(14巻の感想記事はこちら

別の本に浮気してる間に大河ドラマが終わってしまったこともあり、最終15巻はそれまでの巻の2倍くらい分厚いこともあり、以前にかなり詳しく感想を書いたこともあり。

(以前書いた15巻の感想全巻通しての感慨

もう読まなくていいかぁ、他に読みたい本もいっぱいあるし。という気になっていたのですが。

やっぱりここまで来て平家の最期を看取らないのはどうなの、と思い分厚い15巻をめくり始めました。ほんと重い……。

最初の方は頼朝がなんとか東国の武者達を従える過程。正直東国のごたごた、合戦の描写とかめんどくさくて、斜め読み(笑)。

頼朝は慎重というより臆病で猜疑心が強くて、清盛が「武士」らしくなかったのと同じくらい頼朝も「自ら剣を取って戦う」「勇猛果敢」というイメージでの「武士」では全然なくて、「こいつどーでもいい」と思っちゃう(笑)。

頼朝が臆病なのは、そうならざるを得ない理由がもちろんあって、何しろ「流人」として「先のない人生」を20年も送って、東国の武士達ももはや「源氏の棟梁」などというものを必要とするのかどうかがわからない。

以仁王の令旨や偽院宣を受けて起ったと言っても、ろくに兵も抱えてなくて、群雄割拠の東国武者は虎視眈々と頼朝を値踏みする。侮られまいと思う頼朝が臆病になるのも、まずは相手を疑ってかかるようになるのも、仕方がない。

結果的にはその細心がいい方に転んだというか、読んでると頼朝の手勢が増えていく(東国を支配下に置いていく)のはほとんど偶然の積み重ねのような気もする。

そもそも流されたのが西国ではなく伊豆だったというところからして。

なんで清盛(というか朝廷?)は頼朝をよりによって伊豆へ、東国へ流したのかなぁ。西国とか四国とか、鬼界が島とか、流す先はいくらでもあったでしょうに。

大河ドラマでは義朝との間に友情らしきものがあったけど、史実的にはあんまりありそうもないし、頼朝の命乞いをした池の禅尼にしても、命さえ助かれば流す先にまでこだわらなかったんじゃないのかしら。

「こだわらなかった」からこその「伊豆」なのかもしれないけど…。

そこが九州や四国なら、「源氏の棟梁」に仕える可能性のある「東国武者」なんてものはいなかったわけで、もしも誰かが頼朝に「平氏打倒の兵を挙げよ!今こそ起て!」と嗾したとしても、それを実行に移すのは困難だったんじゃないのかな。

「源氏の御家人」であった武者が大勢いる東国。そこに頼朝を流して、東国の武者が彼を「棟梁」として担ぐ可能性を考えなかったんだろうか? それほど東国の武者は侮られていたんだろうか?

もちろん、そんな可能性など思いもしなかったんだろう。たとえ彼を担ぐ者がいても、都に攻め寄せ、平氏を追討するなど、頼朝が流された20年前にそんな選択肢はなかったのだ。

領地を争って東国武者同士で乱を起こすだけ、都に――朝廷に反旗を翻すなど。

平氏が「朝敵」とならなければ、討つ相手が帝や摂関家ではなく同じ武者の「平氏」であったればこそ、頼朝軍が「起つ」ということも起こった。

でも都では「朝敵」となりつつあった(以仁王は朝敵と断じていたけど、あの段階ではまだ以仁王の方が「朝敵」で「謀叛」)平氏だけれども、東国の男達にとっては別にどうということもなかった。むしろ平氏に取り立ててもらって恩を感じている者もいたし。

「平氏の支配」などというものがない以上、これを覆さねばならぬ要はない。であれば、源家の棟梁に従わねばならぬ理由もない。彼等は、彼等があるごとく、東国に在った。そればかりのことである。 (P68)

「平家の横暴」というのは王朝貴族達にとってのみ存在したんじゃないのか……。

晩年の清盛は確かに愚かだったし、宗盛も役立たずではあったけど、でも彼等は彼等なりに都で生きていこう、出世しようと思っただけで。

なんだかなぁ。

例の、「水鳥の羽音を敵の襲撃と間違えて逃げ帰ってくる」というエピソードで、平氏の威光(?)は都の貴族達のみならず地方の土豪達の間でも地に落ちてしまうわけだけど。

維盛の仕出来した失態に、清盛は「恥を知れ!」と怒鳴ったが、知るべきことは「恥」ではなかった。その失態が、「天下を支えていた平氏の力を奪った」という、そのことである。 (P141)

「平氏を討つため」ではなく、「平氏に背き、朝廷に入る官物を私するため」に。清盛の自負と矜りを差し置いて、平氏の栄華を支え許した天下の箍は、ゆるゆると崩れ始めていたのである。 (P146)

地方の人間達にとっては平氏の威光=朝廷の威光でもあって、平氏恐るるに足らず、ということになればすぐさま「官物を私する」という方に進む。

武者たる平氏が頂点に立てた、それが既に「朝廷という仕組みの揺らぎ」で、都の貴族達が思うほど、「朝廷の力」はたいしたものじゃなかった。それが証拠に東国の頼朝だけでなく、九州でも反乱が起きる。一度箍が緩めば際限なく……。

そんな中、清盛は64歳で死んでしまう。重盛亡き後嫡男として引っ張っていかねばならない宗盛は35歳で、相変わらずの役立たずっぷり。都の権力はあっさりと後白河院の手の内に戻る。

重盛が去り、清盛が去り、邦綱が去り、すべては、その以前へ戻ったのである。平氏にどれほどの力もなく、信西、信頼の寵臣二人が院の御前の左右にあった、その昔へ。 (P200)

……平家の天下って何だったんだろう……。

後白河院を制することのできる人間が誰もいなくて、つまりは「朝廷」が有名無実になってて。

それは後白河院が平家を使って摂関家の力を削ぎ、朝廷そのものの力を削いできた結果。自分だけが「優位」であるようにと仕組んだ結果ではあるのだけど。

後白河がいなくても、清盛がいなくても、「朝廷」の力は落ちていってたんだろうなぁ。「院政」自体は後白河が始めたものでもない。それ以前、摂関家が実権を握っていた時も、それは「朝廷の天下」だったのか、ただ「藤原氏の天下」だったのか。

人は、なにを望むのか。平氏の凋落か。あるいはまた、御世の兵乱の鎮定か。東国の源氏に抗する勢力は、平氏以外にない。「東から源氏が攻め寄せる」と聞けばうろたえ騒ぎ、にもかかわらず、源氏を討たんとする平氏の方人が斃れれば、「天罰だ」と喜ぶ。 (P215)

ホント、勝手なもんだなぁ。

この15巻では、「義仲の悲劇」が大きく取り上げられていて、以前に書いた記事でも「義仲可哀想すぎる!」と熱弁をふるったのだけども、「義仲の悲劇」って、「清盛の悲劇」の焼き直し&凝縮版なんだよね。

義仲は義朝の弟の子どもで、頼朝とはいとこ。でも当然二人はろくに会ったこともなく、義仲の父義賢は義朝の息子悪源太義平(つまりは頼朝の兄)に討たれてもいるので、言ってみれば義仲にとって頼朝は「親の敵の弟」。

義仲の実兄は源三位頼政の養子になっていて、頼政とともに宇治で討ち死にしたらしい。

義仲は「源氏同士で争うのは無益なこと」と思っているのだけれど、でも頼朝に従いたいとも思わない。争いに巻き込まれたくないと思いながら、状況は彼に「木曾でおとなしくしている」ことを許さない。

結局義仲は木曾から北陸、そして近江へと進軍することになり、義仲軍が近江まで迫ったということを知って愚かなる宗盛は戦わずに逃げる。安徳帝と三種の神器を持って、西国へと。

この時宗盛は安徳帝だけでなく後白河院も連れて、と思ったのだけど、後白河院は「そんな馬鹿なことに付き合うか」とさっさと御所を抜け行方をくらます。ホントに後白河院のこの嗅覚と行動力は素晴らしいですねぇ。

清盛は「太宰大弐」だったし、太宰府へ行けばなんとか、と宗盛は思ったのだけど、「東国ばかりでなく九州でも反乱が起きていた」のですよ。それを鎮圧しに、かの家貞の嫡男貞能が九州へ赴いていました(つまり宗盛もその西国情勢を十分知っていてしかるべきなんだけど、宗盛のことだからそんな情報は右から左だったのか…)。

なので、

「太宰府に下れば―」と考えていた平氏の一門は、一月もたたぬうちに在地の武者の反乱に遭い、求めた地を捨てることになる。乱軍の襲来に怯えて太宰府を落ち、筑前を逃れ、豊前の浜を離れた平氏の一門は、再び瀬戸内の海をさまよい、讃岐の屋島へと辿り着く。 (P367)

ということになるのですね。

まぁ義仲軍とガチで戦ってても負けた可能性は強いんだけど、帝と三種の神器を都から拉し去ったことで、平家はついに「朝敵」となってしまう。

平氏は、なにゆえに「朝敵」と断じられたのか。御世の帝を拉し去ったゆえである。朝敵として、平氏は逐われる。朝敵と共にあられる御世の帝も、それゆえに御位を下りられる。 (P371)

「朝敵と共にある帝」たって、安徳帝は6歳とか7歳とかそんなものなのですよ。自分では何もできないに決まっている帝を、「拉致された」帝を救おうともしないで、「同じ朝敵扱い」。たとえその母が平家の女でも、父方は由緒正しき(?)帝のお血筋。『院政の日本人』でも「その母は誰か?」ということが問題にされてて、実のところ日本の天皇は「父系」よりも「母系」が重視されているのでは。

まぁ、讃岐院(崇徳院)なども、仮にも帝であられた方が流刑に会い、非業の死を遂げるんだけども。

しかし幼子なのに、安徳帝。そして「三種の神器だけは奪回しろ」って。

「帝」って、「天皇」って何なんだろう……。

えーっとそれで、義仲は戦わずして平家を都から逐ってしまいました。平家がいなくなって後白河院はじめ都人は万々歳なわけですが、しかしだからと言って義仲軍が都にやってくるのはとても怖い。義仲に対する都人の気持ちはいわば「ありがとう、助かった。でも帰れ」という感じ。

都のルールを知らない義仲は「そんな役職じゃなくてこっちをくれ」とか「後白河院に会わせろ」とか無茶を言って貴族達の眉をしかめさせる。平氏追討を賞されるはずの義仲は都にとっては「異質な野蛮人」で、そのどうしようもない「アウェイ感」に、義仲はだんだんと壊れていってしまう。

都の人間達は、どうあっても義仲を除きたい。そのことを十分に理解して、義仲は都人になろうとした。それは矛盾である。しかし義仲には、矛盾に抗すべき術がなかった。 (P451)

源氏を制するため、摂関家の力を削ぐため、利用された清盛。成り上がりの武者を都の貴族達は「成り上がり」としか見なくて、何かあればすぐに「横暴」「野蛮」と譏る。「普通の貴族」「普通の都人」になりたいと苦心した重盛、けれど結局その道は鎖されていた。

先を塞がれて、尽くしたはずの後白河院に厭われて、清盛は壊れた。せずとも良い暴挙をなして、ますます都人から疎まれた。

壊れた義仲は、義経軍が迫ると戦わずして逃げようと考える。「後白河院を道連れに、北へ」と。

清盛と同じに。

宗盛と同じに。

結局義仲は義経軍によって討たれるのだけど、それ以前、すでに義仲は息の根を止められていた。「武者」というものを受け容れぬ「都」によって――。

平家軍が水鳥の音に怯えて逃げ帰って、宗盛以下清盛の息子や孫達はもう全然「武者」というよりは「公達」になってしまっていて、でもそれは彼等のせいというより、「都」のせいだったろう。自分達こそが彼等の「武」を忌み嫌ったのに、「武がない」と言って嗤うのか、都人たちよ。

勝手だなぁ。

でも。

「武者」であることを忘れた平家も、意外に海戦は強かったんですよ。忠盛パパは海賊退治で名を馳せたし、大河ドラマでも「海」「船」は大きな要素を占めていました。

逃げた先の西国からまた逃げて屋島に拠り、その地の土豪達からも襲撃され、でもけっこう撃退する。義仲軍も退けたりしている。土地不案内、海戦なんてしたこともない東国武者相手とはいえ、最後の最後でけっこう頑張っていた平家。

特に、都にあっては「人がいいだけの愚鈍な男」と思われていた清盛の異母弟教盛とその息子達が大活躍!

「所を得る」のが遅すぎたというか。なんか、その頑張りがさらにせつない……。

教盛の次男教経、そして役立たずの宗盛に代わって一族の最期を看取った清盛の四男知盛。覚悟を決めて海に沈む彼等は十分に「天晴れな武者」で。

まだ20代~30代の彼等が、こんな最期を迎えなければいけないほど、平家って悪いことしたのかな。摂関家なら良くてなんで彼等じゃダメだったのか。

首打たれた平家一門の首は「市中引き回しの上、獄門」になった。

王朝の男達にとって、平氏の追討は、政争の一環なのである。平氏がその立場を失えば、憎悪などはない。しかし、鎌倉から上って来た源氏の大将軍にとって、この合戦は「武者同士の私闘」なのである。その首尾は、一貫されなければならない。 (P491)

王朝の法は崩れた。源氏の勢いに押され、平氏一門の首は都大路を渡された。 (P491)

「政争の一環」で「一族皆殺し」もどうかと思うんだけど、王朝の方々。「成り上がりの武者を受け容れない」は「政争」とはまた違う根っこのような気もするのだけど。

御世の帝を擁し給い、お主上の朝廷をもまた御掌のうちになし遊ばされる院にとって、武者とはただ、「人に仕える下司」なのである。乱世に下司は力を得る――であればこその「乱世」である。 (P523)

頼朝が都に戻らず、鎌倉で「東国の武者のトップ」でいようとしたのは実に賢かったな、と思う。「都」に「武者」の居場所はない。

「武者」を用い、「武者」を翻弄し、ただ自身の優越だけを求めた「日本一の大天狗」後白河院は、壇ノ浦に平家が沈んだ7年後、66歳で逝去。

後白河院亡きあと、頼朝は都の人間に「娘の入内」を囁かれ、うっかりと都におびき寄せられもする(結局その「娘」が亡くなってしまって、その話はなしになる)。

げに怖ろしきは「都」という「魔」。

やがて、その「都」さえも虚しくなる。

壇ノ浦で、清盛の妻時子は幼い安徳帝を抱き、海に沈んだ。その腰に差した神剣もともに。

三種の神器のうちの剣を欠いて、御位についた後鳥羽帝。それは、都に「武」は要らぬ、都から「武」は消えるという象徴でもあったのだろうか。

清盛の妻は、なにも語らない。清盛の妻が海に飛んだ時、王朝の一切は終わっていたのである――。 (P532)

中国の話から始まり、大化の改新前夜から説き起こされた長い長い王朝の物語はこの一文で終わります。海に沈んだ二位の尼、平時子。大河ドラマでは、幼い安徳帝に「海の中にも都はござりましょう」と言っていましたね……。清盛はすでに亡く、息子達も次々と討ち死にしていく中、栄華へと登る道、衰亡へと下る道のすべてを見た彼女は、本当に何を思い、海へと消えたのでしょう。

「もう読まなくていいか」と思った最終巻、読んでみればやはり沁みる。「人」というものに対する愛おしさに満ちた橋本さんの語り口がたまらず、ついうるうるしてしまう場面も。

最後の一文を読み終えた時は、なんともいえぬせつなさで胸がいっぱいになり。

嗚呼、諸行無常……。

院政が始まった時点で、朝廷とは別の権力が生まれた時点で、王朝はもう揺らぎ始めていた。武者が朝廷の頂点(太政大臣)に立ち、都の中で合戦が起こる。しかし決定的に王朝の幕を引いたのは、王朝の法を崩したのは、後白河院だったのではないのか。自身の優越をのみ求める彼が、他のすべての力を削ぎ、王朝を「虚(うろ)」にしてしまった。

王朝という栄華。都という夢。

「都」はあって、けれどそれは果たして「国」と呼べるものだったのか――。

「国はあって、国はないのか」

中大兄皇子の嘆きは、今もまだ、生きている気がする。