ウールリッチの傑作短編集4巻目です。

(これまでの感想記事→1巻目『砂糖とダイヤモンド』、2巻目『踊り子探偵』、3巻目『シンデレラとギャング』

第4巻には1940年から1943年にかけて発表された8篇が収められています。長編ミステリ第1作『黒衣の花嫁』が1940年、『幻の女』が1942年の発表で、短編の発表は少なくなっている時期だそう。けれども「上質の作品が多い」との訳者さんの解説通り、この巻も楽しく読み進みました。「またかよ!」の消失モノが文字通り消失して、それぞれ味わいの違う作品が並び、飽きずにページを繰れます。

では1篇ずつ見てまいりましょう。



【マネキンさん今晩は】

表題作です。

16歳ぐらいの女子高校生が家出して都会の姉さんのところに身を寄せようとするのですが、何年か前に同じように家出して都会へ出ていった姉はもちろん幸せに暮らしてなどいなくて、ヤクザが経営するヤバい店でホステスみたいなことをしています。

妹はそんなこととはつゆ知らず、なんで姉が「こっちへ来ちゃいけない」などと言うのかわからず、「私がまだ子どもだと思ってるのね」とか呑気なことを言って姉の許可も得ず勝手に訪ねて行ってしまいます。ええ、その「ヤバい店」に。

この導入部がホントにハラハラというかイライラするんですよねー。「気づけよ!!!!!」と。

「ヤバい場所」だと認識できる情報はあちこちにばらまかれているのに、全然気づかず飛び込んでいっちゃう。いくら田舎の子で、いくら「姉さんがそんなことに関わっているわけがない。姉さんの居場所なんだから安全」と思っていたとしても、鈍感すぎるだろうと。

呑気でうぶなヒロイン、彼女の一人称語りのせいでハラハラしつつもチャーミングな一篇に仕上がっています。


【毒食わば皿まで】

平凡で臆病な男が一つ過ちを犯したことがきっかけで転落していく。その一つの過ちを隠すために次々と人を殺すことに……。

臆病心が、大胆きわまりない勇気よりも結果的に大きな危険をおかすことがある。彼は些細なことを怖れていた――手ぶらで妻の待つ家に帰ることを恐れ、ののしられ追い出されるのがいやで(後略) (P47)

そんな些細なことを怖れるあまり、彼はこっそり他人の家に忍び込んで金を奪い取ろうと企み、家人に見つかって相手を殺すことになる。

盗みの方が――犯罪者になることの方が、罵られるよりも怖くないと思ってしまうこの心理。

あるよねぇ。

そこからどんどん深みにはまっていく男の悲劇。しかもその「些細なこと」に怖れず正面から立ち向かっていればこんなことには……という最後の哀しいオチ。

いやぁ、もう、ホントに読んでてつらい。こういう人間の哀しさ、人間の愚かさを描くの巧すぎです、ウールリッチ。


【霧の中の家】

友人から「恋人を訪ねてほしい」と頼まれていたインガム、霧の中、教えられていた家を訪ねます。

「その家には誰もいないよ」という近所の人の話を無視して(事前に電話して在宅を確認していたせいもあるけど)行ってみたら事件に遭遇、警察を連れて戻ってみると家はもぬけのから。警察官も「その家は何週間も閉鎖されていた」と言うし、さっきあかあかと燃えていた暖炉にも冷たくなった灰しかない。

どういうことだ?と思っていると殺されたばかりの死体が発見され、インガムは自分が連れてきた警察官に殺人犯として連行されることに……。

うーん、あんまりウールリッチぽくないというか、さほどドキドキしないお話でした。


【爪】

殺人現場に残されていた爪。それは犯人の指からはがれ落ちたものと思われ、その他の状況から犯人はレストランの配達係かウェイターだと推測された。つまり、「指の爪がはがれているウェイターが犯人」。

一人一人手の指をあらためていけば楽勝!――のはずだったのだが……。

いやー、予想通りのオチだけど、このオチは嫌だよねぇ。この最後に出て来る「奥さん」の立場にはなりたくないよねぇ。

江戸川乱歩編の『世界短編傑作集』に入れられた古典的名作でアイディアは秀逸だけど、短いせいもあってウールリッチ節は楽しめません。


【我が家の出来事】

4巻の中で一番好きなお話。

「何でもいいから本当にあったことを書け」という作文の宿題ができなくて居残りさせられているジョニー。「書かないと家に帰さないわよ!」と言っているプリンス先生、最初は「ヤな女教師だなぁ」「書けないっつったら書けないんだよ!」と思ってしまったのですが。

実はとってもいい先生だったりするんですね。

というのも。

ジョニーがどうにかこうにか書き上げた作文、そこに書いてある内容を「本当にあったこと」だとちゃんと信じてくれるから。

ジョニーは家の中であったある夜の出来事を作文に書いたのですが、プリンス先生は「これってもしかして殺人を目撃したんじゃ!?」と思うのです。

で、行動力抜群なプリンス先生、警察に乗り込みます。殺人課刑事に作文を見せて「捜査してください!」と頼むのですが、もちろん刑事は取り合ってくれません。「子どもの書いたものでしょう?」と笑い出す始末。

「いいわ、もう警察なんかに頼まない!私が自分で調べてみせるわ!」とプリンス先生はジョニーの家に居候する算段をつけ、ジョニーの義理の父親と義理の兄の素行を調べ始めるのです。行動力抜群にも程がある!

もし本当にその家で殺人が起こっていて、その犯人がジョニーの義父達だとしたら、それを嗅ぎ回っているプリンス先生の身が安全なわけはありません。わかってて嗅ぎ回っちゃう先生、ほんと剛胆すぎ。

しかも頭いいんですよね。観察力が鋭いというか。

「子どもの作文」と笑い飛ばしながらもプリンス先生の行動を気にして、「近隣で行方不明になったものはいないか」と調べてくれていたケンドール刑事。彼がいなければ先生はまず間違いなく殺されちゃっていたでしょう。

なので助けに来てくれたケンドール刑事と先生が最後にいい仲になるのはお約束♡

二人のキャラクター設定が好みだし、事件の顛末もうまくできてるなーと思います。もしプリンス先生があの作文にピンと来なかったら殺人が露見しなかっただけでなく、ジョニーはこの先もずっと悪党の義父達に苦労させられていたはず。

時には居残りさせてまで書かせることも必要なのかも……?


【裏窓】

有名なヒッチコックの映画『裏窓』の原作です。


映画は未見なのですが、グレース・ケリーが演じた「主人公の恋人」というのは原作には出て来ません。

怪我で一時的に足が不自由になって部屋にいるしかない主人公。退屈しのぎに向かいのアパートの窓を覗いていて、それぞれの窓に浮かぶ人間模様を楽しんでいました。

が、ある日とある窓の住人の様子がいつもと違うことに気づき、「もしやあの男は妻を殺したのでは…?」という疑念を抱きます。

「It had to be murder」(殺しに違いない)というのが原題。(単行本収録時には映画と同じ「Rear Window」(裏窓)という題だったそう)

『我が家の出来事』でプリンス先生が作文を持って警察に行ったように、『裏窓』の主人公ジェフリーズも旧知の刑事に電話して「調べてほしい」と頼みます。プリンス先生と違ってジェフリーズは笑われることなく、刑事は渋々ながらも調べてくれるのですが……。

この刑事さんが最後に「勘弁してくれ、おれのミスだ」みたいにジェフリーズに謝るところがあるんですが、読者としてはずっとそこ気になってて「警察そこ確認してないんだろ?え?」という気持ちでした。

窓から見える様子だけ、もちろん話し声などは聞こえず、パントマイムのような住人の動きや灯りの有無といった情報だけで推理していくのは面白いですが、あまりいい趣味とは言えませんよね、要は「覗き」だし。

自分の勘を信じて捜査にのめり込み、危険な目にあっちゃうのはプリンス先生とおんなじなんだけど、ジェフリーズは好きになれませんでした(^^;)


【睡眠口座】

昔々の郷ひろみと森繁久弥の映画『夢一族 ザ・らいばる』の元ネタとなった作品です。
タイトルは聞いたことあるけどもちろん『夢一族』を見たことはありません。ググったところ、かなり脚色されてる感じ。

「睡眠口座」というのは長い間取引のない預金口座のことで、日本の法律では「銀行の預金では商法上5年、信用金庫などは民法上10年取引がないと預金者は権利を失う」とされているそうです。(実際は10年程度は払い戻しに応じているもよう)

で、このお話の文無しの主人公ジョージ・パーマーは新聞に載っていた睡眠口座の広告にふと目を留めるのですね。

「十五年以上未請求の口座一覧」という告知が新聞に出ていたのです。お心当たりの方は速やかに銀行にご連絡ください、という。

職にあぶれて公園でぶらぶらしているしかない26歳のジョージ・パーマーは一か八か、その睡眠口座の持ち主の一人リー・ニュージェントになりすまし、銀行に行ってみるのです。

もちろん多少の調査はして、リー・ニュージェントという人物が自分とほぼ同じ27歳であることや、18年前に火事で母や姉をなくし、リー自身も重傷を負ったらしいことを知ります。

くだんの睡眠口座は母親が息子のために開いた信託口座で、当時まだ9歳だった本物のリー・ニュージェントはそんな口座のことを知らなかった可能性が高い。もしかしたら火事の後遺症でもう死んでいるかもしれないし、この町にはもういないかもしれない。

そうして賭けに出たジョージ・パーマーはまんまとリー・ニュージェント名義のお金を受け取るのです。

その額なんと1万ドル以上!

しかし世の中そんなに甘くはありません。高額の未請求預金を受け取った人物として新聞にデカデカと顔写真が載ってしまい、本物のリー・ニュージェントやその関係者に追われる危険に怯えることに……。

ジョージ・パーマーは他人の金を横取りした詐欺師ではあるんですけど、なんか憎めないんですよねぇ。お話全体もドキドキさせられるけどどこかほんわかした雰囲気があって、最後のオチも素敵。本物のリー・ニュージェントはいい奴すぎるけど、でも彼がああいう態度を取ったのはやっぱりジョージ・パーマーが「憎めない奴」であることも大きい気がする。

「都会のおとぎ話」という味わいの一篇です。


【死者が語れば】

これ、この巻で2番目に好き。

3人組の空中ブランコ乗り。男2人に女一人の組みあわせ。十代の頃からトリオを組んで息ぴったりの3人、でも一人の女を両方の男が愛したら。

そしてその一人の女が、まったく別のよその男を愛したのではなく、二人のうちの一人だけを愛したなら。

そこに、悲劇は起きる。

語り手は死者。

死んで横たわっている男が、なぜ自分が死ぬことになったかを語る。

これがねぇ、せつないんですよ。

「選ばれなかった男」の独白。

選ばれた男を憎んで、殺そうとして、でも、同じように家出してサーカスに入った無二の親友でもある彼を撃つことはできなかった。

運命の時が来て、運命に抗おうとしたのに、根っからブランコ乗りであることをやめられない彼は舞台に立ち、そうして―――。

これ、女が悪い!

二人の男に愛されているのがわかっていて、そのうちの一人を選んで、残されたもう一人の気持ちにそんなに無頓着だなんて!

「演技に関わりのないことを舞台に持ちこまないで」とか、「待ってるわ」と優しく頬に触れるとか、自分の残酷さがわかってるのか! おまえが彼を追い詰めてるんじゃないかぁぁぁぁぁ!

最後が冒頭のリフレインになっているのがまた、いいんですよね。

このせつなさ、胸の痛みこそウールリッチの真骨頂。



『裏窓』収録巻ということもあってか、巻末に映画化されたウールリッチの作品リストがついています。ウールリッチの作品はホントにたくさん映画になっているんですよねぇ。

ブレナン=舘ひろしでドラマ化してほしいと思った『シンデレラとギャング』、日本でも昔(1977年公開らしい)『ミッド・ナイト・シンデレラ』というタイトルで映画になっているそうな。

なんかBSスペシャルドラマとかでやってくれないかな、ブレナン=舘ひろし版『シンデレラとギャング』。



引き続き5巻目を楽しみます♪