『国家を考えてみよう』でも少し言及されていた福沢諭吉の『学問のすゝめ』。その『学問のすゝめ』を丸ごと一冊かけて解説したのがこの本です。

もとは昨年幻冬舎のPR誌『PONTOON』に連載されていたもののよう。なので章立てが「第1回」から「最終回」というふうになっています。(全10回の連載だったようです)

『学問のすゝめ』、名前は聞いたことあるけどもちろん読んだことはない。

全部で17編あって、それぞれは「小冊子」といった形の短いもの。この本の巻末に初編が収録されていますが、本文より少し活字が小さいとはいえわずか8ページに収まる代物です。

青空文庫では全17編がまとめて一冊(?)になっています。(いますぐ読める青空文庫の『学問のすゝめ』はこちら

初編は明治5年2月の刊行で、当時20万部のベストセラーだったそうです。(ちなみに最終17編は明治9年の11月刊)

もちろんいきなり20万部売れたわけではなくじわじわと何年かかかって売れたのでしょうけど、それにしたって20万部ですよ。明治5年って言ったらまだ気分はほとんど江戸時代。さすが江戸の庶民は識字率高い。(20万のうちどれくらいの読者が元武士でない“庶民”だったのかわかりませんが、庶民が読んでこその20万部達成だろうと勝手に思ってます)

明治5年がどういう世の中かというと、廃藩置県が行われたのが明治4年の7月。廃刀令が明治9年の3月で、『るろうに剣心』や『あさが来た』でも描かれた大久保卿の暗殺が明治11年の5月。

大日本帝国憲法発布は明治22年で、第一回衆議院選挙はその翌年明治23年です。

ということはつまり明治20年まではまだ全然「明治政府」とか「日本国」というものが固まっていないわけですよね。

明治5年ならなおさら。

そんな時代に「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言って、あるべき民主主義国家の姿を描いてしまう福沢諭吉、マジすごいです。

福沢諭吉はまだ明治になる前にアメリカやヨーロッパを訪問しているのですが、『学問のすゝめ』の中には「社会契約説」的な考え方や「国の主権は人民にある」という考え方が述べられています。

ついこの間まで江戸時代だったんですよ。幕府で将軍様で一般の日本人は「ただ住んでるだけ」、「政府」なんて言葉も「何のことやら」だったと思うんですが、まずそもすごいのがこの『学問のすゝめ』、漢字とひらがなで書かれていることです。

は? そんなの当たり前じゃない、って?

大日本帝国憲法の文章は漢字とカタカナです。(ここで読めます)

初編刊行と同じ明治5年に学校制度が始まりますが、その尋常小学校の国語の教科書も「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」です。

橋本さんは以前『失われた近代を求めてⅠ』という本で言文一致体誕生に至るまでの紆余曲折を書いてらっしゃいますけど(関連記事こちら)、一般的に「言文一致体を確立した」と言われる二葉亭四迷の『浮雲』が世に出たのはやっと明治20年。

『学問のすゝめ』はそれより15年も前で、「言えり」とか「なり」とか「べからず」とか助動詞は古文なんですけど、青空文庫でちょろっと読んでもらえばわかるとおり「かなりすらすら読める」し、だいたいの意味は掴めるんですよね。

だからこその20万部かとも思うんですが、「漢字+ひらがなによるわかりやすい文章」というだけでもさすが一万円札になる人は違うという感じです。

で。

橋本さんの解説ですから、いきなり神様の話から始まったりします。

冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の「天」ってなんだ、という話です。なんで福沢諭吉は「は人の上に…」と言わなかったのかと。

そりゃ日本の神様が人間を造らないからなんですけど、

日本の神様は「人間を創る」などということをしないで、支配者の祖先だけを創って、人間というものは「気がついたらいつの間にかいた」というようなものです。 (P23)

というくだりに思わず笑っちゃいました。

『国家を考えてみよう』の中で、武士や貴族といったいわゆる“お上”側でない一般の日本人は「ただ住んでるだけ」と言われていましたが、一般の日本人、神話上でも「ただそこに住んでただけ」なんですねぇ。

日本の神様は「国生み」で国土は造るんだけど人は造んなくて、どこからやってきたのか一般の日本人はなぜか「ただそこに住んでて」、ある日神様の子孫である支配者が空から降ってきて、「ここ俺様の土地だから。住み続けたいなら上がりをよこしてよね」みたいに言われるという……。

まぁ、神話自体が支配者によって編纂されたものだったりはするんだけど、その他大勢の一般人はいつの間にかただ住んでて、「お上」と呼ばれる人がまさに上から降ってくるという認識すごい。



『学問のすゝめ』は全部で17編ありますが、この本で取り上げられるのは初編が主です。やはり最初の文章にすべてが込められているというわけなのですが、短い中にぎゅぎゅっと大事なことが詰め込まれている上、「政府に対する悪口がバレないよう」わかりにくくなっている部分もあり、何より私たちは「今の感覚」で読んでしまうから、福沢諭吉が言わんとしていることを取り違えてしまったりもする。

なので橋本さんは「当時の時代背景」を説明しつつ、『学問のすゝめ』のいちいちの文章をああかこうかと解説してくれます。「ここで言われている“実学”とは何を指すのか」「そのことで諭吉が伝えようとしていることは何か」と。

諭吉が言っていることはタイトル通り「学問のすゝめ」なのですが、彼が「勉強しなさい」「賢くなりなさい」と言うのは「そうすれば金持ちになれる」「成功できる」「あわよくば“お上”の側に回れる」からではありません。

福沢諭吉にとってまず重要なことは、「あなたが学問をして世の中を動かす」ということで、「そうしなければ、いくら明治の新しい世の中が来たってなんの意味もない」なのです。だからこその「学問のすゝめ」です。 (P31)

二十万部を売った『学問のすゝめ』初編は、「金持ちの実業家になるために実学を学べ」と言う本ではなくて、実のところ「政治に目を向けるために学問をしろ」と言う本なのです。 (P122)

福沢諭吉は「人民に主権がある国家」というものを知っていて、これからの「お上」は「一般人とは関係ない天から降ってきた人」ではなく、「一般人の代理として政治を行うもの」だと知っている。

《一国の人民は即ち政府なり。》
《故に人民は家元なり、また主人なり。政府は名代人なり、また支配人なり。》
 (P239 『学問のすゝめ』七編からの引用)

国を動かしていくのはあなたたち「一般の日本人」なのだから、あなたたちが学問をして賢くならなければダメなのだ、という話なのですね。

『学問のすゝめ』はそういう書物で、そういう書物なんだということを橋本さんが懇切丁寧に解説してくださいます。

『学問のすゝめ』は第二次世界大戦で日本が敗れた後にも多く読まれたそうです。

残念ながら明治政府は諭吉が「これからの国家はそうあるべき」と書いたようなものではありませんでした。人民は国の主人にならないまま、大正になり昭和になり、日本は戦争に負けます。

新しい憲法で《一国の人民は即ち政府なり》=「国民主権」は規定されたのですが、さて――。

「あなたが学問をして世の中を動かさなければ、いくら戦後の新しい世の中が来たって何の意味もない」。

『学問のすゝめ』がまだまだ現役バリバリの啓蒙書になってしまうのって、残念なことですよね……。



読んでいると「福沢諭吉すげーな。なんでこんなにすごくて“新しい時代はこうあるべき”ってわかってるのに自分で国を動かしてくんなかったの」と思ってしまいます。

明治政府倒してくれたら良かったのに、とか。

福沢諭吉は慶應義塾の創始者で、ほぼ一貫して「民間の人」です。なんで諭吉が明治政府に関わらなかったかと言えば、「バカが嫌いだったから」だそうです。

でも彼は、それよりも「争いごと」が嫌いなのです。どうして彼が「争いごと」を嫌うのかと言えば、それがバカのすることだからでしょう。 (P211)

彼が「政治に関わるやつはバカだ」と思っているからでしょう。なにしろ明治維新政府を作っているのは、《第二、さればとて》と言われる、幕府よりもっとレベルの低い人間達なのですから。 (P212)

はははは。

あんなバカどもと一緒にやれるかバカバカしい、というところだったんでしょうかね。

「諭吉のような賢い人が“お上”になってくれていれば」と考えるのがまずバカなんですよね。新しい時代では自分たちで国を動かしていかなきゃいけなのに、ついつい「そーゆー面倒なことは“お上”に」と考えてしまう。「立派な人が“お上”をやってくれさえすれば」と。

言い方を変えれば、「日本人は一部の支配階級に依存して、自分達に関わるはずの政治を任せっきりにしていた」にもなります。 (P114)

バカじゃいけないのですよねぇ。