いわゆる『ヴァリス』三部作の2作目。

(『ヴァリス』(新訳版)の感想はこちら

と言っても『ヴァリス』の「続き」というわけではなく、登場人物も時代も書き方もまったく違います。

『ヴァリス』では作者ディックの分身であるファットとフィルが主人公(?)で、舞台は1978年

一方この『聖なる侵入』は、遠い未来のお話です。人類が遠い星に植民ドームを造っていて、星々と地球の間に宇宙船が行き交っているような時代。

とある植民ドームに暮らしているハーブ・アッシャーはある日、「神様」のお告げで隣のドームのライビスのもとを訪れるように促され、謎の男エリアス・テートとともにライビスを地球へ連れて行く役目を担うことになります。

正確には、「ライビスのお腹の中にいる子どもを」。

辺境の星の植民ドーム(一人に一つドームがあるらしい)で一人ぼっちで難病に苦しんでいるライビスには夫も恋人もなく、それどころか処女だったりするんだけど、「どうもおかしい。まるでつわりみたいに気分が悪い」と思ってコンピュータに検査させると「妊娠三か月です」。

聖母マリアの処女懐胎。

謎の男エリアス・テートは預言者エリヤ。

悪魔(?)ベリアルに地球を追放された「神」はライビスのお腹に宿り、再び地球を目指すのだけれど、ベリアルの妨害により宇宙船だか飛行船だかが事故に遭い、ライビスは死亡、ハーブは冷凍生命停止状態、そして胎児だった「神」エマニュエルは脳に障害を持って生まれ、「自分が何者か」思い出せない。

遠い星でのハーブたちのやりとり、少年として成長しているエマニュエルと謎の少女ジーナとの会話、宇宙からやってくる「何か危険なもの」を阻止しようと動く地上の権力者たち。場面は必ずしも時系列通りではなく、入り乱れて話が進みます。

『ヴァリス』よりずっと読みやすくて割とさっさと読み終えることができました。

うん、まぁ、面白かったんだけどね。

少年エマニュエルがしだいに「自分の正体」――神様ってことだけど――を思い出していく過程、それを手助けするジーナとの「神学論争」。ジーナの正体の謎。

もしかしてジーナはベリアルの化身???とも思ったんだけど……。

なんだろう、『ヴァリス』よりわかりやすい(話が追いやすい)分、『ヴァリス』ほどの衝撃はなかったです。神様がどうこうという話が苦手な人でもSFとして普通に読めそうで、「なんじゃこりゃ!?」という驚きがない。

時系列を行ったりきたりしながら徐々にエマニュエルが「目醒めていく」書き方、その、「過去に遡る」部分が実は「冷凍生命停止状態にあるハーブの夢」みたいな形になってるのも、「小説」としてうまくできてる。

でもエマニュエルが「自分」を思い出し、ジーナの正体もわかって、「さぁ、世界はどうなる!?」と思ったらなんか妙にこじんまりと終わってしまって、「結局“神様”って……」という気分になります。

訳者山形浩生さんによる悪魔ベリアルに扮した「訳者あとがき」が非常に秀逸で、そういう「神様って…」という気分も、『ヴァリス』からの流れも全部、うまくまとめてくださっています。

『ヴァリス』では猫や女友達の死を悼み、「なぜ神様は彼らを救ってくださらなかったのか」と憤っていたディック。

でも今作では、「女友達」でもあり、何より「聖母マリア」に擬されているはずのライビスがまず、不幸。扱いがひどい。

その気も、その経験もないのに妊娠させられ、「地球に戻る口実」にするために難病まで患わされているライビス。

「でも粗暴だわ。あたしに起こっていることは粗暴」 (P100)

「なぜ救いが続かないの? なぜ立ち消えちゃうの? 最終的な解決策ってないの?」「あたしは救済される人には含まれてないわ」 (P101)

ほんとそうだよねぇ。「もともとあたしを病気にしたのは神様なのよ!」

おまえは子どもの中で永遠に生き続ける、なんて言われても、そのために毎日ひどい苦痛に苛まれ、“神の子”を孕まされたがゆえに「つわり」まで経験しなきゃならない。あげくに「子を生むことによってきっと死ぬ」と予見されてしまってる。

聖書にはこんなことは書いてなかったと思うわ。マリアがつわりで苦しんでいるところなんか。むくみと妊娠線も出るんでしょうね。聖書にはそれも書いてなかったはず。どっかの壁の落書きとしては気が利いてる、と彼女は内心で思った。処女マリアに妊娠線。 (P109)

キリスト生誕の話がどこまで「現実」なのか知らないけど、「キリストの母」に選ばれてしまったマリアの気持ちってどんなだったんだろう。望んで妊娠してさえ色々体はつらいし不安にもなって大変なのに、その赤ん坊は「人間じゃないもの」なんだよ。

「自分じゃないもの」ってだけでも考えたら不気味なのに、いくら天使が祝福してくれたってお腹の中で大きくなっていくのは「普通の赤ん坊ではない、なんだかわからないもの」。

よく発狂しないよね……。

神である少年エマニュエルにその血肉を分け与えたライビスはあっさり殺されてしまうし、最後の「別の世界」でも「グチばかり言ってるだらしない妻」としてしか描かれなくて、「何が起こったか」を記憶し理解し、最後に救われるのはハーブの役目になってる。

なぜ。

どうしてライビスじゃなく、「神」の「法的な父」でしかないハーブがそんないい目に遭ってるの。

植民ドームで、ハーブは引き籠もりと変わらない生活を送ってた。ハーブは、特に立派な人間でもなく、病気のライビスの見舞いに行くよう「神」に促された時も、最初は嫌々だった。

だからと言って性悪なヤツでもなくて、むしろごく「普通」なんだけど、せっかく生き返っても隅に追いやられたままのライビスと違って、彼は最後には主役になっちゃう。

女としては納得いかないなぁ。どう考えてもライビスは「神様に選ばれ損」

まぁ、所詮神様なんてそんなもの、と言えばそうなんだろうけど。

神様にとっては人間も地球も、たいして重要じゃない。わざわざライビスの胎から生まれ直して地球に戻ってくるのも、人間を救うためじゃなく、悪しきものに支配された地球を抹消するため、「災厄の日」を実行するためなんだから。

「これまであなたを何年も観察してきたわよ。人類が嫌いなのも見たし、人類が無価値だと思ってるのも見てきたわ。無価値なんかじゃないとあたしは言いたいのよ。死んで当然なんかじゃないわ」 (P257)

ジーナがエマニュエルに向かって言うセリフ。

世界はそんなに醜くもない、美しいんだから、消しちゃダメよ、とジーナはエマニュエルを説得して。

二人は賭けをする。

ハーブがどう行動するか、何を選ぶかで、地球を――人間を――救うかどうか決める。ジーナが作り直した「優しい世界」か、それともエマニュエルが創造したままの「厳しい世界」、滅ぼされる世界にするか。

たまたまライビスの隣の植民ドームにいたというだけで、人類存亡の鍵にされちゃうハーブ。

神様を信じれば、それは「たまたま」ではなくて、ライビスが選ばれたのも、その隣にハーブがいたのも、「すべて最初から決められていた」ことなのかもしれない。

「あの犬を殺したのはベリアルじゃなくて、あなたなのよ、ヤアウェ。万軍の主たるあなた。世界に死をもたらしたのはベリアルじゃない。だって死はいつだってあったんだもの」 (P257)

そーよねー。

ベリアル造ったのも神様だし。

しかもせっかく捕まえたベリアル、逃がしちゃうし。

神様って一体。

途中で「遊んでる」「ゲーム」みたいな言葉出て来たけど、まぁ人間なんて「遊ばれてるのわからないなんて可哀想だわ~♪」という存在なんでしょうね(´・ω・`)

最後、ジーナの造った「優しい世界」でベリアルの誘惑に打ち勝つハーブ。ベリアルは「ものごとの悪い側面ばかり見せようとする」「万物の価値がきわめて少ないと匂わせる」から、ハーブは逆に「いい面を見て」、「世界を変えるんじゃなく自分のものの見方を変える」ことで自分自身を救う。

うーん、まぁそれは一つの真実だとは思うけど、ベリアル風あとがきで訳者さんが言ってるように、「それって与えられるものに満足しなさい」っていうただの「ポジティブシンキングの勧め」でしかないような気もする。

所詮世界はそんなもの、なのか?

遺作となった最後の『ティモシー・アーチャーの転生』ではどんな世界が――そしてどんな神が――描かれるのか。新訳版の刊行が楽しみです。


ちなみに。

今作は『ヴァリス』の単純な「続き」ではないけど、『ヴァリス』の名は古い映画のタイトルとして出て来ます。「ピンクの光線」も出てくる。

そして音楽が重要な役割を果たしているのもいっしょ。

『ヴァリス』はロック・グループ「エリック・ランプトン」が撮った映画だったし、『聖なる侵入』では宇宙的アイドルとも言える「リンダ・フォックス」が重要なキャラクター。

ハーブが自分を冷凍生命停止状態にあると認識するのは「どこからか流れ続けるゆるい弦楽」のせいだし、「優しい世界」でオーディオ店を営んでいるハーブはマーラーの交響曲第二番の編成をすらすら喋ったりする。

リンダ・フォックスの曲はダウランドのリュート曲集がもとになってるという設定だし、ディックって音楽好きだったんだなぁと思っていたら。

Wikipediaに

「ディック本人の言によれば、彼は1947年に KSMO というラジオ局でクラシック音楽番組の司会を務めていたという。1948年から1952年まで、レコード店の店員として働いた。」

とありました。

『流れよ我が涙、と警官は言った』という作品の「流れよ我が涙」というのもダウランドの曲から来ているのだとか。

『ティモシー・アーチャーの転生』も「ジョン・レノンが死んだ日に云々…」らしく、ディックにとって音楽はとても大切なものだったのでしょうね。

(※新訳版『ティモシー・アーチャーの転生』の感想はこちら