先日「歌川国芳展」を見に行って、大変素晴らしかったので、もう一度橋本治さんの国芳論が読みたくなり、『ひらがな日本美術史第6巻』を借りてきました。

『ひらがな日本美術史』、できれば買って手元に置いておきたいんですけど、いかんせんそれだけのお金と置き場が…。

6巻の中で、全14章のうち国芳については3章が割かれています。北斎も3章あるんだけど、

もちろん、私は昔から国芳が嫌いではないのだが、こんなに続くほど好きだとも思っていなかった。ところが、このシリーズで国芳を取り上げてみると、つくづく国芳が好きなのである。見ていると、「つくづく好きだなぁ」と思わせる何かがあって、それが「とても大事なもの」のように思われたのである。私はその「とても大事なもの」が、つくづく好きなのである。 (P103)

うふふ。いいなぁ。しばらく橋本さんの文章から離れていただけに、こういうとこ読むと顔がにまにましてしまいます。

私が国芳の絵の中に見て、「つくづく好きだなぁ」と思うのがなんなのかと言うと、「江戸の町人文化の精神<スピリット>」である。「精神」と書いて「スピリット」と訓(よ)む。それは、「心意気」でもあって、「エッセンス」でもあるようなものである。 (P106)

うん、なんか、わかる。実際に生で作品を見て、その自由闊達さというか、「職人魂」というのかな。ゆるぎない自信とセンスと、あまりにも幅広いその画業と。

「時代に愛されたんだなぁ」って思ったから。

橋本さんも

彼に「不安」もなく「苦悩」もなく、その号のごとく「一勇斎」でありえたのは、彼が、完全に彼の生きた時代―自分の生きるべき時代環境とシンクロしていたからだろう。 (P116)

とおっしゃっている。

浮世絵は当時の大衆=町人たちの「娯楽」で、読み本の挿絵から団扇の図案まで描いちゃう国芳は「芸術家」ではなく「腕に覚えの職人」で、時代は彼の「腕」を求め、認め、彼は彼でその時代=社会を確固たる基盤として存分に腕を振るった。

精力的で多岐に渡る、そしておかしみのある作品も多い彼の見事な浮世絵を見てると、ほんと「幸せな職人人生だなぁ」って思う。

彼を「幸せな職人」にしていた基盤、「江戸の町人文化のスピリット」。

国芳の中で躍動していた「それ」は破綻せずに幸福なままだったけれど、時代=社会の方は「それ」を捕まえそこね、「黒船」でパニックになって終わる。「西洋のものが偉い、すごい」と回れ右して、あんなにも隆盛を極め、一つの「美」の頂点を極めたとも言える浮世絵をばっさりと切って捨てる。

「すごい」と憧れた「西洋」が「すごい!」とコレクションするほどの「美」だったのにね。

国芳について語った三つの章を締めるのは

国芳の絵の中で、それは終わらない。しかし、国芳を生かした時代は、それを捉えそこねた。だから終わった。そう思って国芳の絵を見て、しみじみ「もったいなことしたなァ」と思うのである。 (P116)

という言葉。

「黒船」が来なくても、「それ」を捉えそこねていた江戸時代は終わらざるをえなかったのだろう。「それ」は「支配階級=武士」のものではなかったし、「それ」を抱えてあれだけの「文化」を花開かせた庶民は江戸にフランス革命を起こしはしなかった。

「黒船」が来なければ、あんなにも極端な「西洋への回れ右」はなかったのかもしれないけど、でも「浮世絵」があのまま存続したという保証もないよなぁ。「庶民の娯楽」=サブカルチャーだった浮世絵は、いわゆる「権威」からは低く見られていて、江戸の次にどんな「支配階級」が出現しても、「保護」はされなかった気がする。

もちろんそれだからこその「浮世絵」なんだろうし、その良さ・表現というのは現代のマンガに繋がっているんだろう。

国芳の作品で橋本さんが最初に取り上げているのが「宮本武蔵の鯨退治」。「タイトルを書くだけで興奮する作品」という惚れ込みぶり。うん、いいよねぇ、ほんと力強くすっきりとして。

国芳は「武者絵」というジャンルを創った人、と橋本さんがおっしゃっているんだけど、「武者絵」って要するに「フィクション」の「キャラクターイラスト」なんだよね。

たとえば写楽の浮世絵は「役者絵」であり「芝居絵」。それまで「浮世絵」には美人を描く「美人画」と歌舞伎を描く「役者絵」」「芝居絵」しかなかったらしい。

「役者絵」が役者に似てたかどうかはともかく、実在の人物やお芝居をモデルにして描くことには違いなく。

画家が勝手にドラマの場面を作るわけではなかったらしい。

で、北斎が「読本挿絵」の中で「文章には書かれてないのに勝手にもっと派手なドラマを描いてしまう」という「画家による物語=フィクションの提示」を実現して。

しかし「読本挿絵」の世界では、キャラクターだけが独自に活躍して、「その役に扮する役者はいない」。それを描く画家が、存分にイマジネーションを駆使して、描かれるべきキャラクターを造形してもいいのである。画家がキャラクターを造形することによって、画面に自由にドラマが表現できる。 (P89)

読本という「文章で語られる物語」という補助道具なしに、絵だけで自由にキャラクターを作っちゃってもいいんじゃないか、それに気づいたのが国芳だったと。

この間NHK-BSでやってた写楽の特集見てて、「大首絵は確かに斬新で面白いけど、でも私は圧倒的に国芳の方が好きだな」って思った。写楽が残したのはほとんどすべて「役者絵」。国芳の方が「フィクション」で「キャラクター」で、嘘八百のファンタジーをこよなく愛する私にとっては国芳の武者絵の方が断然好きに決まっている。

「虚構としてのリアリティ」「ホントだけど、ホントではない」

こんな言葉が、「宮本武蔵の鯨退治」を語る橋本さんの口(というか筆)からこぼれる。

なんと私好みの世界なのでしょう。そうそう、それ!と言いたくなる。

ウソでもいい。そういうものがあると、ワクワクする人はワクワクするのである。そうやって、成長の糧とするのである。だから、それはホントに見えなきゃいけないのである。そういう伝統は、幕末国芳の《宮本武蔵の鯨退治》から始まって、少年雑誌の口絵になり、少女雑誌の口絵になり、昭和の戦後の男の子にとっては「小松崎茂先生の空想科学未来の絵」になり、女の子にとっては「高橋真琴先生のバレエの絵」になって、最後は「プラモデルの箱の絵」になるのである。そういう、人格形成(ビルドゥング)の糧となる口絵が「アイドルのポスター」に変わった時、日本の未来はなくなるのである。 (P81)

わかるなぁ。

虚構とか「物語」というのは必要なものなんだ。

「アイドル」だって、その昔は「物語」を生きているもので、ジュリーなんかホントに「ファンタジー」だったんだけども。

「相馬の古内裏」や「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」の紹介があって、最後は「荷宝蔵壁のむだ書」。本当にこの、「すべてを落書きとして描く」スタイリッシュさはたまらない。

(昔の)日本人ってセンスいいよなぁ。

本当に、本当に、もったいない。

近代なんて、来なくてよかったのに。

『ひらがな日本美術史』第6巻はこんな言葉で終わる。

「近代以前の日本美術」のすごさは、必要な「へん」をきちんと把握して、それをちゃんと位置付けていたことである。それを可能にするメルティング・ポットを、近代以後の日本人は壊してしまった。惜しいを通り越して、愚かだと思う。 (P200)


大阪市立美術館での「国芳展」は6月5日までです(あー、もうちょっと近かったらもう1回後期展示も見に行くのになぁ)。