やっと読み終わりました。なかなか読み進むことができず、時間がかかってしまった……。

文豪ストレイドッグスコラボカバーシリーズ、中也国木田さん織田作、と読んできましたが、買った時は安吾が一番「性に合うだろう」と思っていたんです。

アニメ『UN-GO』の時に『安吾捕物帖』読んで面白くて、『白痴』『不連続殺人事件』『復員殺人事件』と立て続けに読みあさり、わざわざ安吾の「探偵小説全集」を買ったぐらいでした。

確か小学校の国語の教科書には『ラムネ氏のこと』が載っていたし、高校の現国でも安吾の何か(どの作品だったか覚えていない)を読んで、「けっこう好き」と思った覚えが。

しかも今度は『堕落論』。いかにも私の好きそうなテーマじゃないの、と思って、最後まで読むのを取っておいたのです。

が。

予想より面白くなかった。

なんだろう、「いかにも私が好きそう」すぎて、逆に同類嫌悪するっていうか、「わざと悪ぶってる」ふうに見えて、青くさいというかめんどくさいというか、読んでいてむずむずする感じ。

もっと若い時に――学生時代に読んでいれば、「めっちゃわかる!安吾大好き!」ってなったかもしれないけど、すっかり中年になってしまった今はその「悪ぶり感」「煽り感」が鼻につく。

これらの評論が書かれた時代状況(昭和17年~昭和23年)を考えれば、「悪ぶる」も何も、安吾は率直に怒っていただけなのだろうけれど。



まず、表題作となっている『堕落論』『続堕落論』。どちらも昭和21年の作。

日本人の如く権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚に於て彼等はその必要を感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。 (P111 堕落論)

・藤原氏の昔から、最も天皇を冒瀆する者が最も天皇を崇拝していた。彼らは真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒瀆の限りをつくしていた。 (P124 続堕落論)

という箇所は、天皇退位を認めるか否か、認めるならどう実現するかで揺れる今この時に読むと、実に刺さりますね。

「最も天皇を冒瀆する者が最も天皇を崇拝している」

ものすごく端的な指摘で唸ってしまいます。

敗戦後国民の道義が退廃―(つまりは堕落?)したというけれどもそれは本当か、戦前の道義とやらは本当に「健全」だったのか?という問いで始まる『続堕落論』。

・百万長者が五十銭の車代を三十銭にねぎることが美徳なりや。我らの日常お手本とすべき生活であるか。 (P119 続堕落論)

乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。(中略)日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残極まる大敗北となっている。 (P122 続堕落論)

にやりとさせられます。

いや、ほんまにね。「根性論」とか「精神論」とか、折に触れ振りかざされるヤツ、全然美徳じゃないよね。

「日本人および日本は堕落しなければならぬ」と安吾は書くんだけれど、それは皮肉というか、いわゆる戦前の「健全さ」からは「堕落」して、人間の生の実感に即したところからまた新たに始めていかなければならない、っていう、なんかそんな話だと思える。

同じ年に書かれた『欲望について―プレヴォとラクロ―』の中には

・欲望は秩序のために犠牲にせざるを得ないものではあるけれど、欲望を欲することは悪徳ではなく、我々の秩序が欲望の満足に近づくことは決して堕落ではない。 (P213-214 欲望について)

という文章もあります。秩序維持のため、社会を安定的に営むために人は多くの「カラクリ」を必要とし、規範や美徳で自分たちを縛る。でもその「カラクリ」はいついかなる時も「絶対」で「正しい」というものではなくて、壊しては作りかえバージョンアップして、より「欲望を犠牲にしなくていい」ものにしていかなければならない。

「乏しきに耐える精神なんか美徳じゃねぇだろ」という話はさらに文学論にも適用されます。

・清貧に甘んじるとか、困苦欠乏にたえ、オカユをすすって精進するとか、それが傑作を生む条件だったり、作家と作品を神聖にするものだという、浅はかな迷信であり、通俗的な信仰でありすぎる。 (P217 大阪の反逆)

この『大阪の反逆』という論は副題が「織田作之助の死」で、織田作の文学を論じながら安吾本人の文学観を語る、みたいになってます。

同じように『教祖の文学』では小林秀雄論、そして『不良少年とキリスト』では太宰治論。

・太宰の死は、誰より早く、私が知った。まだ新聞へでないうちに、新潮の記者が知らせに来たのである。 (P261 不良少年とキリスト)

・死に近きころの太宰は、フツカヨイ的でありすぎた。毎日がいくらフツカヨイであるにしても、文学がフツカヨイじゃ、いけない。 (P263 不良少年とキリスト)

文豪ストレイドッグスのおかげでこの本を手に取った人間としては、安吾が太宰や織田作のことを偲んでいるのはなんとも感慨深いですね。文豪SDのキャラ設定と実際の3人の人となりはずいぶん違うようには思うけど。

ちなみに織田作については

・織田のこの徹底した戯作者根性は見上げたものだ。 (P219 大阪の反逆)

と言っています。太宰は1908年生まれの1948年没。織田作は1913年生まれの1947年没。そして安吾は1906年生まれの1955年没です。安吾が一番年上で、そして一番長生きした。長生きといったって、たったの49年だけれど。

『堕落論』を書いた時、安吾は40歳。翌年に織田作が亡くなり、さらにそのあくる年、太宰が死ぬ。探偵作家クラブ賞を受賞した『不連続殺人事件』は太宰の死んだ昭和23年の刊行です。

・作者が悩んでいるから、思想が又文学が真実だ。態度がマジメだから、又、率直に真実をのべているから、思想が又文学が真実だという。これは不当な又乱暴な、限定ではないか。素朴きわまる限定だ。 (P223 大阪の反逆)

この間ラジオでDJさんがおっしゃっていた話を思い出します。「真面目に黙々とやってたのに誤字脱字だらけ、みたいなのと、鼻歌まじりで遊んでるように見えながら仕事は完璧、っていうのと、我々はどっちを“真面目”だと思うのか」。

態度が真面目なら成果が上がってなくても「真面目だ、偉い」なのか。成果を出しても態度が悪ければ「あいつはダメだ」なのか。

態度が真面目で成果も上げる、がそりゃ一番いいわけだけど、「刻苦勉励」とか「困苦耐乏」を美徳にしがちな日本では、とにかく態度が不真面目なのはいかん、能力があって楽々できちゃっても「大変だった」ことにしなきゃならん、みたいな風潮があるような。

原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。 (P284 不良少年とキリスト)

これは、太宰の死に触発されて書いたっぽい『不良少年とキリスト』の結論となるもの。「生きることだけが大事だ」「いつでも死ねるのに、そんなつまらんことをやるな」と太宰の死に憤っていたのが、最後こういう話になって、「ん?」と思うんだけど、

・学問は限度の発見だ。私は、そのために戦う。 (P284 不良少年とキリスト)

という結語に至ると、つまりは「私は生きる。生きて戦い続ける」という宣言なのかと。

生死に関しては『教祖の文学』の中に

・人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。(中略)これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。 (P254 教祖の文学)

という一文もあります。生きることは苦しいしつらいし、どんなに頑張っても最後には死んで消えてしまって馬鹿みたいだけど、でも、「それでも、とにかく、生きるほかに手はない」。

堕落と言われ、欲望にまみれ、のたうち回っても、それでも、人間は生きるほかない。



最後に「年譜」がついているんですが、「5歳」の項に

幼稚園に入園したが、型にはめられる生活をきらってほとんど通園せず、ひとり未知の街々をさまよい歩くことが多かった。家にいるときは、もっぱら新聞の連載講談とか、角力の記事を好んで読んだ。 (P311)

とあるのには驚きました。「幼稚園になじめず通園しなかった」はともかく、5歳で「ひとり未知の街々をさまよい歩く」って!

よく人さらいにも会わずに。

栴檀は双葉より芳し、ってやつなのでしょうか。しかし5歳の頃の話って、家族がそう話したのか自分で振り返って周囲にそう話したのか……。



※青空文庫へのリンク
   ・堕落論   ・続堕落論   ・欲望について
   ・大阪の反逆   ・教祖の文学  ・不良少年とキリスト