カドフェルシリーズを少し中断して、ちょっと毛色の違う本を手に取りました。

『辞書を編む』……映画化もされた『舟を編む』を想起させるタイトルですね。『舟を編む』はあくまでフィクションですが(ですよね?読んでないし映画も見てないですが)、こちらは現実に『三省堂国語辞典』の編纂に携わっている飯間さんが第七版の編纂過程を綴ったノンフィクションです。

『三省堂国語辞典』(以下、『三国』と略します)第七版はつい先日(12月11日)出たばかり。で、この間TwitterのTLに、飯間さんご本人のTweetが流れてきました。




「え、爆笑って“一人”ではできないものなの!?」とびっくり。

一人でビデオ見て「爆笑」することありますよね? blogとかで「(爆)」って使うのはどうなの?って話にもなるし。

飯間さんのTweetは「昔から1人でも爆笑していた」「それについて『三国』第七版に書いた」ということなので、「1人で家でテレビ見て爆笑してた」っていうつぶやきに「“爆笑”は一人では使えません」というツッコミが来たら、これからは「『三国』に書いてあります(キリッ!)」と反論すればいいわけです。

TLには他にもいくつか飯間さんのTweetが流れてきて、どれも興味深く、思わず飯間さんのプロフィールを確認すると、『三国』の編纂者であり、『辞書を編む』という新書をものしてらっしゃるとわかり。

衝動買いしました。

ええ、『辞書を編む』も『三国』第七版も。

新書なのでサクサクサクサク、あっという間に読み終わりました。

あまりにすーっと読めてしまって、物足りないぐらいです。

辞書を編纂するにあたって、用例採集から新規項目の取捨選択、既存項目の「手入れ」など、その過程が順を追って、非常に丁寧で平易な文章で綴られています。

しかもこう、文章が温かいのですよねぇ。飯間さんってすごくいい方なんだろうなぁ。

本当に必要な言葉を集めるためには、まず、あらゆることばを「おもしろい」と思うこと。未知のことばはもちろん、当然知っていることばでも、改めて別の面から眺めてみて、価値を再発見する。そういう姿勢が不可欠です。 (P105)

辞書の語釈を書いていると、世の中には弱い立場、軽んじられた立場、ないがしろにされた立場の人が大勢いることを痛感します。それは、関係ない誰かのことではありません。場合によっては、私であり、あなたです。そうした人たちが辞書を開いてがっかりするような語釈にはしたくない。 (P191)

言葉に対しても人に対しても、温かいまなざしで真摯に対する方なのだなぁと。

二つ目の、「世の中には弱い立場、軽んじられた立場」云々、という文章は、「愛」という語の語釈について「手入れ」するところで出て来ます。

恋愛の意味の「愛」には、「男女の間で」という語釈がついているのですが、「じゃあ同性愛者の“愛”は“愛”じゃないのか」と。これ、『舟を編む』の中でも議論されているそうです。

ただ「人と人の間」とすると、「親子の愛」「人類愛」といった、「恋愛」ではないもっと大きな「愛」との区別が曖昧になってしまう。でも「異性の間」と言い切ってしまうと……。

飯間さん始め『三国』の編纂者の皆さんがどのように「愛」を定義されたか、それはどうぞこの本(もしくは『三国』第七版)を手に取ってお確かめください(笑)。

「語釈」というのは、基本語であればあるほど難しいですねぇ。「右」を「この辞書の偶数ページのある方」と定義つけた岩波国語辞典の快挙は語りぐさになっていますが、「右」「左」っていざ言葉で説明しようとすると非常に難しい。

「ふだん」と「いつも」の意味はどう違うか、という話も出てきます。

“ふだん”よく使う言葉ほど、厳密に定義しようとすると難しい。

辞書で「A」という言葉を引くと「B」と出ていて、それならと「B」を引くと「A」って書いてあって「何も説明してないじゃないか!」と思うことがありますが、『三国』第六版では「ふだん」と「いつも」はそういう「同語反復」な関係にあったそうです。

これも第七版ではきちんと二つの言葉の違いが説明されているそうで……。ほら、あなたも『三国』第七版を買いに行きたくなってきたでしょ(笑)。

街で出会った言葉(看板やPOPなど)をデジカメで撮影するのに気を遣う話や、「スイスロールという項目を立てるべきかどうか」という話など、「今使われている言葉」にこだわる『三国』ならではの用例採集と取捨選択の実例は非常に興味深いです。

私としては「ロールケーキ」の項目があれば「スイスロール」はわざわざ辞書に載せなくてもよいと思うのですけどねぇ。

「旬菜」というのも、お店や商品の名前という気がして……。

個々の語釈はもちろん、「どの語彙を取り上げるか」というのもそれぞれの辞書で違って、それぞれの個性なのですよね。

章題も辞書の項目のようになっていて、辞書好き・言葉好きならきっと楽しめること請け合い。そしてこの本を読めばあなたもきっと私と同じく『三国』第七版を衝動買いしてしまうはず。

……あ、ということは、うっかりこの本読まない方がいいですよね……(笑)。

最後の章、「これからの国語辞典」の中に、

本というものは、保存性に優れていて、何百年の時を超えて存在し続けます。2008年に出た、紙の『三国』第6版も、この先100年経っても、中身を読むことができるでしょう。 (P243)

と書かれてあります。

そうそう、そうなのですよ。電子の本は電気切れたら終わりですもの。

電子辞書・電子書籍の利便性はもちろんあるけど、紙の辞書・紙の本の魅力はやはり大きい。

今、うちのリビングのローボードには最新の『三国』第七版と、昭和58年重刷の新版旺文社国語辞典が仲良く並んでいます。昭和58年にもし「電子書籍」があったとしても、そのフォーマット、もう読めなくなっている可能性が高いですよね(実際たった10年ぐらい前のフロッピーディスクがもううちでは読める環境にない)。

くたぁっと使い古された古い辞書と、ピカピカの新しい辞書が並ぶこの光景。

紙の本ならではの楽しさです。むふふ。