『アメリカ銃の秘密』に引き続き、国名シリーズ7作目『シャム双子の秘密』もサクサクと読み終わってしまいました。

2万人の観衆がひしめく中で殺人が行われた『アメリカ銃』とはうって変わって、今度はいわゆる「クローズドサークル」で事件が起きます。

休暇でどこやらへ遊びに行っていたエラリー父子、アロー山の山中で道に迷った上に、山火事によって麓へ降りる道を断たれます。冒頭で警視とエラリーが「おまえのせいだ」「これぞ本物の生の自然だよ」などと言い合っている様子はなかなか楽しいのですが、山火事とあっては笑ってもいられません。仕方なく山頂への道を登っていくと、そこには一軒の館が建っていたのですが。

どうにも、怪しい。

応対に出て来た男の様子も怪しければ、主人をはじめ館にいる連中も何事かを隠しているようで……。

『エラリー・クイーンの新冒険』に収録されている「神の灯」と同じように、いかにもいわくありげな館で、「さぁさぁ何が起こるんだい」と読者の興味をそそります。

何が起こるって、そりゃもちろん殺人事件が起こるわけですが(笑)。

一夜の宿を借りたエラリー父子が翌朝起き出してみると、館の主人が書斎で殺されていたのです。山火事のせいで警察もすぐには駆けつけられない中、エラリーと警視の捜査が始まり、残されたダイイングメッセージによって割とすぐに犯人が名指しされます。

メッセージを解いたのはエラリーではなく警視の方。エラリーは

つねに行動をともにしていると、やはりそれなりの影響を及ぼすらしい。老犬にも新しい芸を仕込むことは可能なのだ。 (P174)

なんて言っちゃってます。ひどいなぁ。エラリーよりずっと多くの事件を解決してきたに違いないニューヨーク市警の名刑事に向かって「老犬に芸を仕込む」とは。

もちろん、「警視の名推理ですんなり事件解決!」とは行かず、エラリー達は「ダイイングメッセージの罠」に捕らえられてしまうのです。しかも山火事は収まるどころかどんどんひどくなり、下界との電話も繋がらなくなります。館の中にいてさえ煙や灰に苦しめられ、食糧も底を突きかける中、依然殺人犯の正体は知れない。

「陸の孤島」と化した館に殺人犯とともに閉じこめられた12人(殺人犯を抜くと11人ですが)、果たして事件の真相は――そして山火事は――。

二転三転する推理も面白いのですが、山火事が鎮火するどころかどんどん館に迫ってきて、「まさかエラリーと警視が死ぬわけはないけど(死んだらシリーズが終わっちゃう)、でもまだ消えないよ? え、ちょっと、ホントにヤバいよ」と、むしろ火事の方に心を奪われてしまいます。

そこは登場人物も同じで、迫りくる炎とそれによる避けがたい死の方が、事件の真相解明よりも大きく心にのしかかる。そりゃあそうですよねぇ。犯人がわかろうとわかるまいと、このままじゃどうせみんな火に巻かれて死んじゃうんですから。

エラリーでさえ、

おのれの消滅に直面している人間が、ひとりの殺人犯のことを多少とも気にするのはなぜだろう? (P387)

と自問しています。

それでも最後には、「事件について考えること」が逆に間近に迫った「死」から気をそらしてくれると考え、エラリーは一同を前に「やっとたどりついた真相」を語り始めるのでした……。

うん、「やっと」。

『アメリカ銃』では「最初から色々わかってたことはあったけど警視にも内緒」にしてた秘密主義のエラリー、今回は全然わかってません(笑)。それどころかダイイングメッセージに振り回され、第二の殺人まで起きてしまう。

しかもこの殺人のきっかけは早合点な警視の射撃。射撃の腕が確かすぎて、危うく殺人犯になるところだったよ、警視。いくらニューヨーク市警の名物刑事と言っても、もしあのまま被害者が死んじゃってたら何らかの罪に問われてたんじゃ。

そういう意味では被害者にとどめを刺してくれた犯人こそ、警視を救ってくれた恩人。

もっともその犯人に警視はクロロホルムをかがされ、大事な結婚指輪を盗まれちゃうんだけど。

「息子よ、おまえの母さんの形見なんだぞ。千ドルもらったって人手に渡しはしない」 (P329)

とまで言ってた大切な指輪、残念ながら最後まで警視の元には戻ってこなかったようですが……。これで吹っ切れたのか、警視は後に『クイーン警視自身の事件』という作品で知り合った女性と再婚してしまうんだそうな。

えー、亡くなった奥様ひとすじじゃないんかー。

それはそうとクロロホルムをかがされて床に倒れていた警視を見たエラリー、思わず泣いちゃいます。

そのときエラリーは、思いがけない驚きに打たれた。何か湿ったものが頬を伝い落ちている。自分は泣いているのだ! そんなおのれに腹を立て、頭を激しく振った。 (P304-305)

「老犬にも芸を仕込める」なんてうそぶいてたくせにねぇ。ホントはパパ大好きなんだから。うぷぷ。

タイトルになっている「シャム双子」は館に居合わせた少年達として登場します。いわゆる結合体双生児というとベトちゃんドクちゃんを思いだしてしまう世代なのですが、どこが結合しているかは色々なケースがあるのですねぇ。この作品に登場する少年達は聡明で快活で、二人が繋がっていることを除けばとても元気です。彼らもまた殺人の容疑者の一人(というか二人)なわけですが、もし万一どちらかが主犯で、どちらかはただ嫌々付き合わされただけなのだとしたら、法律上は一体どういうことになるのか、とエラリーが考えるのが面白いです。

二人を肉体的に分離できない以上、どちらかだけを「刑に処す」ということができないわけですからね。

「このぼくが偶然あの現場に現れていなかったとすれば、犯人の意図は、おそらくだれにも見抜いてもらえなかったでしょう。うぬぼれてるわけじゃありませんよ、ぼくの思考がある意味において、犯人の思考と同じくゆがんでいるというだけですから」 (P393)

というエラリーの台詞も面白かった。ゆがんでる自覚あるんだ~(笑)。

この「犯人の意図」というのはダイイングメッセージ絡みのお話なんですが、ミステリにおけるダイイングメッセージは「すぐわかるようなものではダメ」で、大抵は凝ったものになってますよね。被害者が力尽きて途中までしか書けなかったために意味不明になっているとか、まだその場に犯人がいる、あるいは戻ってきた犯人に消されるかもしれないから……、と色々理屈はつけられますが、読者としては「なぜ犯人を教えようとする時にそんなまわりくどいなぞなぞにするんだよ!」とツッコミたくなる。

絶命間近な被害者がそんなに凝ったものを思いつけるのかと。

今作でも最終的には「そこが怪しい」になるわけですが、実際の事件でダイイングメッセージが残ってることって、どれくらいあるんでしょうね。残したつもりだけどエラリーのような探偵がいなかったのでそれと知られずに終わったものとかあるのかな……。

あと、冒頭で山中に迷っている時、

エラリーの声は山の風に乗り、彼方へ運ばれていった。しばしのあいだ、それに応える音は、愛を交わすコオロギの後肢だけだった。 (P39)

という文章があって、クイーンさんの表現ほんと好きだなぁと思いました。

「ぼくはゆうべから、旧友の脳細胞たちに超過勤務をさせてたんだ。その連中はまる十二時間、チクタク活動しっぱなしだった」 (P350)

なんて台詞も洒落てて好き♪



国名シリーズもいよいよ残り2作。

もったいないのでまたちょっと別の作品に寄り道したいと思います。


【※これまでの国名シリーズ、その他クイーン作品についての感想はこちらから】