ヒューゴー賞を受賞したディックの有名な長編。

第二次世界大戦でドイツと日本が勝った世界。ドイツの第三帝国と日本によって分割統治されたアメリカが舞台です。

アメリカの東半分はドイツ、西半分は日本、という感じみたい。

終戦は1945年ではなく1947年で、お話の中の時間はその15年後――1962年という設定。

この作品が刊行されたのが、“現実の”1962年なんですよね。「ドイツと日本が負けた世界に生きている1962年の人間が、ドイツと日本が勝った世界の同じ1962年を描いた小説を読む」ことになるわけですが、その小説世界の人間達はさらに「ドイツと日本が負けた世界」を描いた小説を読んでいて……。

三重(さんじゅう)の入れ子構造。

で、その「ドイツと日本が負けた世界」を描く作中小説『イナゴ身重く横たわる』の作者アベンゼンがタイトルの「高い城の男」なのですが、主役は彼ではなく。

戦勝国に統治されて生きる「占領下」のアメリカ人達、占領する側である日本やドイツの官僚たち。交錯する彼らの人生がお話のメイン。

古物商を営むチルダン、古物の偽物を作る工場からの独立をもくろむ職人フランク。その別れた妻ジュリアナ。日本の官僚田上、田上と接触するドイツ側の人物バイネス。

ころころと視点が入れ替わる群像劇。

読んでて、なんとくドストエフスキーを思い出しました。登場人物がちょっと狂騒的で、集団ヒステリーみたいな……。

1962年だと読者はまだ割と生々しく「第二次世界大戦」を覚えているはずで、日本人を“閣下”と呼んでへつらわなければならないチルダンの恥辱とか、当時のアメリカ人はどんな気持ちで読んだのでしょう。

他国に占領統治される気持ちがわかったか!と日本人としては言いたくなったりもします。もちろん私自身、“そんな気持ち”がどんな気持ちなのか、知りはしないのですが。

それは、日本の占領地官僚、特にアメリカ戦時内閣の倒壊直後に乗り込んできた連中の清廉潔白さのたまものだ。 (P19)

とか言われていて、「うわー」と思ったり。

ディックは他の作品でも日本びいきのようですが、この作品でもドイツよりは日本の方が「ええもん」ぽく書かれていて、ちょっとくすぐったい。

「老人や、病人や、精神薄弱者、狂人、その他、役に立たないさまざまな人間に対する態度です。あるアングロサクソンの哲学者は、くりかえしこうたずねました――「新生児がなんの役に立つのか?」」
 「なにびとも他人の必要に奉仕する道具であってはならない、というのは真理じゃありませんか?」
 (P110-111)

という田上のセリフにはくすぐったいを通り越して気恥ずかしい……。田上閣下はいい人かもしれないけど、日本軍は……日本人は……。

ドイツが宇宙の彼方で無人建設システムをせっせと動かしているというのに、日本はまだブラジル奥地のジャングルを焼きはらって、もと首狩り族のために八階建ての粘土作りのアパートメントをこしらえたりしている。 (P20)

という描写も興味深い。ロケットを宇宙にバンバン飛ばすドイツと、ジャングルにアパート建ててる土建屋日本。

アメリカのアポロ計画が始まったのが1961年、それ以前から米ソによる宇宙開発競争は始まっていたのでしょうけど、架空の1962年ではドイツが一人勝ちで宇宙に進出している。

なんとなく、揶揄しているようにも感じられます、現実の宇宙開発を。

古物の本物と偽物のお話、作品世界自体の“本物”と“偽物”。

もしかしてこの世界が“偽物”だったとしても――自分たちが「ドイツと日本が勝った世界」というお話の登場人物に過ぎなかったとしても。

人は日々を生きていくしかない。

自分にできることを――自分がいいと思ったことを――なしていくしかない。

戦争に勝ったのがどこであろうと、勝った国にも負けた国にもいい人間がいて、悪い人間もいて、いい面もあれば悪い面もある。

選択肢ごとに、無数に分かれていく世界。

どう分かれても結局最後は同じになるのか違うのか。

根本的な意味からすると、われわれはたしかに乱視ぎみに物を見ている――われわれの時間と空間は、われわれ自身のサイキの創造物だ。そして、一時的にそれがふらついたとき――急性の内耳障害に似た症状が起きる。 (P352)

という田上の言葉、そしてバイネスの

われわれの人生という、この恐ろしいジレンマ。なにが起こるにしても、それは比類のない悪にちがいない。では、なぜじたばたあがく? なぜ選択する? もし、どの道を選んでも、結果はおなじだとすれば……。
それでも、われわれは進んでいく。これまでずっとそうしてきたように。
 (P369)

という言葉が印象的です。

  

実はこの本を読んだのは、10月に日本語訳が出るという『United States Of Japan』を読むため。




予習しとかなくっちゃ!と思ったのです。

“巨大ロボットを持つ日本のみが支配しているアメリカが舞台”というこの作品、作者のトライアスさんが「高い城の男」の“心の続編”として書いたということで(紹介記事こちら)、まずは『高い城の男』読んどかないと、と急遽図書館で借りました。

現在は新装版になっているこの本、図書館にあったのは昭和59年初版のもの。

定価500円。

日本語訳はこの浅倉久志さん版以前に昭和40年にすでに出ていたそうで、当時の日本の読者は「ドイツと日本が勝った世界」をどんな気持ちで読んだのか……。

冷戦が終わって、無事1999年を乗り越え21世紀が来たけれど、やっぱりあちこちで戦争は起こっている。

どの道を選んでも、結局は―――?