中也の『汚れつちまつたかなしみに…』と同時購入した国木田さんの『武蔵野』。ようやく読み終わりました! 読んでるとどうしても睡魔に襲われてしまって、短編集なのになかなか読み進むことができず……。中也の記事書き終わってすぐ読み始めたはずなのに、2週間以上かかってしまいました。
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面白くないことはなかったんだけど、読むのに時間がかかる。特に、「たりなり」口調の擬古文で書いてあるものが頭に入ってこない。

人生まれ落ちての旅路にはただ一度、恋ちょう真清水をくみ得てしばしは永久の天を夢みんといえども、この夢はさめやすくさむれば、またその寂しき行程(みち)にのぼらざるを得ず、かくて小暗き墓の門に達するまで、ついにふたたぶ第二のオーシスに行き遇うことなく、ただむなしく地平線下に沈みうせぬるかの真清水を懐(おも)うのみ、げにしかり、(後略) (P67 「わかれ」)

とか、ものすごくリズムが良くて「声に出して読みたい日本語」やな、と思うし、アニメの国木田さんのいい声(声優:細谷佳正さんのお声)で脳内再生するの楽しいんだけど、でも内容は頭に入らない(笑)。

この本には表題作『武蔵野』を始め、18篇の短篇が収められています。『武蔵野』は完全にエッセイですが、エッセイにちょっと創作が混じったようなものとか、完全に「小説(フィクション)」のものとか、ごちゃまぜ。

文中の「自分」や「僕」を独歩本人だと思って読み進んでたら「あれ?違う?」になったり、「フィクション」だと思ってると「注釈」に「独歩本人の経験が色濃く反映されている」らしい説明があったり。

『武蔵野』は、武蔵野を歩く楽しさ、武蔵野の美しさを語るエッセイ。

なかば黄いろくなかば緑の林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさいいつくされず。 (P16 「武蔵野」)

日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯れ林の梢の横に寒い光りを放っているのを見る。風がいかにも梢から月を吹き落としそうである。突然また野に出る。 (P23 「武蔵野」)

二つ目の文など本当にリズムも良くて、文章それ自体が美しいなぁ、と感じるのですが、もともと叙景が苦手なせいなもあって、全体としては眠かった……。特に何かが起こるとか出来事を書いたものではないので、「何が書いてあったか」さっぱり思い出せません。ごめん、国木田さん。

(※二つ目の文で「新月が光りを放つ」に引っかかって、「新月って月出てないんじゃないの?月齢0じゃ」と思ったんだけど、調べたら「新月」には「東の空にのぼったばかりの月」の意味もあるらしい。そうなのか!)


かの橋本治さんは『失われた近代を求めてⅡ』の中で、

“国木田独歩の『武蔵野』は、ラベルの『ボレロ』に似ている。”

とおっしゃっています。

“私なんかは、国木田独歩の『武蔵野』によって言文一致体は完成し、一八九八年の『武蔵野』から後を「二十世紀の日本文学」ということにしてしまえば面倒がないと思うのだが、”

とも。

言文一致と言って一般に思い浮かべる二葉亭四迷の『浮雲』は明治22年から24年にかけて発表されたもの。『武蔵野』は明治31年の作品です。

国木田さんは明治4年(1871年)生まれなので、27歳の時に書いたことになります。ちなみに国木田さんは明治41年(1908年)に満36歳の若さで亡くなってしまっていて、翌1909年に生まれるのが太宰治と中島敦。中原中也は1907年生まれ。

太宰、中島、中也と比べると国木田さんは一世代前の人で、彼の生まれた明治4年には庶民の暮らしはまだほとんど江戸時代と変わらないんじゃないかと思いますが、文中にさらりと「プルシャンブルー」とか出て来てちょっとびっくりします。

国木田さんはワーズワース(文中では“ヲーズヲルス”と訳されてる)に傾倒していたらしいし、『武蔵野』には二葉亭四迷訳のツルゲーネフ「あひびき」が引用されていたりもします。

ついこの間まで江戸時代だったのにロシアの詩やイギリスの詩に親しんでるってなんかすごいですよね。

この本の最後に収められている『糸くず』という作品はモーパッサンの短篇を翻訳したものですし。

またこの『糸くず』というお話がなかなか強烈なのです。ちょっとした癖のせいで濡れ衣をきせられた男。容疑が晴れても周囲の人間達は主人公の無実を信じてくれず、弁解すればするだけいっそう「嘘つき」だと思われて、失意の内に主人公が死んでしまう話なのです。最後まで、自分の無実を訴えながら。

ネットでの炎上とか、いったん「容疑者」にされるとずっと「そーゆー扱いをされる」というのは今日(こんにち)でも色褪せないテーマとはいえ、なんでこんな「救いのない話」をわざわざ独歩は訳して紹介したのか、そこのところが面白い。


「救いがない」と言えば、処女作とされる『源叔父』もそうで、妻子を亡くして長く一人寂しく暮らしていた源叔父が、何を思い立ったか亡き息子と同じ年頃の乞食の少年を引き取ろうとするも、少年にあえなく去られて自殺する話。

何も死ななくても……というか、引き取られて衣食住に不自由がなくなるんだから乞食の少年だって喜ぶだろう、という予想があっさり裏切られるところがなんともこう、「そういうもんかもな」と思わされます。


18篇の中で私が一番好きなのは『置土産』。なんか最後ぐっと来ました。一旗揚げようと大陸へ渡る青年。その志をついに馴染みの人達に言い出せず、こっそりと置き土産を置いて旅立った彼の消息。最後に泣き伏す娘は、彼と恋仲だったわけでもない。恋人を置いていくとか、そういうドラマチックな物語ではまったくなく、「自分の決心を話そうとして話し出せない青年の悶々」が静かに描かれるだけ。そしてそれきり帰ることなく、そのままになってしまった「何か」。

「別に恋仲だったわけじゃない」娘が、実家から縁談を押しつけられそうになって、どうにかやりすごしたところへ彼の消息が届く、というところもなんかいいんだよなぁ。彼女は彼の帰りを待っている、だから縁談を断る、というのじゃないんだけど、だからこそよけいしみじみする。

それぞれに人には人生があって、劇的な物語になるような、波瀾万丈なものでもないけど、でもそれぞれに、小さな悩みや悲しみや喜びがあって、それは他人には「小さく」ても本人にとってはなかなか大変なことで、もしかしたら彼と彼女はどうにかなっていたかもしれないのに、どうともならないままたまさかの時をすれ違い、そのまま――、人生はふいに終わる。


『河霧』も印象に残りました。こちらも「一旗揚げよう」と都会に出て行った青年の話。結局成功できずに中年になって郷里に戻ってきた主人公。家族や近隣の者は彼を快く迎え入れ、彼に私塾を開かせようと骨を折ってくれるのだけど……。

しばらくしてほっと嘆息(ためいき)をした、さもさもがっかりしたらしく。 (P196 「河霧)

「がっかり」には傍点が振られているんですけど、この「がっかり」という言葉がなんともいい。

数ページ前にも「そしてがっかりして急に年を取ッた」(P193)という傍点付きの「がっかり」が出て来ていて、最後の主人公の行動のわけはこの「がっかり」かとも思われる。

故郷に錦を飾ることなく夢破れて帰ってきた彼を家族は優しく迎えてくれて、それは嬉しくありがたいことなのだけど、「がっかりして急に年を取る」。

あー、なんか、わかるような気がする。

この、「ような気がする」っていうのがいいんですよね。すっぱり割り切れるもんじゃない、曖昧な感じ。主人公自身にもちゃんとは説明できないであろう、奇妙な人間の心理。


国木田さんが折々のうちに見かけて強い印象を覚えた人々のことを語る、『忘れえぬ人々』

われと他(ひと)と何の相違があるか、みなこれこの生を天の一方地の一角に享(う)けて悠々たる行路を辿り、相携えて無窮の天に帰る者ではないか、というような感が心の底から起こってきてわれ知らず涙が頬をつたうことがある。その時はじつにわれもなければ他もない、ただだれもかれも懐かしくって、忍ばれてくる、 (P160 忘れえぬ人々)

という文章を読むと、なんというか、国木田さんの理想主義的な、ちょっと(かなり?)青くさい部分が偲ばれる感じがします。

これも『武蔵野』と同じ明治31年の筆で、国木田さん27歳ですから青くさくっても当たり前ですが、遠くから見かけただけの顔も知らない漁夫とか、馬子唄を歌いつつ荷車を引いていく屈強な若者とか琵琶僧とかをくり返し懐かしく思い出し、「彼らも我も同じ人間!」みたいに涙するって……。

「見かけた」だけでそれぞれの人と親しくなっていないからこそ一種の「イデア」みたいな「市井の人々」として印象に残って、愛おしく思ってるんだろうなぁ、と感じてしまいます。

この文章の前には

ようするに僕は絶えず人生の問題に苦しんでいながらまた自己将来の大望に圧せられて自分で苦しんでいる不幸せな男である。 (P160 忘れえぬ人々)

という一文があって、「青い、青いぞ、国木田くん」という気に(笑)。「イデア」としての人間は愛せても、身近でリアルな人々に対してどんな振る舞いをした人だったのかなぁとか。
Wikipediaさん見たら最初の妻の親族からは「かなり独善的で男尊女卑的な人物」と見られていたようですが。


国木田さんの作品は青空文庫で読むことができます。取り上げた作品のリンクを貼っておきます。
『武蔵野』  ・『糸くず』  ・『源叔父』  ・『置土産』  ・『河霧』  ・『忘れえぬ人々』