『鋼鉄都市』『はだかの太陽』につづくアシモフのロボット物長編、ベイリ&ダニールシリーズ三部作の最後の作品です。(ダニールが登場する続編的作品はもう一つありますが)

文庫で上下巻、読み応えたっぷりの長編。今回も「謎解き」ですが、むしろ今回はロボットと人間、地球人と宇宙国家の人間達との違いや葛藤、「今後どうなっていくべきか」という非常に思弁的な対話が主になっています。人によっては読むのがめんどくさく感じるかもしれません。

『はだかの太陽』から25年もの年月を隔てて上梓されたこの『夜明けのロボット』、物語の中では2年ほどしか経っていません。ソラリアでの事件を下敷きにしたハイパーウェーブドラマは宇宙でも地球でも大人気、今やベイリはすっかり有名人です。

そしてベイリは息子のベンや一部の志を同じくする人間達とともに、「そと」での活動を始めています。『はだかの太陽』の最後で受けた啓示通り、「地球人はシティという子宮を出て宇宙に旅立っていかなければならないんだ」と。その第一歩として、「そと」で耕作に勤しんだりしています。

前2作を読んだ時にはそこまで思い至りませんでしたが、「空調完備」のシティ内部では汗もかかないそうで、「そと」での労働を始めたベイリ達は「壁に囲まれていない不安感」はもちろん、自身の体が発する汗にも悩まないといけない。もちろん空から雨が降ってきた日には怖れおののき、「濡れる」という感覚に非常な不快感を覚える……。

いやー、こんな地球人達がホントに宇宙開拓なんかできるのかと思っちゃいますが、それより何より人間ってそんなにも「適応」してしまうものなのかなぁ、と。

フィクションとはいえ、「それが当たり前」の中で育てば当然そうなるだろうと思えて、未来の地球人類をそのように描いたアシモフさんに感服。

で。

そんなふうに有名になりすぎて、市警本部や地球の上層部からは疎まれているらしいベイリのもとに、再び「宇宙からの依頼」が舞い込みます。

ロボット・ダニールの生みの親、ファストルフ博士にかけられた嫌疑を晴らすべく、宇宙国家オーロラへ赴くベイリ。

『はだかの太陽』では「やっぱりダニールを抱きしめたりできないよぉ。だってやっぱりロボットじゃないかぁ」などとごねていたベイリですが、今回は。

ベイリはダニールをいつまでも抱きしめていた。この宇宙船では予想もしなかった親しいもの、あの過去とのたったひとつの強い絆。安堵と懐旧の情がどっとあふれるのを感じながら彼はダニールにしがみついていた。 (上巻 P57)

思いっきり抱きしめています。

ふふふ。

まぁ、飛行機に乗るのさえ大変だったベイリがオーロラ行きの宇宙船に乗っているわけで、精神的にも肉体的にもキツい中、旧知のダニールの存在にホッとするのは当然。「何よぉ、ロボットを抱いちゃってるじゃない」などと揶揄しては気の毒というものです。

すっかりダニールを「友」と認めてしまったベイリ。ダニールはダニールで、

人間の感情にあてはまるようなものはありませんよ、パートナー・イライジャ。しかし、あなたの姿を見たために、わたしの思考はいっそう自由にあふれだしてくるように思われますし、わたしの体に加えられる圧迫は、それほどの執拗さはありませんがわたしの感覚に働きかけるように思われますし(後略) (上巻 P58)

などと述懐します。

相思相愛ですね~(違う(笑))。

宇宙船には、ダニールとともにジスカルドというロボットも乗っています。同じくファストルフ博士のロボットで、博士に「執事のよう」と言わしめる高性能のロボットです。ダニールのように人間そっくりの外観ではないために、ベイリはジスカルドを「ダニールより劣ったもの」「通りいっぺんのことしかできない機械」と見なすのですが……。

人間って不思議ですよね。相手がロボットでも、やっぱり「見た目」に騙される。

ダニールになら気遣われてもいいけど、「ただの機械」に気遣われたり優位に立たれたりするとイラっとしてしまうベイリが面白い。

ベイリが解決を任されたのは「ロボット殺害事件」。ダニールと同じヒューマンフォームのロボット・ジャンダーが機能停止に追い込まれた。物理的に破壊されたのではなく、陽電子頭脳がなんらかの破綻をきたして、人間でいえば「脳死」のような状態になってしまったのです。

非常に高度なヒューマンフォーム・ロボットの頭脳を相矛盾する命令で機能停止に陥れることができるのは生みの親であるファストルフ博士だけ。でももちろん博士は「自分はジャンダーを殺してなどいない」と容疑を否認。政治的にファストルフ博士と対立している陣営はこれ幸いと博士を追い落としにかかり、「親地球派」である博士が失脚すれば地球へのダメージも計り知れない。博士にかけられた嫌疑を晴らし、地球の未来を守ることがベイリに課せられた使命。

前作『はだかの太陽』の事件も、「状況的に被害者を殺害できるのはグレディア一人だけ。しかしグレディアにそんなことができるはずもない」というものでした。

最初の『鋼鉄都市』でも、「容疑者はいない」みたいな感じでしたよね(すでに細かい内容を忘れつつある(^^;))。

地球で起こる「普通の殺人事件」とは違って常に「特殊な状況下の事件」を捜査させられるベイリ。そして毎回見事に解決してしまうのですが、今回もたった2日捜査しただけ、3日目の朝には宇宙国家オーロラの最高権威者である議長とわたりあって「ありがとう、ミスタ・ベイリ」と言わしめる。

いやー、すごいなベイリ。

前作でヒロインとして登場したグレディアは今作でもヒロインで、彼女の性的な成長がお話の一つの軸ともなっています。

直接他人と会うことがなく、「夫婦」でさえめったに会うことのないソラリアで育ったグレディア。『はだかの太陽』での事件を機にオーロラへ移住した彼女は、今度はオーロラでの「したい放題のセックス」に戸惑っています。

長命になり、人口調節(つまりは出生数の調節)が当たり前になっている宇宙国家。ソラリアではセックスはタブーであり、オーロラでは逆に「水のようなもの」。どちらも愛情なんて関係がない。

グレディアを通して描かれる「宇宙国家の不自然な性」。というか、アシモフさんが地球のそれを「自然」だと考えているんでしょうね。短命で人口爆発に悩んでも地球人のあり方の方がやはり「本来」なのだと。宇宙国家から見れば欠点にしか見えない地球人のあり方こそが「活力」を生むのだと。

宇宙国家の中で最も成功し成熟したオーロラも、この先は衰退していくだろう。自分達で宇宙を開拓するのでなく、ロボットにその仕事をさせ、「出来上がった快適な世界」をただ享受しようと考えるオーロラ人に未来はない……。

「地球こそまことの“夜明けの世界”だ」という台詞で、この長編は幕を閉じます。それを言うのは実はロボットのジスカルドなんですけど、ここまで「自我」を持ったロボットを、いつか人類は本当に作ってしまうんでしょうか。

ロボットに感情はない、単に陽電子流の急変動が感情を模倣するにすぎない(そしてじつは人間にも感情というようなものはないのであって、単なる神経細胞のサージを感情と解しているのかもしれない) (下巻 P174-175)


ダニールとジスカルド、そしてグレディアが登場するというさらなる続編『ロボットと帝国』を引き続き読みたいと思います。

(『ロボットと帝国』の感想はこちら