またウールリッチに戻ってきてしまいました。

ウールリッチの死後見つかったタイプ原稿に、ローレンス・ブロックが手を加えて出版された作品。「遺作」ではありますが、ウールリッチが「最後に書いていた作品」というわけでもないようです。ただ、死後に発見された書きかけの作品のうちの一つ。

冒頭部と途中の何ページかが欠落していて、結末の部分も書き上げられてはいませんでした。ブロックさんが補った箇所については巻末の解説に詳しく書いてあります。

「未完の遺作」という触れ込みで読み始めたので、最終部分だけをブロックさんが補綴したのかと思っていたんですよね。それで最初の方の

なぜ自殺をするのか? 人生が空虚だからだと、彼女は思った。自殺してはならない理由は何もないからだ。もっとも、そんなことが何かをする理由になるものだろうか。同じ論法からすると、生きつづけてはならない理由が何もないがために、生きてゆくべきだという理屈も成り立つわけである。 (P12)

つまるところ、人生は論理の問題ではない。そんな問題を解いたって、なんの得になるものでもないし、第一、そんな問題を解いた者は一人としていないのだ。 (P12)

ってとこらへんで「ああ、ウールリッチだわ~」「こういうちょっと中二っぽいところがいいのよね」とほくそ笑んでたらそこはブロックさんの筆だったという。

ははは。

ブロックさん巧い!

英語原文で読んだらきっと文体もそっくりに書いてあるんでしょうねぇ。

で、引用部に「自殺うんぬん」と書いてありますが、物語はヒロイン・マデリンが父の形見の拳銃を手に自殺しようと逡巡しているところから始まります。彼女は実際に引き金を引くのですが弾は発射されず、彼女は一気に「生きていてもいいんだわ♪るんるん♪」という感じになるのですが、あまりに機嫌が良すぎて拳銃をテーブルにどすんと置いたその衝撃で今度は弾が飛び出し、たまたま開いていた窓から外へ飛んでいった銃弾はたまたまそこを歩いていたスタアという若い女性に当たってしまい、なんとスタアは死んでしまうのです。

マデリンは逮捕されることを覚悟するのですが、さりとて自首することはなく、警察はどこかの馬鹿が車から発砲したと結論づけて聞き込みにも訪れない。

故意ではなかったとはいえ人一人死なせてしまったマデリン、スタアという女性の身辺を調べ、「彼女の代わりに生きる」「彼女がやりたかったことを代わりに私がやる」と心に決めます。

この辺のマデリンの心情がちょっと、「え~、そんなこと思うぐらいなら自首しろよ」って思っちゃってあまり感情移入できないというか、「その設定はどやねん」ではあります。

「ウールリッチの描く女性はみんなちょっと考え方がおかしい」みたいに短編集の解説(だったかな)に書いてあったのを思い出しました。その時には「え?そう?」って感じだったんですけど、この『夜の闇の中へ』読んで「うん、確かにマデリンは変だね。おかしい」って納得しました(笑)。

スタアのことをよく知るためにマデリンは彼女が住んでいた下宿に行ってみたり、母親のもとにまで押しかけたりします。下宿屋の女主人親切すぎるし、お母さんもマデリンに「娘とはどんなお友だちだったの?娘のこともっと話して」とか言わなくて、色々「都合良すぎ」な感は否めない(^^;)

ともあれマデリンはスタアが夫に裏切られ、夫とその前妻に復讐しようとしていたことを知り、彼女の代わりにその復讐を成し遂げようと誓うのです。

……うん、設定が強引だよね……。『暁の死線』でも「え~、真犯人捜しに街へ出て行くったって無理っしょ!?」と思ったけれども。そういうある種の強引さ、都合の良さがウールリッチのサスペンスを引き立てているとも言えるけれども。

さすがに手放しで「面白かった!」とは言えない作品でした。胸が苦しくなるようなどきどき感、せつなさもあんまり感じられなくて。

マデリンはまず「前妻」を探し当てて彼女の「友人」になります。スタアの夫の前妻でカフェ・シンガーのデル。彼女のせいでスタアの結婚生活は破綻したんだけど、でもそれを言えばスタアという恋敵が出現したせいでデルの結婚生活が破綻したわけで、読んでてむしろデルが気の毒でした。

夫ヴィックの浮気をかぎつけたデルは彼の気持ちを自分に引き戻すため、「自分にも男がいる」と偽装するんですよね。そうすれば夫もやきもちをやくだろう、自分が浮気しているからって他の男が妻に手を出したら怒るだろう、そう思って。

ところがヴィックは笑って「きみが幸せでうれしいよ」って言うのです。

「ぼくも幸せだからさ。これでぼくたちみんなが幸せだ、ぼくたち四人ともがね」(P129)

そうしてヴィックは出て行ってしまう。

これは、キツい。

愛する夫に(少なくともデルに彼と別れる気はまったくなかった)こんな去られ方をしたんじゃ。

「復讐するは我にあり」

しょうがないよ。

しかもデルが復讐するのはその後しばらくして偶然街でヴィックに会ってからなのです。再会することさえなければ、その後の悲劇は起こらなかったのかもしれない。

で、その「デルがスタアを陥れた方法」っていうのがまた。「えええええええ、そういう真相!?」なんだよねぇ。

デルはただ「とある情報」をスタアに教えただけで、物理的に彼女を傷つけたわけじゃない。もちろんその情報が致命的になるとわかっててやったことではあるけど、でもそもそもはその情報を隠して結婚したヴィックが悪いわけで。

うん、これ、どう考えてもヴィックが悪いよね。デルとスタアの二人ともを不幸にした男。

まぁ、「運命の巡り合わせ」と言えばそうだし、好きとか嫌いとか「恋に落ちる」っていうのは理屈ではどうにもならないことではあるんだけれども。

ヴィックに捨てられ、スタアに復讐をして、けれど結局幸せだったとは言えないデル。末路も悲劇的なもの。

マデリンがヴィックを探す時に間違えられたヴァーノンのエピソードもすごく印象的だった。わずか19歳で傷痍軍人になったヴァーノン。彼が喪ったのは手や脚ではなく男性としての機能。帰国後妻には去られ、女達と付き合いはしてもベッドを共にすることができず、次第に暴力を振るうようになっていく。

マデリンも危うく乱暴されそうになるんだけど、ヴァーノンはどうにか衝動を抑えて助けを呼ぶんだよね。合図をすれば父親代わりの男が駆けつけて彼を止めてくれるようになってる。

「この男は狂人よ」というマデリンに、父親代わりの男は「違う」と言う。

「どれほど多くの泥酔亭主が、家に帰って、妻を殴っているだろう? どれほど多くの嫉妬ぶかい恋人が、自分の愛するものを殴りつけているだろう?」
「そう、正当化はされない。彼もわしも、そのことはわかっている。だからこそわしらは、二人のあいだにこの合図をつくったんだ」
 (P255)

その男にとって、ヴァーノンは息子の命の恩人。衝動に駆られて暴力を振るうその男が、一方では人の命を救ってもいる。

「彼はただ不運なだけだ」 (P254)

「誰も悪くないのに悲しいことはいつもある」って、確か中島みゆきの歌詞にあったけど、主人公にとっては「悪役」でしかないデルやヴァーノンも、傷ついた悲しい人間なんだよね。

たまたま通りがかって流れ弾に当たってしまったスタア。「そんな都合良く」と思うけれども、たまたま通りがかって事故に遭う人はいっぱいいて――というか、それだからこそ「事故」で。

ただ街角に立ってただけなのに暴走車に突っこまれて死ぬ、っていうの、最近よくあるけど、どうしてその時間にそこにいてしまったのか、どうして隣の人ではなくその人が犠牲になるのか。

生と死を分けるものはほんの偶然で、理不尽で、だからこそ「必然」とも思えて。「運命」とか「宿命」とかいう言葉を、人間は使いたくなる。

マデリンが行動することで紡がれるお話だけど、マデリン自身のことはどうでもよくて、そういう人の意思ではどうにもできない「巡り合わせ」を描こうとしたのかな、ウールリッチさん。

解説に、ウールリッチが11歳の時に星空を見あげて「自分も“蝶々さん”のように、いつかは死ななくてはならないことを悟った」って話が出てきて、「その瞬間から、彼は宿命観というものに悩まされることになった」(P354)って書いてあるんだけど。

他人とは思えないわ、ウールリッチさん。

私も幼稚園ぐらいの時に突然「死にたくない!」と泣き出したくらい「自分もいつか死ななきゃならない」ということに激しいショックを受けたクチだから。

ウールリッチさんのどこか中二病的なおセンチさに惹かれるの、そこなんだなぁ。『ルバイヤート』が引用されてたりするし(岩波文庫版のどの詩句に当たるのかわからなかったけど)。

死はほんの一瞬、一秒とはかからない。その性質から、それ以上かかることはない。長くかかる死でさえ、最期の瞬間までは生がつづくのである。そしてそれは、一秒たらずのうちに、二十五年、三十年、四十年かかって成長し、形づくられたものを破壊してしまうのだ。 (P219)

「死」についてのこんなくだりにも共鳴してしまう。

お話としては「うーん」という感じだったけど、印象深いところはやっぱりあるなぁと。



遺された原稿には結末がなくて、ブロックさんはそれをハッピーエンドにしました。解説では「下向きの、ちょっとひねくれた強引な結末」が示唆されていて、私は断然そっちの方が好みです。ヴィックが幸せになるのちょっと許せないし。

ヴィック、スタアについてはともかくデルについてはまったく罪悪感のかけらも感じてなさそうなんだもん。偽装に気付かず「彼女は別の男とよろしくやってるさ」ってずっと思ってるのかもしれないけど、でもそーゆー無知って一番腹立つよねぇ。相手の男がどんなヤツか、どれぐらい親密なのか、そんなことまったく興味ないほど、彼はデルに――自分の妻に興味が無かったってことなんだから。

愛するスタアに去られたことでヴィックは十分罰を受けたのかもしれないけど……うーん、やっぱり因果は巡るというか、誰もが被害者であると同時に加害者でもある、みたいなことなのかな。

タイトルの『夜の闇の中へ』、原題はただ「夜の中へ(Into the Night)」です。日本語としては「闇」がついている方がイメージも語呂もいいですよね。

ウールリッチはタイトルをつけるのがあんまり得意じゃなかった、と短編集の解説に書いてあったと思うのですが、この作品で「夜」の意味するものってなんだろう。最初に誤ってスタアが殺されてしまうのは夜で、ラストシーンは朝。マデリンとヴィックが互いの手の内を明かし合った夜のあと、朝がくる。

朝が来るところまで、ウールリッチさんは書いていた。

もしかしたら後からブロックさんや出版社がタイトルをつけたのかもしれないけど、もしも書きかけの原稿にウールリッチさん自身が「夜の中へ」とタイトルをつけていたのだとしたら。

やっぱりアンハッピーエンドだったんじゃないのかな。

世界には朝が来たけれど、マデリンとヴィックの二人はこの先ずっと「夜の中」にいるのだ、みたいな。

本当はどっちだったんだろう。どっちとも決めあぐねて、それで未完のままだったのかな……。