引き続きウールリッチを読んでおります。

1942年に刊行されたブラックシリーズ第三作『黒いアリバイ』。実は1939年に発表された短編『黒い爪痕』を長編化したものです。

『黒い爪痕』は白亜書房さんの『コーネル・ウールリッチ傑作短編集第3巻』に収められていて、「あまり好みじゃなかった」と感想を書いてますね(^^;)

舞台が南米の架空都市に移され、犯人も変更されていますが、少なくとも最初の2つの事件は短編版をほぼなぞっているので既視感ばりばり。

でも長編化されているので被害者のそれまでの暮らしぶりや感情、被害に遭うまでの過程がより細かく描写され、当然死に際の恐怖もより細かく、微に入り細に入り……。

短編版以上にサスペンス感が強い。

読む方も「この子も殺されるのよね…」って思いながら「今か今か」とページを繰ってるからほんと息苦しい。しかもウールリッチさん、短編よりも手の込んだ展開で「今か今か」を引き伸ばし、恐怖を長引かせてくれる。

『黒い爪痕』と同じく、とある理由で猛獣が街に解き放たれ、その獣に襲われたと思われる死体が次々に発見される。警察は獣の行方を捜すけれど、獣が街を闊歩する原因を作った男マニングは「本当にこれは獣の仕業なのか?」と疑問を抱く。

もとはと言えば「マニングのせい」なので、警察は「自分の責任を認めたくないだけだろ」という感じで取り合ってくれないのですが、マニングには「この事件には人間が関わっている」としか思えないのです。

なぜなら。

「人間でなくて、どんな動物が、こんなにとことんまでやりぬけるもんか。こんなむごいことができるのは、人間だけさ。どんなに悪逆非道の猛獣だって、ここまではやらない」 (P142)

確かに、都会なんだから人間を襲わなくてもゴミ箱とか色々漁れば食欲は満たされそうだし、そんなにお腹が空いているならなぜ昼には姿を見せないのか。夜行性だとしてもなぜうまい具合に誰もその現場を目撃していないのか。

空きっ腹を抱えた獣なら手当たり次第に人を襲ったっていいはずなのに、

「被害者はみんな女ばかり、それも年寄りでも中年でもない、妙齢の娘ばかりです。ずいぶんませた豹です。まるで紳士だ。若い娘が専門らしいですね」 (P244)

あ、「豹」って言っちゃった(笑)。

これ、マニングのセリフなんですけどね。4人目の被害者が出たあと、警察に投げつけるセリフ。

1人2人なら「たまたま若い女だった」ということも考えられなくはない。でも被害者4人ともが若い娘で、しかも美人ときては、「襲っているのが豹だとしても、襲うべき相手を選んでいるのは人間」としか思えなくなる。

なのでマニングは事件の関係者2人に協力を依頼し、犯人を罠に掛けようとする……。

この、最後の犯人追跡劇もけっこうドキドキしますが(最後の最後まで犯人の正体を明かさないのもうまい)、でもやっぱりウールリッチの真骨頂は「謎解き」ではなく「息詰まるサスペンス」なんですよねぇ。

刻一刻と死に近づいて行く四人の女性達の「最後の夜」の描写。

ごく当たり前に、他の誰とも違わない日常を送っていた娘達が――明日は来ると信じて疑わなかった彼女達の人生が、突然理不尽な暴力によって断たれる。

「若い娘が夜中に出歩いてたのが悪い」と日本なら言われそうだけど、1件目のテレサちゃんなんか、本人が「もう真っ暗だし、なんか豹がうろついてるとか言うし行きたくない」と言ってるのに母ちゃんが「炭買ってこい!!!」って追い出すんだよ。それでテレサが「ひたひた近づいてくるアレ」から逃げてほうほうのていで家に帰ってきても「遅いんだよ!何やってんだよ!!もううちになんか入れてやんないよ!」ってドアにかんぬきかけてるの。

「お母さん!開けて!」という声もむなしくドアの外でテレサちゃんは……。

えげつなすぎる。

3件目も一旦は「逃げおおせた!」みたいになるのに結局……だし。

ウールリッチさんほんまえげつない(´・ω・`)

晩年の短編に「人違いで生き埋めにされる若い夫婦の恐怖」を描くだけの救いのない話があって(『ウールリッチ傑作短編集第5巻』所収)、晩年は精神のバランスを崩していた、みたいに言われてるけど、若い頃から実はそんなのばっかり書いてたんじゃないか。

このお話ではちゃんと犯人が報いを受けるし、ラストはちょっと小粋な感じで幕が下りるけど、でもそれは「こういう余分をくっつけとかないと世間は受け入れてくれないんでしょ」という単なるおまけのように思える。

死はいつも理不尽で、そして「こんなむごいことができるのは人間だけ」。

人が殺されるのをスリラーとかサスペンスとか言って娯楽にするのも人間だけだもんね。



翻訳はかの稲葉明雄さんで、1977年に書かれた稲葉さんによる「訳者あとがき」がなかなか興味深い。

「いわゆる本格物を“卒業”された読者の方々におすすめしたい」 (P337)

「あるいは一昔前なら、本格尊重派からアンフェアと批判される点もなくはないが、(中略)柔軟な、若い頭脳には、大いに迎えられるにちがいないと信じるしだいである」 (P344)

果たして当時の「若い頭脳」にウールリッチは受け入れられたんでしょうか。私が児童書の棚で『幻の女』『黒衣の花嫁』に出会ったのは1980年頃だったと思いますが――私自身は面白く読んだはずですが。

ウールリッチが死んでまだ10年経っていないので、その「わびしい死」についての言及もあり、ウールリッチの数少ない友人マイクル・アヴァロンの追悼文が訳出されています。

「つまるところ、言葉がすべてであり、作品こそが命である。すくなくともこの意味で、コーネル・ウールリッチは法外な大成功をおさめて逝ったといえるだろう」 (P342)

うん。