(3巻の感想はこちら。ふたたびではない無印の『お伽もよう綾にしき』の感想はこちら。ついでに「もし宝塚で『お伽もよう綾にしき』をやるとしたら」という妄想記事もあります)

4巻が出たのが昨年の3月で。

続きはいつ出るんだろうぅぅぅと心待ちにしていました。

心待ちにしていたのに、1月に出ていたことを2月になってから知り(笑)。

慌てて買いに走りました。

新しいマンガを買うことがほとんどなくなって、本屋に行ってもマンガの棚を覗くことがほとんどないので……『やじきた』の新刊も出たの気づいてなかったよ……。

いやー、5巻も良かった!

4巻の途中で始まった新しいお話、那王寺の戦没者名簿が何者かに奪われ、その捜索を頼まれた新九郎とすず達が奇妙な空間に入り込んでしまい、「ここから一体どうなるんだろう?どういうお話なんだろう?」と思っていたんですよねぇ。

4巻に収録されている部分だけだと割と展開がのんびりした感じというか、「なんか空間がおかしい」ということしかわからなくて、名簿を盗んだもののけも一向に出てこず、一体どういう事件なのか輪郭が見えなくて。

こういう話だったかー、なるほどー、とうならされる5巻でした。

そしてやっぱり、泣ける。

ひかわ先生の描くお話ってほんと、いいんですよねぇ。ほろりとさせられる。すごくあったかい気持ちになる。

悪い人出てこなくて、悪そうに見えても改心しちゃって。

金に執着して死んだ高利貸しのおばばの若い時のエピソード……そしてそのおばばの波乱に富んだ人生を思い出し、疎んできたことを悔い、成仏を願う家族たち。

うう、読みながらじわりと涙が。

おばばの魂を地獄へ連れ去ろうとする火車との戦い(?)の中で、大日如来の真言を唱え、「本不生 生まれなきもの 元よりそこにあるもの」という阿字観の思想が出てくるのもすごい。

妖術の修行をして新九郎達に妙なライバル意識を燃やしていた美三郎というキャラが、「こいつら、俺なんかとは“格”が違う」って思うシーンがあるんだけど、うん、大きいよね、二人の、世界を観る眼。

すずと新九郎って表面的にはままごとみたいな可愛いカップルなんだけど、二人とも幼い頃に家族を亡くしてつらい日々を送ってきているし、その不幸に負けないまっすぐな強さを持ってて、なんというか、人間としてすごく「大きい」。

マンガ本編ではない、横の空いたスペースでひかわさんがビッグバンと9次元と曼荼羅の壮大なお話をされてるのも非常に興味深い。

科学で解明されている世界のことわりと、不思議と相通じるのかもしれない曼荼羅や陰陽の考え方。

深い。

そして今回も、

おじゃる様が麗しいっ!!!

新九郎とすずも好きだけどやはりおじゃる様っ! おじゃる様見たさに読んでる(笑)。

狐だろうともののけだろうとかまわない、おじゃる様に扇で「ぐいー!」とされたい!

新九郎とすずがじゃれ合ってるのを意味ありげなまなざしで見つめてるコマが多かったので、「まさかおじゃる様、“私の役目はもう終わった”とか言い出さないよね?」とちょっと心配だったのですが。

「面白い二人でおじゃります。まろは見ていて飽きませぬ」

ほっ。

これからも二人を見守り続けてくださるのね。ああ、良かった、飽きられない二人で(笑)。

そう言ったすぐ後、「いつまでくっついておる」といつもの「扇ぐいー!」をやるところも素敵。ほんと最高だわ、おじゃる様。

あまりにおじゃる様熱が高まり、5巻だけでは物足りなくてまた無印の『お伽もよう~』1巻から読み返してしまってます。何度読んでも楽しい。ひかわさんすごい。

LaLaメロディのWebサイトに掲載されているひかわさんのインタビューによると、アシスタントなしですべてお一人で描いてらっしゃるらしく。

しかもネームの段階からかなりしっかりと絵を描いてらして。

これは……たびたびお体を壊されるのも無理はない……と思ってしまいました。

なので続編をせっつくことはいたしませんが。

末永くこのシリーズが読めますように。また新しいおじゃる様のお姿が拝見できますように。

願ってやみません。

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