『ローマ人の物語』の続編と言ってもよい『ローマ亡き後の地中海世界』、やっと文庫化されました♪

単行本の上巻が出たのは2008年12月ですからおよそ6年前。

『ローマ人の物語』文庫版の最終巻が出た2011年8月からは3年。

3年かー。『ローマ亡き後』文庫化の報を聞いた時は「やっとか!」と思ったものですが、3年という月日は長いのか短いのか。

ともあれ、早速購入して読みました。まずは1&2巻。単行本では上巻にあたる部分でしょう。

「はじめに」に書いてあるこの文章だけでおよよと涙がこぼれます。

人間ならば誰でも神々に願いたいと思うことのすべて、そして神々も人間に恵んでやりたいと思うであろうことのすべては、アウグストゥスが整備し、その継続までも保証してくれたのであった。それは、正直に働けば報酬は必ず手にできるということへの確信であり、その人間の努力を支援してくれる神々への信心であり、持っている資産を誰にも奪われないですむということへの安心感であり、一人一人の身の安全であった。 (1巻P13)

これはヴァレリウス・パテルクロスという人の『歴史』という著作から引かれたものだそうです。ああ、偉大なるパクス・ロマーナ。なぜ終わってしまったの……。

多神教で神様より「人間」を重視した古代ローマは結局キリスト教に負けてしまったのですが、ローマ亡き後の地中海世界にはイスラム教も勃興してきます。

いわゆる「イスラム国」の存在が大きな問題になっている今、イスラム初期のヨーロッパとの関わりを読むのは非常に勉強になります。

もっともこの本は「地中海世界」が舞台なので、オリエントのイスラムではなく、登場するのは北アフリカのイスラム。「原イスラム」と言っていいアラブ人よりも、「新イスラム」であるベルベル人やムーア人が主。

北アフリカのイスラム教徒は海賊業を生業とし、その海賊達から身を守るためにイタリアの海洋都市国家が海軍を発達させた……ということで本の副題が「海賊、そして海軍」になってます。

ローマ時代は豊かな穀倉地帯だった北アフリカ。でもこの時代、北アフリカの人たちはすでに「食えなく」なっていて、「海賊」という手っ取り早い産業に手を染めるのですね。キリスト教徒の地を襲い、侵略することには「聖戦(ジハード)」という大義もついた。

シチリアがイスラム化される過程での悲惨な虐殺とか、海賊業によるキリスト教徒の奴隷化とか読むと「うわぁ、ひどい!」と思ってしまいますが、当時の彼らにしてみればそれは「生業」で、生きていくための当たり前の方法でしかなかったわけで、特にイスラムが残虐だったという話ではないのでしょう。

もう記すのも嫌になるが、その一年もの間、パレルモの救援に駆けつけたキリスト教徒は一人もいなかったのである。 (1巻P118)

シチリアがイスラムに侵略されている間、ビザンチン帝国やヨーロッパの諸侯たちは内輪もめで忙しかったそうな。たまに救援軍を送ってもイスラム側に負けちゃったり。

イスラム側はキリスト教徒を襲っては奴隷にしていたけど、キリスト教徒は同じキリスト教徒でも異端として火あぶりに処すわけだし、どちらがより「善」でどちらがより「悪」なのか、比べてみても仕方がない。

北アフリカのイスラム教徒が「海賊業」でキリスト教徒を襲撃・拉致していたのは、彼ら敗者を奴隷としてこき使うためでした。

イスラム教にはもともと、国家の概念が存在しない。イスラム教を信ずる人々すべてを囲いこむ、「イスラムの家」の概念があるだけである。ところが、国家の概念がない場合、困ることが一つある。それは、税金を取れないということだ。 (1巻P230)

うわぁ、と思いますね。

イスラムが「国家の概念を持たないグローバルなシステム」というのは『一神教と国家』でも勉強しましたが、「国家の概念がないと税金が取れない」というのは目から鱗。

その代わり「喜捨」や「共有」という考えが根づいていたりするのですが、同じイスラム教徒からは税を取れなくても、「敗者、つまり被支配者に課される税」はあったのですね。

聖戦によって「イスラムの家」を拡大するのは単に「信仰を広める」だけじゃなくて、「税金をしぼり取ったり奴隷としてこき使える被支配者を増やす」という非常に現実的な目的もあったという……。

北アフリカの主要な海港都市には「浴場」と呼ばれる奴隷の収容施設があって、そこから奴隷達は各種労働に駆り出されていたそうです。それはそれはひどいありさまだったらしいのですが、彼らは別にイスラム教への「改宗」を強制されもしなければ勧められもしなかった。

だって彼らが「イスラム教徒」になってしまったら奴隷としてこき使うことができなくなっちゃうんだから。

「聖戦」って何なんだろう、という気がしてしまいますね。

もし世界が全部「イスラムの家」になったら奴隷も税を搾り取る相手もいなくなっちゃうけどどうするつもりやったん……。

まぁ、たとえ「改宗すれば助けてやる」と言われたところで拉致されたキリスト教徒が改宗したかどうかはわからない、「当時の教会の精神的な縛りは強力だった」と塩野さんは書いておられます。

一旦イスラムに改宗してしまったら、その後運良く故郷に戻れたとしても待っているのは「異端」のそしりでしょう。せっかく救出されたのに「いざ出港というときになって帰郷後のキリスト教社会での生活に恐怖をいだき」逃げてしまった女性もいたそうな。

改宗を勧められなかった男性とは違い、拉致された女性の多くはイスラムに改宗させられていたそうです。イスラムでは、異教徒と性交渉を持ってはいけないとかで。

改宗させられ、妾にされていた女性が故郷に戻って果たして……と思うのも無理からぬことでしょう。

2巻の後半、第3章では「キリスト教徒救出」に尽力した二つの団体の話が紹介されています。「聖地奪還」に盛り上がった十字軍とは別に、こつこつと名も無い庶民の犠牲者を救い続けた人たち。当然、「ミイラ取りがミイラになった」ケースもあったそう。

救出行にまつわる非常に細かいエピソードが残っていてびっくりさせられますが、しかし人間ってなんというか、不思議ですね。一方では残虐にもなり、一方では我が身の危険も省みず……。

イタリアでルネサンスが花開いている間にも北アフリカでは依然キリスト教徒の奴隷達が鎖に繋がれ、フランス革命のたった10年前にも救出行が行われていた。

かと思うと、イスラムに侵略されたシチリアではイスラムとキリスト教徒とが平和に共存していたりもして。

イスラム支配の200年、そしてその後のノルマン支配の200年。都合400年にわたって、シチリアでは「地中海の奇跡」が続いた。

ノルマン支配下のシチリアで、地中海の奇跡は、より一層望ましい形で実現したのである。異なる神を信ずる者同士が、互いに相手の信仰を尊重し合って共生する社会が、現実のものになったのであった。 (2巻P51)

やればできるのに……みたいな。

北アフリカのイスラム教徒は海賊を「産業」にしてしまって、結果的に他の産業が育たなくなって、「食っていくため」に海賊を続けるしかなくなってしまった。シチリアのイスラム教徒のように、他に「食っていける」道があれば、ことさらに「聖戦」(の大義を掲げた海賊業)を実行する必要はなかったんじゃないか。

後年、拉致されたキリスト教徒を金で買い戻す救出団体が現れると、海賊達はいっそう「人」をさらってくるようになる。金銀財宝を奪う必要はなくて、小さな貧しい、それがゆえに襲いやすい村を襲って人を拉致してくれば、あとで身代金が入る可能性がある。

たとえ救いに来る団体がなくても、安い労働力としてこき使えるわけだからなぁ。

「そんなことをしなくても食える」という状況を作り出すことが、「平和」への何よりの礎。

でも「そんなことをしなくても食える」ためにはそもそも「平和」が必要で。

技術が忘れ去られたのではない。じっくりと腰をすえて取り組む必要がある産業には、農業がその典型だが、平和と安全が保障されることが最重要の条件になる。中世は、それが保障されなくなった時代であった。 (1巻P31)

うーむ。

「平和」が先か「食える」が先か。

平和とは、求め祈っていただけでは実現しない。人間性にとってはまことに残念なことだが、誰かがはっきりと、乱そうものならタダでは置かない、と言明し、言っただけでなく実行して初めて現実化するのである。ゆえに平和の確立は、軍事ではなく、政治意志なのであった。 (1巻P79)

このことを理解していた二人の人物(シャルル・マーニュと法王レオ三世)の死によって云々、と続くのですが、シャルル・マーニュの“皇帝位”戴冠はイスラムの脅威がなければ起こらなかったかもしれず。

もしもイスラムの勃興がなければ、そしてローマ法王とビザンチン帝国の不仲がなければ、いわゆる「ヨーロッパ」は生まれなかったかもしれない。

少なくとも「神聖ローマ帝国」は生まれなかっただろうと――。

名前だけは知っている歴史用語が、みるみる血肉をもって迫ってきます。

『ローマ人の物語』読んでる時も思ったはずなんだけど、今回改めて地中海の地図を見て、「ヨーロッパとアフリカ近っ!」と思ったし。

なんか、ヨーロッパとアフリカって全然違う世界のイメージがあって、でも地図見るとスペインとアフリカの間は泳いで渡れそうな感じだし、シチリアとカルタゴも近い。ヨーロッパの対岸はすぐアフリカなんだなぁ、って。

そんなに近いのに

この二百年もの間、十字軍に参加したキリスト教徒の誰一人として、北アフリカに捕われている同信の徒の救出を口にした人はいなかったのだから不思議である。 (2巻P91)

すぐ対岸の北アフリカに比べたら聖地エルサレムはだいぶ遠い。でも遠いからこそ

人間とは良かれ悪しかれ、現実的なことよりも現実から遠く離れたことのほうに、より胸を熱くするものである。 (2巻P92)

というのもわかる。

名もない奴隷救出よりも聖地奪還の方が華々しく心が躍るという。

でもたった一人、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世は奴隷救出にも心を砕いた。一滴の血も流さずイスラム側と不可侵協定を結ぶことにも成功した。

が。

イスラム教徒の血を流さなかったがためにフリードリッヒ二世は「キリストの敵」と呼ばれ、法王から破門されたらしい。

なんじゃそりゃあ。

ホントに、人間ってなぁ……。

イスラムとキリスト教徒の共存する「地中海の奇跡」シチリアで育ったフリードリッヒ二世。大変魅力的な人物なようで、塩野さんによる『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』という本が別に出ています。


昨年の12月刊行ですから、文庫になるのはまだまだ先ですね(^^;)

まずは『ローマ亡き後の地中海世界』の後半、3&4巻を読み進めるとしましょう。