橋本さんの久々のご著書です。

難病をわずらっていらっしゃるということで心配していたのですが、この本のあとがきには「やたらと疲れて、集中力が続かずすぐに眠くなって、しかも脚が痛くて歩行がままならない」状態と書かれています。

主治医の先生からは「これ以上よくなるなりようがないという低水準で安定」と言われていらっしゃるのだとか。

そんな病状で、よくお仕事を……。私なんて元気なはずなのに集中力が続かずすぐに眠くなって……。

新書だし、200ページほどの分量で、正直橋本フリークとしては「短すぎる!」って感じなんですけど、ご病気を考えれば「短い」どころかよくこれだけ、と思いますし、分量が少ないからこそ要点だらけであちこち付箋だらけになってしまいます。

「まえがき」には「私には世の中というか社会のことがよくわからない」「どういうふうにわからなかったのかがわかればそれが最良のゴール」というふうに書かれています。

橋本さんの読者にはお馴染みの方法論ですね。

「これが正解」という本ではない。そもそも今の時代に「これが正解」なんてことが言えるはずもない。大切なのは「自分の頭で考えること」。橋本さんは考えるきっかけを、とっかかりを与えてくれます。

第一章の「テレビの未来はどうなの?」から「民主主義の未来はどうなの?」までお題は9つ。それぞれ20ページ程度の分量。

どのテーマも面白いのだけど、全部紹介してると長くなるのでいくつか抜粋してご紹介。まずは第五章の「男の未来と女の未来はどうなの?」。

ここに、先日『続・ユリイカ平成仮面ライダー』でご紹介した「美人は権利」という話が出てくるのです。

登場するのは、「七輪を持った小太りの女」。そう、あの事件の、例の彼女です。次々と男を手玉に取り、自殺に見せかけて殺していたとされる例の彼女は、大方の予想に反して、それほどの美女ではなかった。

「あの程度の女にそんな犯罪ができちゃうの?」というのは、ものすごーく失礼な話ではあるのですけど、この、「ブスを差別するな」という感覚、裏返せば「美人=権利」なんですよね。

いつの間にか「女にとって“美人”であることは、基本的人権と同じような権利である」という考え方が、女達の間に浸透しました。それで、不美人はいなくなってしまったのです。 (P104)

確かに街行く女の子はみんな可愛いですし、参観に来るママさん達だってみんなお洒落で「婆くさい」ような方はホントにいらっしゃいません。参観なんてテキトーなカッコでいいやと思うめんどくさがりにはまったく困った世の中です。

「七輪を持った小太りの女」が「男女は平等である」という前提の上に立っているのは明白ですが、その彼女は同時に、「美人と美人でない女も同等である」ということも明確にしてしまったのです。 (P101)

たいしてイケメンでもない男がその話術と「結婚」という言葉でもって次々と女をたぶらかして、という犯罪は、さして珍しいものでもありませんでした。いや、実際にどれくらい男の結婚詐欺師がいるのか知りませんけど、「お話」としてはありふれたものです。

これの被害に遭う女性は「美人じゃなくて婚期を逃してて」みたいにステレオタイプされるのですが、それが「七輪を持った小太りの女」事件では見事に男女逆転しているのですよね。

「男女平等」ってすごいな、ですけど。

たいして「美人」じゃない人間からすれば、「美人も美人でない女も同等」と言われても「えーっ」ですけども、「ブス!」と言うのが差別でありセクハラであることを考えればそれは確かに侵してはならない「基本的人権」なのでしょう。

いい時代になったと言っていいのかなぁ。

一方で、「イケメンは権利じゃない」。

「美人」が権利であったとしても、「イケメン」は権利じゃありません。(中略)男性優位社会というのは、ブ男でも損をしないように出来上がっているので、「イケメン」はたいした特権にならないのです。 (P109)

これもホント、「えーっ!そんなことあるか!」と言う方はきっと多いでしょうけど、「男性」であるだけで社会的に「強者」である以上……、という話ですね。

女性は男性より立場が弱くて、だからこそ男性にウケる「美人」が特権になった。イケメンはもちろん女性にウケるけれども、弱い立場の女性にウケたところで、イケメンが出世できるかどうか、社会的に美味しい思いができるかどうか、というのはほとんど担保されない。

仕事のできる女社長に愛でられれば「イケメンは武器」でもありましょうが、そういうのは例外だったわけですよね。少なくとも、今までは。

あー、でもあれか。平安時代は「イケメンは武器」かも(笑)。それで出世した人達がいましたもんね、同じ男性に愛でられて……。ただそれも多くは「院政」という、本来の社会システムからははずれた部分での話でしょう。

つまり「イケメンが権利」になるには「女性優位社会」にならなければいけないんですけど、どうですか、男性の方は今のままがいいでしょうか。

「女は変われたのに男はその変化について行けない」というのにそっくりなものは、「勃興した新興国のおかげで経済大国の座を逐われつつある日本」です。 (P112)

こっちにも豊かになる「権利」がある!とどんどん攻勢に出てくる新興国。先進国としては「おまえらは貧乏なままいろよ」とは言えなくて、その結果……。

これは第8章の「経済の未来はどうなの?」にも繋がる問題です。

既に「先進国が工業製品を輸出する」という時代ではありません。もしかしたら「先進国が輸出によって豊かさを成り立たせる時代」でさえ、もう終わっています。 (P168)

「人件費の高い国」は、功成り名遂げたかつての先進国で、その富が貿易というパイプを通して更新国や新興国に流れ込むのは「富の平準化」ということになりますが、そのことによって仕事を失う先進国はどうやって食べて行くのか? (P169)

いやもうホントにねぇ。

日本の企業がグローバルになって人件費の安い国で操業して利益を上げたとしても、その恩恵は「日本の労働者」には回ってこないんですよねぇ。

そりゃもちろん企業が潰れてしまえばそこで働いている日本人は失業してしまうんだけど、実際の労働をほとんど「人件費の安い国」でまかなっているとしたら、「そこで働いている日本人」の数っていうのは、たかが知れてますよね。

自動車産業なんかは何層もの下請けを抱えていて、そこにはたくさん日本人が働いているけれども、「上」の層を支えるために徹底的なコストダウンを迫られ人件費を安く抑えられて、儲けが出ないどころか、ってことになる。

昔は「上」を潤せば自然にそのおこぼれが「下」に回ってくるということになってて、今だって財界とか「グローバル経済」を標榜する方々はそう言ってると思うんだけど、今や「おこぼれ」なんてものはありませんよね。

若者の失業率が高いのは、年寄りが多くて「席が空かない」という以上に、仕事を「人件費の安い国」に取られているからで。ロボット化の進んだ工場に人間はそんなに要らないし、人間の手が必要な仕事はコストカットで外国の労働者に回る。

バカの一つ覚えみたいに「景気が良くなれば」と言うけど、この状況で「景気が良くなる」なんてことがあり得るんだろうか? グローバル企業が儲かったとして、日本人労働者の暮らしは良くなるの???

日本は、敗北を認めた方がいいと思います。原発は使わない方がいいものだと認めた方がいいと思います。(中略)いるのかいらないのか分からないものを作り出し、需要を刺激することによって経済を発展させることの、無意味を認めるべきだと思います。 (P174)

「この先景気良くなることなんかないだろー」とうすうす気づいてる人は多いと思うのですが、「じゃあどうしたらいいのか」というのがわからないから、「景気!」と言うしかないんじゃないかと。

私だってわからない。

たぶん、地道に畑でも耕すしかないんだろうな、と思ってはいるけど、そーゆー「労働」が超苦手で晴読雨読している私はきっともう少しして世の中が転換すれば、真っ先に飢え死にすると思います。

今やすべてに亘って、第一に考えられるのが「利潤」です。(中略)「それって思想の自由がないってことじゃないかな?」と思います。 (P172)

「経済至上主義」じゃない「思想」、少しずつ出て来ているんじゃないかと思うけど……。

で。

第8章の前の第7章が、「TPP後の未来はどうなの?」です。

全部、話は繋がっているわけですけど。

TPPは関税をとっぱらう、というもので、関税をとっぱらうと売る方は安く売れる=売りやすくなるし、買う方も安く買える。一見売る方も買う方もどちらも得なように見えます。

一つの国は「売る」も「買う」もやっているけど、「何を売って何を買うか」、その種類も違えば、どこの国から何をどれだけ買って、どこの国に何をどれだけ売るか、一つの相手国と完全に同じだけの量の売り買いをするわけじゃない。

しかも「先進国が工業製品の輸出で食ってく時代じゃない」です。

それはアメリカを見ればわかることで、アメリカが日本にオレンジだの牛肉だのを「買え買え」と言ってくるのは、アメリカの工業製品(自動車)が売れなくなっちゃったからです。

そんで日本との間で「貿易不均衡」になって、「もっと日本はアメリカの物買えよ!車要らないってんなら農産物買えよ!!!」って迫られた。

輸出で生きて行くそのあり方を守るために、日本は農業を少しずつ犠牲にして行って、その結果食糧の自給率を低下させて行きました。 (P149)

お金があるうちは世界から食べ物を買いあさることもできるだろうけど、お金がなくなったらどうするんだろう? 異常気象や人口爆発で遠からず食糧危機が起こるだろうに、そのうちどこの国も「自分の国の食べ物だけで精一杯」になるだろうに、その時日本人は何を食べるんだろう……。

日本は不景気で、国の借金は増える一方、工業製品が売れなくなってる上に農業も危ない。なのになぜか円は強くて、円高がさらに輸出業に追い打ちをかける。

世界の潮流は「日本はまだ大丈夫だから、もっと取れるぞ」になってしまっているとしか思えません。 (P151)

世界の潮流は、「今まで豊かではなかった国がそこそこ以上に豊かになる」で、日本が豊かさをキープすることは、どうやら世界の潮流の筋書きにはないのです。 (P152)

ひぃぃぃぃぃ。

その状況を踏まえてのTPPが、日本に恩恵をもたらしてくれるものだとはとても思えないのですが……。

開国のための条約がとんでもないもので、それを改正するのにやはりとんでもない時間がかかったということは、いつの間にか忘れられたみたいです。 (P137)

「とんでもないものにならないように交渉するんじゃないか」という話もあるんでしょうけど、

今までの日本のあり方からすると、「交渉の結果、日本には不都合なことが色々出て来ましたが、それがバレると大騒ぎになるので、そのことは表沙汰にしないで、“めでたく参加”ということにしてしまいましょう」ということになる可能性大です。 (P139)

ははははは。

ありがちすぎる……。

橋本さんは、日本のことを「初めに結論ありきの国」だと言います。

自分で「どうするか」を決めるというより、「どうなるか」ばかり考える。TPPも、「だってよその国も参加するんでしょ?日本だけ乗っからなくていいの?」っていう話に見える。

「世界は“こうなる”みたいだから、自分達もそっちへ行かなくちゃ」という。

で、人間というのは「見たいものだけを見る」傾向があるから、「こうなりそう」という部分の、自分に都合のいいところだけに目を向けがち。

「初めに結論ありき」のこの国では、「考えられるメリットとデメリットをあらかじめ提示して、その後に判断を仰ぐ」という習慣がないので、賛成側が一方的に賛成意見を言い、反対側が一方的に反対意見を言うだけで、一向に「メリット、デメリットを検討しましょう」という機会が訪れません。 (P141~142)

原発の問題にしてもそうですよね。

メリットとデメリットを冷静にはかりにかけて落としどころを見つけていかなきゃならないはずなんだけど、1か0かで議論は平行線。

そもそも「議論」になってないのかも。

「決める」時にしっかりデメリットについて考えないから、いざ自分達が見たいように見ていた「未来」が来なくて、「これはマズい」となった時に対処ができない。

だってそういう「困ったこと」は起きないことにしてたから。

想定外だから。

あうぅぅぅ……。

そして最後の第9章は「民主主義の未来はどうなの?」です。

日本の政治は、停滞しているように見えます。何にも決められなくてずるずると先送りで、景気も何かも悪くなる一方。「決められる政治」「ズバっと物事を解決してくれる強いリーダー」が待望されているようです。

がしかし、「決められない」というのは「民主主義」の性(サガ)ではあるのです。

民主主義は、「力のある支配者が生まれることを防止するシステム」です。(中略)だからどうなるのかというと、「私がすべてを決定するのだから、余計なことを言わずに黙っていろ」と言う人がいなくなるわけですから、物事が簡単に決まらなくなるのです。 (P187)

誰か一人の言い分、どこか一つの団体の利益だけですべて決めていいんだったらこんなに簡単なことはない。さっさと決めて、さっさと進めます。

でも民主主義は、「みんなの声」を聞かなくちゃいけない。若者も年寄りも、自営業者もサラリーマンも経営者も、都会も地方も。

誰かの希望を叶えるためには誰かの希望をつぶさなくちゃならない。

「最大多数の最大幸福」。

一時期日本は「総中流」なんて言われ方をしてましたけど、「決められた時代」というのは、日本人が比較的均質で、「誰か一人の声」を聞いていればおおむね「みんなの声」になっていただけだったんじゃないでしょうか。

もちろん「多数」からこぼれていく「少数」はあったのだけど、それは「少数」で「声が小さい」から、「切ってもいい」ってことになってた。

民主主義は「多数決」なんだもん、「少数」が勝てないのは仕方ない。

「多様化」ということが言われて、音楽もミリオンセラーが出なくなって、人の好みや立場が「そこそこの数」の「乱立」になる。少なかった老人が多くなって、うじゃうじゃいた若いもんは急速に数を減らし、イケイケドンドンでは立ちゆかない世界になり、金儲けも大事だが環境も大事、獲得した豊かさは手放したくないがしかし……。

予算は限られている。だけどやりたいこと、聞かなければいけない声はいっぱい。

簡単に決められなくて当たり前だよねぇ。

もちろんそうやって決められない間にも事態は刻一刻と悪くなっていくんだけども。

ちょうど先日『仮面ライダー龍騎』の46話あたりを見たんですよ。

『龍騎』って、ご存知の通り「戦わなければ生き残れない」で、それぞれがそれぞれの望みを叶えるために戦い、一旦ライダーとして戦いに参加したら、勝つか負ける(=死ぬ)かしない限り、ライダー(戦い)をやめることはできない。

で、たまたま巻き込まれてライダーになっちゃった主人公のシンジ君はとても優しいいい奴で、誰も殺したくない。なんとか戦いを止める方法はないものかと悪戦苦闘する。

けれどもその戦いがヒロインを救うためのものと知って、さらにシンジ君は苦悩。彼女は助けたい、でもそのために他のライダーを殺すなんて……。

そして恋人の命を救うためライダーになったレン君に「お前はいつもそうやって迷ってきた。それで、誰か一人でも救えたか?」って言われてしまう。

「誰かを守ることは、究極他の誰かを犠牲にすることだ」とも。

シンジ君は、言ってみれば「決められない政治」なんですよね。

TPPなら農業を取るか輸出産業を取るか、だし、原発なら安全を取るか経済を取るか、みたいになっちゃってる。あっちを立てればこっちが立たず、優しいシンジ君はどっちも選べなくて、「どっちも選べる方法はないのか」と迷い続けて。

ヒロインが死ぬリミットが近づいてくる。

「アメリカでは決然と判断を下すのがヒーロー」で、日本だと「選べない!と叫ぶ方がヒロイック」って話が『ユリイカ平成仮面ライダー』でありましたけど、まさに日本のヒーローは「選べない」んです。

ヒーローと政治家は違うし、日本が直面してる問題と特撮ヒーローが直面してる問題を比較するのもどうかと思うけど、でも「みんなの幸せ」を思うあまり行動できなくなる、決断するまでに長い時間がかかるっていうのは、同じなんじゃないかなぁ。

まぁ、日本の政治家がホントに「日本人みんなの幸せ」を考えているのかどうかは謎だけれども。

龍騎の世界で、「誰が助かるか」を決めるのは文字通りの「戦い」。

一方民主主義は「話し合い」で決める。

言うまでもなくて当たり前のことですが、民主主義はズルをします。どうしてかと言えば、「なんでも話し合いで決める」ということになっていて、話し合いで決められないことなんかいくらでもあるからです。考えてみれば、「なんでも話し合いで決める、話し合いで決められる」という前提自体がズルの温床です。 (P191)

つまり、「話し合いで決める」ということには、いつだって「相手を打ち負かすための嘘」が混入可能だということです。 (P194)

橋本さんは「ディベート」を「あれは遊び」だと言ってらして、

自分が信じてもいないことを論拠にして相手を打ち負かしたところで、なにになるのだろうと思います。 (P193)

とおっしゃっています。

「話し合いで決める」になると、どっちが正しいか、どっちがより多数の幸福に寄与するか、ではなく、しばしば「口の巧い方」が勝つになってしまう。

大阪市長さんなんかを見てても、メディアの使い方のうまい方が勝つ、って感じですもんねぇ。

独裁者を排するための民主主義だからこそ、なかなか「決められない」。

誰か強いリーダーが出てきてパパッと決めてくれればいい。でもそのリーダーが救うのは私やあなたとは限らない……。

「自由すぎる王様」になってしまった国民は、自分以外の「国民のこと」を考えなければいけないのです。 (P200)