『幻の女』の新訳版から始まったコーネル・ウールリッチ(ウイリアム・アイリッシュ)熱、この『暁の死線』をもって一旦終止符です。

『幻の女』は新訳でしたが、こちらは「新装版」というだけで訳は稲葉明雄さんそのまま。「ウィリアム・アイリッシュは、昨一九六八年九月二十五日、ニューヨークのウィッカーシャム病院で、生涯の幕をとじた」という稲葉さんによる訳者あとがきもそのままです。

「昨1968年」。

1969年に出た訳書なのですよねぇ。

47年前?

訳文が古いとか、読みにくいとかいうことはいっさいありませんでした。もちろん、今の若い人にとっては主人公たちの言葉遣いが古めかしく感じられるかもしれませんが、そもそもの舞台が1940年代のニューヨーク。電話一つかけるにも交換手のいる時代。1曲いくらでダンスのお相手を務める踊り子がいる時代。

少しぐらい古めかしい方が、気分が出るというものです。

原題は『DEADLINE AT DAWN』。「暁の死線」はかなり直訳ですけど、「DAWN」が「夜明け」でなく「暁」なのがいいですよね。あと「DEADLINE」っていわゆる「原稿の締め切り」や「期限」を指す言葉らしいですけど、「DEAD」+「LINE」で「死線」というのもいい。

ちなみに日本語の「死線」という言葉はもともと「牢獄などの周囲に設け、それを越えると銃殺される線」のことだそうです。(新明解第6版による) 「広義では、生きるか死ぬかの境目を指す」と。

夜明けに設定された、生きるか死ぬかの境目。

それは、朝6時に故郷へ向けて旅立つ長距離バス。そのバスが出る前に――そのバスに乗るために、男と女は殺人事件の犯人を捜して深夜のニューヨークを奔走する。

すごい設定だよね。

そもそもその「男と女」が、偶然知り合っただけ、というのがすごい。

女は、「1曲いくらでダンスのお相手を務めるしがない踊り子」。『踊り子探偵』のヒロインと同じです。田舎から女優を目指して上京し(って、東京じゃなくニューヨークだけど)、夢破れて一晩中「足」を売り、くたくたになって部屋へ帰る毎日。

男は、ダンスホールで偶然彼女と踊った。買いすぎたダンスのチケット。1曲1枚10セント、10ドル分も買ってしまったろうか。

偶然が積み重なって、彼は彼女の部屋に招じ入れられる。そして、二人が同じ町の出身であることを知るのだ。同じ町どころか、彼女と彼の家は言ってみれば裏隣。もっとも彼がそこへ引っ越したのは彼女が都会へ出てしまってからのこと。

彼女の裏隣の家の男の子。小さな町の女の子なら、だれもが一人ずつもっているような男友達。それが彼なのだ。 (P57)

もしあの町に、もうすこし長くいて、もうすこし待っていたら、彼女のものになっていただろう相手だった。 (P57)

何度も繰り返される「隣の男の子」という表現に、なんだかキュンキュンします。「隣の男の子」、残念ながら私にはいなかったなぁ(笑)。

都会の魔力に引きずられ、彼女は故郷には帰れない。帰りたくても――バス停まで行ってみても、やっぱり引き返してきてしまう。でも「隣の男の子」が一緒なら。

二人なら。

あのバスに乗ることができる。

しかぁし! そのためには殺人事件を解決しなくちゃならないのです。真犯人を見つけないと、「隣の男の子」が誤って逮捕されちゃう!!!

……けっこう強引な展開と思わないこともない……というか犯人捜しなんかしてないでさっさと逃げちゃった方が……と思ったりもするんだけど。

状況証拠的には確かに「隣の男の子」が最有力容疑者だし、「ぼくは家宅侵入はしましたが殺してはいません」と正直に言ったところで警察が信じてくれるかどうかは甚だ怪しい。どうにかして真犯人を警察に突き出さないことには。

でも「どうにか」って、どーすんの???

現場に残されたわずかな手がかりから犯人を追いかけようとする二人。もちろんそんなに簡単に見つかるわけもなく、時間だけが無情に過ぎていく。そもそも町に捜索に乗り出すのがもう夜中の3時近いので、6時のバスまで3時間しかないわけですよ。警察でもない、武器と言えば勇気と知恵だけ、万一殺人犯に行き当たっても身を守る術は何もない。返り討ちにあうだけかもしれないんです。なんせ相手はすでに一人殺しているんだから。

しかも時間がないから彼と彼女は別々に行動してる。何かあったら一人で身を守らなきゃならない。

うん、犯人が見つかるかどうかより、「今追いかけているそいつが犯人だったとして、あんた達殺されちゃわない?」という方にハラハラドキドキしてしまう。

「刻限が決められてる」ということ以上に、「二人はもう一度無事に出会えるの?」という方にたまらないサスペンスを感じます。

人の心を不安と焦燥とせつなさで虜にする。ウールリッチ、ほんと見事です。

解説で門野さんがおっしゃっている通り、

この『暁の死線』にしても、乱暴な言い方をするなら真犯人なんて誰でもいい小説だ (P384)

なんですよねぇ。

謎解きはおまけ。

隣の男の子と女の子が、「都会」という魔の手をふりほどいて無事故郷の町へ帰れるかどうか。

故郷へ向かう夜明けのバス。それがなぜ「DEADLINE」なのか、最初はこじつけのようにも思えるんだけど、ハラハラドキドキの捜索行を追体験しているうちに、私にもそれが「特別なバス」だと思えてくるんだよね。

章題の代わりに時計の文字盤が置かれているのも実に粋。

『コーネル・ウールリッチ傑作短編集』の訳者、門野集さんの解説もついて、新装版お買い得ですよ♪