」と言われ。

「そんなことはわかっている。しかし、あの棺はギリシャ式の作りでもなんでもなかったのに、『ギリシャ棺の秘密』という表題にしたじゃないか。『フランス白粉の秘密』だって、パリの化粧品とはなんのつながりもあるまい?」 (P11)

うわぁ、クイーンさん、それ言っちゃおしまいなんじゃ(笑)。

私も読みながら「関係ないじゃん」と思ってましたが、国名シリーズ刊行当時も読者からの「フランスの化粧品じゃないじゃん!」というツッコミが多々来ていたのでしょうか。

もうこの「まえがき」だけで「掴みはOK」すぎるのですが。

本編ももちろん面白かったです。

原題は『HALFWAY HOUSE』、「途中にある家」。ニューヨークとフィラデルフィアで二重生活を送っていた男ジョーが、その中途にある家で殺害され、フィラデルフィアでのジョーの妻、ルーシーが容疑者として告発されます。ルーシーの兄ビルと大学の同窓生だったらしいエラリーは兄妹のために事件の調査を始めますが……。

ちょっと『災厄の町』を思い出しますね。あれも重婚が招いた悲劇だったし、裁判の様子がしっかり描かれているところも似てる。

ニューヨークでは上流階級の男として暮らし、フィラデルフィアではしがない行商人として暮らしていたジョー。秘密の重婚が明らかになった時、ニューヨークで彼の“妻”として生きていた女ジェシカはあからさまにルーシーを蔑み、彼女が保険金目当てで殺したのだと決めつけます。

実際、状況証拠はルーシーを指し示すのですが、ビルにしてもエラリーにしても、彼女がやったとは到底思えず、「こんな薄弱な状況証拠では有罪にできない」と考えるのですが、なんと陪審は有罪判決を下すのです。

当初は無罪に傾いていた陪審団を、一人の女が長時間かけて覆したってことになってて――それもおそらくは「ルーシーが美人だから」という理由で――、陪審怖えええ!と思わされる作品です。もしエラリーがビルの友人でなかったら、ルーシーは無実の罪で刑に服することに……。

解説によるとこの『中途の家』はクイーン自身が自選3位に選んだお気に入りだったそうで、「パズルに偏りすぎて人間描写がなってない」などと言われることもあったクイーンが、「謎解きだけでないミステリ作家」へと大きく足を踏み出した記念碑的作品のようです。

金持ちの女と貧しい女がいたら、まずは貧しい方が疑われる。そしてその容姿により、同じ女性から「どうしても彼女を信じられない」と有罪判決を下される。

冒頭からエラリーの後をくっついていち早く事件を取材した新聞記者エラ・アミティは

この社会では、財産も身分もある男が、他の都市に住む労働者階級の貧しい女性と偽名を使って結婚し、その女性の人生の最も貴重な十年という歳月を奪ったすえ(中略)ようなことがまかり通ってきた。 (P195)

社会はルーシーをみずから守れるだろうか。(中略)社会はまた、富と社会的影響力を持つ奸智に長けた勢力がその無慈悲なかかとでルーシーを踏みつぶさぬよう、取り計らえるだろうか。 (P195)

という挑戦的な記事を書きます。無罪にせよ有罪にせよ、真の犠牲者はルーシーであり、殺された男ではないと。


『スペイン岬』を読んでから一年、先にライツヴィルシリーズを読んじゃってることもあって、社会描写や人間描写が国名シリーズより明らかに深くなってすごい!……というふうにはそんなに思わなかったですが(ごめんね、クイーンさん)、法廷での緊迫したやりとりは面白いし、新訳版はやはり読みやすく軽快で、エラリーと一緒に楽しく真犯人捜しに没頭できました。

今回珍しく私にも「あ、犯人に繋がるヒントこれか」ってわかったのも嬉しかった(笑)。

「ある推理の問題」という副題、そして「読者への挑戦状」があるのはこの作品が最後だそうで。

角川さんがここまでを「新訳」として出したのも、そういうことがあるようです。タイトルに「国名」は入っていないけど、ここまでがひとかたまり、初期のクイーン、生意気な若造エラリー時代。

警視もちょこっと出てくるし、万能執事ジューナくんは3回ほど登場します。

ジューナが作る滋養たっぷりの食事をとったり (P143)

「女の人です」居間の戸口に現れたジューナは、ふくれっ面で答えた。年端もいかない少年でありながら、頑固一徹の女ぎらいなのだ。 (P380)

え、ジューナくん女嫌いなの!? そんな設定ここまであったっけ?

エラリーに女の人が寄ってくるのが嫌なだけなんだろうと思いますが、エラリーは最後に美女にキスして「ご褒美をもらった!」って喜んでますから……ジューナの心エラリー知らず(笑)。


はぁ。ほんとにこれでおしまいだなんて寂しすぎる。
角川さん、他のクイーン作品も新訳してくれていいのよ?


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