本
『ローマ人の物語ⅩⅤローマ世界の終焉』/塩野七生
ついに終わってしまいました、『ローマ人の物語』。
単行本ではとっくに終わっていたのだけど、私は文庫版のみを追いかけていたので、「今終わった」という気分。
なんというか、この2011年に「ローマ世界の終焉」が来るっていうのは、意味深な感じがします。この、大震災や中東での革命、ギリシャ金融危機といった、日本も世界も混迷の渦の中にいる2011年に。
もちろん、単行本は2006年12月に「終焉」を迎えているわけで、文庫版が今年になったのは単なる偶然に過ぎないのでしょうが。
でも今2006年についてもちょっと考えてみたら、2006年って安倍さんが首相になった年なんですよね。
つまり、そこからの日本はほぼ一年交代で首相が変わるという、実に不安定な、混迷の時期に入る。小泉さんから安倍さんに変わる時、「その後」をどれくらい予想した人がいたかわからないけれど、「ローマ世界の終焉」という本はその「最初」にまず世に出て、5年後の2011年に文庫として再び読者の前に現れている。
この「終焉」符号にはやはり、「偶然」で片付けられない何かがあるような。
そもまず「前書き」とも言える「カバーの金貨について」という文章が。
人間ならば誕生から死までという、一民族の興亡を書き終えて痛感したのは、亡国の悲劇とは、人材の欠乏から来るのではなく、人材を活用するメカニズムが機能しなくなるがゆえに起る悲劇、ということである。 (文庫版第41巻冒頭)
これは文庫版のみについている文章で、だから2011年になって書かれたものなのだけど。
もうこれだけで唸ってしまう。
コロコロ変わる日本の総理大臣。1年で辞めざるを得ないのは、その人自身に力がないためなのか、それともその人の力を活用するシステムが壊れてしまっているせいなのか。
実際に「その人」が失敗したり能力のなさを露呈する以上に、周りがすぐに「おまえじゃダメだ!とっとと辞めろ!」になってしまっている気がする。「その人」を支え、国政に責任を持たなければならないはずの与党が真っ先に「おまえじゃダメだ!」と言っていたりもする。
カエサルのような天才はともかく、すべての面で秀でた人なんてそうはいるはずもないのだし、多少劣ったところがあってもそれを補って全体でうまく回していくのが「独裁体制」ではない「民主主義」の政体なんだろうと思うのに、みんな「なんでも自分一人で全部うまくやってくれる天才的なリーダー」を欲しがりすぎなのではないかと。
「首相の使い捨て」に終始したように思えるこの5年間、「亡国の悲劇とは人材を活用できなくなる悲劇」という言葉は本当にこたえます。
なので。
あんまり読みたくなかったんですよね。
なんか、気が滅入りそうで。
文庫で43巻にも及ぶ長大なお話が終わってしまうという寂しさもあったし、読みながら大好きになった「ローマ世界」がついに終わってしまう寂しさ、そして自分がいるこの現実世界ともリンクしているような「終焉」の怖ろしさ。
直視する勇気が出なくて。
いつもならけっこうがーっと一気に読んでしまうのに、ページを繰る手が遅い。中断につぐ中断。
最初の41巻は、「最後のローマ人」と言われた男、スティリコの話。ただ「男」と言うしかない彼は、皇帝ではありません。ローマ帝国が完全に東西分離する直前、皇帝テオドシウスに後を託された武人。
テオドシウスの二人の息子が「東担当」「西担当」として帝位につくことになり、その二人の後見を頼まれたのがスティリコ。西担当のホノリウスがわずか10歳だったこと、蛮族の脅威が特に西に大きかったことから、スティリコは結果的に「西」の「総司令官」として奮闘することになる。
母がローマ人、父が蛮族という「半蛮族」の出自を持つスティリコ。
彼の行動には、「古き良きローマの価値観」がしっかりと息づいている。もはやローマ人の多くが失ってしまったローマ人の美徳と誇り。
たぶん、「半蛮族」とそしられる立場だったからこそ、彼は「真のローマ人」たらんと努めたのではないかしら。
生まれながらに「ローマ人」である人は、そのことを意識しない。当たり前に享受できていると、人はその値打ちを忘れてしまう。
ローマの市民権が「取得するもの」から「既得権」に変わってしまった時、「市民権」のありがたみは薄れ、「ローマ市民」であることの誇りも薄れた。
先頭に立って「ローマ」を、その伝統と値打ちを守るべき元老院階級の「ローマ人」達は、既得権にあぐらをかくだけで何もしない。
押し寄せる蛮族から「西ローマ」を守るために孤軍奮闘するのは蛮族の父を持つスティリコで、彼によって守られている当のローマ人達は彼を「半蛮族」としか思っていない。
「半蛮族」だから、蛮族の長とも通じているのだろうなどと。
西ローマの滅亡を何年か遅らせた立役者であるスティリコ。ローマのために滅私奉公と言ってもいいくらい尽くした彼を、ローマは処刑と記録抹殺によって報いる。
あんまりだよなぁ。
本当に、読んでて可哀想すぎて。
死に臨む彼の胸中には一体どんな思いが去来したことだろう。何のために闘ってきたのか、という虚無感? それでもここまでローマを守ったのは自分だ、という矜持?
違う時代に生まれていれば、讃えられるべき総司令官、さらには皇帝にもなれたかもしれない逸材だったスティリコ。
けれど彼の生きた時代、皇帝はオリエントの専制君主に成り下がっていた。能力ではなく、血筋によって世襲される地位。「神」によって権威を保証される地位。たったの10歳でも就ける地位。
よりオリエント的だった東ローマはもちろん、西ローマでも、幼少の皇帝をその姉や母(及び宦官)が補佐するという形が当たり前になっていく。
これって、日本だと律令体制が整うのと同時に(つまり「国家としてしっかりと枠組みができたと同時に」)起こることなんだけど。
孫の文武天皇を帝位につけたいがために自身で帝位についた持統天皇。律令を整えることで孫に「しっかりした国家」を渡そうとした彼女は、結果的に天皇という国のトップの「才能」と「資格」を分離してしまう。
律令と、それに従いそれを維持する官僚がしっかりしていれば、トップたる天皇に「才能」は要らない。幼少でもなんでも、「血筋」という「資格」さえあれば「帝」になれる。
日本の天皇も、「天孫降臨」で、「神」による権威付けがなされているし、ローマ終盤の皇帝達も、キリスト教の神による権威付けがなされている。
神によってその座を保証されている者に刃向かうことは、すなわち神への冒涜。
ローマでは、「俺が皇帝だ!」をあまりに簡単に名乗れてしまうがゆえにあまりに頻繁に皇帝達が暗殺され、今の日本もかくやという皇帝の使い捨て状態が起こり、「皇帝」の権威を増すため、いわば苦肉の策で「キリスト教」に乗っかった。
1年ともたない皇帝では安定した政治は無理なわけで、腰を据えて事に当たる=皇帝の長期の在位を保証する意味では確かにそれは「正しい」ことだったんだけど。
10歳で実質西ローマ帝国の皇帝の位に就いたホノリウスは、「神の権威」のおかげか28年にわたってその座を維持した。そしてその28年という長きに渡る治世において唯一自分で決めたことがスティリコの処刑だったと――。
1年交代もたいがいだけど、長きゃいいってもんでもないというね……。
人間社会ってほんと、あっちを立てればこっちが立たずになるものなのか。
塩野さんの筆によってパクス・ロマーナ全盛期を見てきた目には、キリスト教に乗っかって「皇帝」というものの立ち位置を変えてしまったのは間違いにも見え、退化にも見える。
「国家」が成った時から「能力」と「資格」が分断されていた日本ってどうなんだろうとか……。
スティリコ処刑へ向かう世論を描く中で、塩野さんは
しかし、人間とはしばしば、見たくないと思っている現実を突きつけてくる人を、突きつけたというだけで憎むようになる。 (41巻P201)
と書いている。
なんという耳の痛い一文でしょうか。
人間って本当に、弱いものだなぁ。
42巻で、西ローマ帝国は滅亡します。この巻で思ったのは、昔学校で習った「ゲルマン民族大移動」という言葉の嘘。そんな生ぬるいもんじゃないよねー。ただ「移動」したんじゃないのに。
当時の文明の最先端にいたローマ人に比べれば「蛮族」でしかないゲルマン諸部族。女子ども引き連れて侵攻してきて、味方の死者の数など気にもしない暴れっぷり。
この人達が現代のヨーロッパ先進諸国の祖先なのかと思うと……。だからこそ「大移動」なんて遠慮した名前になっているんだろうなと思うと……。
北アフリカなんて蛮族に取られる前は豊かな地域だったのに。
守れなかったローマが悪いの???
たとえ蛮族の脅威がなくても、ローマの繁栄が永遠に続くなんてことはなかっただろうけれど。
西ローマの最後の二十年は、皇帝が入れ替わり立ち替わり9人。でも20年で9人なら平均2年以上だから、ここ5年の日本よりはマシ。
一国の最高権力者がしばしば変わるのは、痛みに耐えかねるあまりに寝床で身体の向きを始終変える病人に似ている。(中略)現代的に言えば、政局安定である。現代でも、選挙で選ばれた大統領や首相に、5年から7年の任期を保証するのもそのためだろう。 (42巻P168)
ははははは。
43巻は、「帝国以後」。
西ローマ帝国が滅んだ後、イタリアではローマとゲルマンとの「共生」関係が60年ほど続く。「パクス・ロマーナ」ならぬ「パクス・バルバリカ」。支配者が別の民族であるということと、平和であることとは、どちらが優先されるべきだろうか?
ゲルマンとの共生で「平和」を享受していたイタリアに横やりを入れたのは未だ健在な(けれどかつての「ローマ帝国」とはまるで別物になっていた)東ローマ帝国(いわゆるビザンチン帝国)。
カトリックのローマ側と違って、イタリアを支配していたゲルマン民族はアリウス派。同じキリスト教でも、カトリックから見れば「異端」。
宗教的なもの以上に、「本来は自分のものであるはずだ」という領土欲の方が大きかったのかもしれないけど、東ローマはイタリアの「カトリック教徒」を異端の蛮族から解放するという名目で、戦争をおっ始める。
東ローマにとって戦場となるイタリアは遠いし、その頃の「ローマ軍」は市民よりも傭兵的な蛮族の方が多かったりもするので、この戦争で犠牲になったのは「解放される」はずのイタリアのローマ人だった。
あるいは殺され、あるいは難民となってよその土地へ逃れるのと、異端の他民族に平和裡に支配されるのと、本当に、一体どっちが幸せなんだろう。
帝国の本国であったイタリアと首都であったローマの息の根を止めたのは、蛮族ではなく、同胞であるはずの東ローマ帝国であったのだった。 (43巻P209)
……嗚呼。
18年にも及ぶ「ゴート戦役」の中心で戦ったのはベリサリウスという将軍なのだけど、スティリコと同じくこの人も苦労が報われなかった。現場を知らない皇帝に振り回され、昨日はペルシア戦線、明日はゴート戦線と東へ西へ使い回され、たいした支援もない中でがんばって戦ったのに、最後は「勝てない責任を取って司令官解任」。
しかし、専制君主国では、君主は決定はするが責任はとらない。そして臣下は、決定権はないが、責任は取らされるのである。 (43巻P199)
うぉぉぉぉぉ。
とくにキリスト教国家では、君主は神意を受けて地位に就いている存在であって、その君主に責任を問うということは、神に責任を問うことになってしまう。それはできない以上、君主も責任は問われないのだ。 (上の文章の続き)
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
神様、責任取って!
……なんか、読んでると本当に、人間って進化どころか退化してるんじゃないか、と思ってしまいます。塩野さんの筆が「パクス・ロマーナ」を魅力的に描きすぎているのかもしれないけど、でも、「神」よりも「人間」を重んじた古代ローマの方が、ずっと「人間」として自立していたように思えてならない。
43巻の本文の後には、通貨の変遷の様子がカラー写真で紹介されている。時代が下るにつれて質が上がるかというと全然そんなことはなく、「平和」が崩れ、そのことによって「経済」が荒廃し、貨幣の質も落ちていくのよね。
「豊かさ」の大前提として「平和」があること。
「付録」として、“ローマ人が自分たちにとっての「基本道徳」としていたことの一覧”というのもついている。
これ見ると、本当に「ローマ人素敵♪」と思います。
ローマ人が考えていた「自由」とは「個人の人格の尊重。そして、自分だけでなく他者のそれも守る意志」。「道徳」とは「いかなる時代もいかなる個人も個々では与えることのできない、長い歳月を経た知恵の集積。ゆえに、尊重の価値ある伝統」。
紀元529年、東ローマ皇帝ユスティニアヌスはアテネにあったアカデミアを廃止。900年の歴史を持つ哲学の牙城が幕を閉じた。
疑問をいだくよりも服従することを人間の「徳」と考える時代に、決定的に入ったということであった。 (43巻P105)
人間は進化しているのか?とも思うし、「進んでいた」ように見える、実に素敵に見えるローマ人でさえも唯一絶対の神に道を譲らざるを得なかったこと、その「素敵さ」を持続できなかったことに、なんとも言えず寂しさを感じる。
諸行無常、盛者必衰と言ってしまえばそれまでだけれど。
はぁ。
終わってしまったのだなぁ……。
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