以前、内田センセがblogで「橋本治さんの対談集の帯文を書いた」と言ってらしたその対談集が、先日刊行されました。わーい、ぱちぱち。

内田センセのblogを読んでいると橋本さんの出版予定までわかってしまうというのはなんて便利なんでしょうか(笑)。

ちなみにその帯文。

橋本治さんは誰を相手に対談しても、いきなり恐ろしいほどの思考の深度に急降下してゆきます。「降下」というよりはむしろ「墜落」。読んでいるだけで目眩がしそうです。

「対談集」ということで、橋本治さんと6人の方の対談が収められています。いずれも「橋本治さんのなした仕事」がテーマになっており、もとの対談の雑誌掲載時期は2007年から2009年。

この本自体はランダムハウス講談社から出ているのですが、もとの掲載雑誌は新潮社3つ、文藝春秋、中央公論、カタログハウスがそれぞれ1つ、とバラバラの出版社で、よく1冊にまとめてくれたなぁ、と感謝感激です。

この手の文章って、なかなか単行本に収録されにくいですからね。それに、「橋本治のなした仕事」という共通のテーマがあるだけに、それぞれの対談はバラバラに行われ、相手もそれぞれ違うのにも関わらず、通して読むときちんと「一つの大きな流れ」が見えてくるようで、面白い。

しかしなぜランダムハウス講談社からの出版なんでしょう。もとの掲載誌と関係ないところの方がかえってまとめやすかったんでしょうか。

これの前に読んでたのが『純粋理性批判』だっただけに、もう橋本さんの思考、語り口がたまらなくて、読み始めたら止まらない。いや、ほんと、もう読んでるとつい頬が緩んでにやにやしてしまうんです。

端から見てるときっとかなり気味が悪いと思う(笑)。

橋本さんの「語り」に触れていると、それだけで幸せな気分になれるのです。

では一つずつ、ざっと感想を。

【橋本治×高橋源一郎:短編小説を読もう】

のっけから高橋さんが内田センセの話を出します。『下流志向』を読んでいて、「これって橋本さんじゃん」と思った、と。

そうそう、内田センセの語りは橋本さんの語りと通じるところがあるんですよね、内田センセの方がカタカナ多いけど(笑)。

でもテーマは内田センセと橋本さんの共通項、というのではなくて、橋本さんの「短編小説」です。『生きる歓び』『つばめの来る日』『蝶のゆくえ』と3冊にまとめられた連作短編。

実は私、『つばめの来る日』の途中で挫折してます。

『蝶のゆくえ』は柴田錬三郎賞を受賞なさっているのですが、買ってもいません。

きゃー、ごめんなさいっ!

橋本ファンを自称し、実際橋本さんの著作は9割方持っているのではないかと思う私なのですが、最近の「小説」は買ってないのですよね。『巡礼』も、今度出た『橋』も買ってない……。

私が橋本さんを知ったのは『桃尻娘』だから、ちゃんと「小説」から入ってるんだけど、今はごめんなさい、評論や古典等の「小説以外」のジャンルの方が、圧倒的に好きなんです。

『窯変源氏物語』も『双調平家物語』も、古典を下敷きにしてはいても、橋本さんの「オリジナルな小説」と言って過言でないと思うのですけどね。そしてあの2作は大好きなのですけれど。

『生きる歓び』や『つばめの来る日』という連作短編は、舞台が現代で、ドラマなんかありそうもない市井の日本人の何気なくも哀しい、さりげなくも幸せな、なんともいえない風景を切り取ったもので。

「この切り取り方はすごい。さすが」と唸りはするものの、現代日本が舞台というだけで私は苦手なので……。

リアリティのない、嘘八百の、過剰にドラマティックなファンタジー、それも長ければ長いほどいい、っていう私の好みからすれば、真逆の作品群。

でも、対談自体はとても興味深い。

橋本さんの「小説の書き方の秘密」。もともとイラストレイターとして有名になった方でもあり、「絵」が見える、っていうのがすごいです。

「絵」…風景、情景。

『源氏物語』テーマの対談にも出てきた話なんだけど、「情景が心理を語る」的な絵。

私も小説書く時に「絵」を見てるんだけど、私の場合、「人の動き」「表情」しかなくて、背景とかないからなぁ。

橋本さんは「こたつ布団の模様がどんなもので、畳はこんな感じで」って全部見えるらしい。

ううううむ、すごい。私、登場人物の服装すら見えない……って、それじゃみんな裸なのか!? いえいえ、服は着てるんだけど、それがどんなものかに興味がないんだよな…。“人は見たいものしか見ない”って言葉があるけど、想像上の“絵”ですら、「関心のあるものしか見えない」。

橋本さんの小説技法と自分のそれを比べてもしようがないんだけど、高橋さんが「(そんなこと)しないです、普通は」っておっしゃっているので、橋本さんの「書き方」がかなり変わったものであることも確かでしょう。

橋本さんの著作は、これまでのところ「小説」よりも「小説以外」の方がずっと多いはずで、でも橋本さんは「小説家でありたい。オレは小説家なんだ」ってずっと言ってて、でも高橋さんに「なんで小説書きたいの?」って訊かれると「それがわかんないのよ」って(笑)。

楽しいなぁ。

【橋本治×浅田彰:日本美術史を読み直す】

この対談はほんとに読み応えあって楽しかった! 分量もけっこうある。これと、この次の茂木さんとの対談が他の4つに比べると長くて、この対談集の白眉をなしている。

って、単に私の好みに合ってるというだけですけど。

橋本さんの『ひらがな日本美術史』をベースにした対談、もう読んでいると楽しくて楽しくて、うるうるしてきて、「あー、やっぱり『ひらがな日本美術史』手元に欲しいっ!」って思っちゃいました。

大型本全7巻、お金よりもまず置き場所がないんだ、ぐっすん。

この対談集、下段に用語解説がついてるんですが、この対談では美術家達の名前や専門用語で下段がぎゅう詰めになっています。『ひらがな-』を読んだおかげでついていけましたが、読んでない人、日本美術に興味のない人にとっては「何のことやら」の話かも。

『ひらがな―』を読んでいる時に、「江戸時代」が終わるのがホントに嫌で寂しくて、つまらない「近代」なんか来なくていい、「ああ、大好きな日本はもう終わってしまった」ぐらいに思ったんだけど、この対談でも「近代のつまらなさ」ということに言及されていて、たぶんそれは「近代美術」だけの話ではなくて、「近代の知識人のあり方」とか「近代日本の社会そのもの」にも通じるものなんだろう。

この次の「小林秀雄」のところで、「近代の知識人」の話は詳しく出てくるわけだけど。

「近代になると個人が出てきてうっとうしい」。

それ以前の、特に歴史を遡れば遡るほど、その絵を描いたのは誰か、その彫刻を作ったのは誰か、ということがわからなくなる。ただ「作品」だけがあって、その作品の「素晴らしさ」は、「作者が誰か」に関わらず、「素晴らしい」。ただひたすら、「いいものはいい」で存在することができる。

でも近代になって、「政府に認められたからいい」とか「展覧会で賞を取ったからいい」とかいう「権威づけ」みたいのができて、一度そういう「権威」に認められたら、その作者自身が「権威」になって、「私を“素晴らしい”としなさい」ってふうに、見るものに迫ってくる。

「あの有名な人が描いたんだから、きっとこれはすごい作品なんだろうなぁ。自分にはよくわからないけど」

自分の感性じゃなくて、すでに定まった「価値」で美術に対しなきゃいけない、みたいな。

もちろん江戸時代以前にも、「将軍に愛された」というような「権威づけ」はあったんだけども、それはあくまでも「パトロン」で、上皇や将軍という「個人」の「好み」だったと思う。

「政府」とか「なんとか協会」とかいう、「権威発行機関」のお墨付きではなくして。

橋本さん「だけど作品のすごさの前で、作者名がどれだけ重要だろうかっていう気はするのね」 (P63)

あと、これはごく個人的に「ところが、安田靫彦や前田青邨となると、だんだん歴史絵本の挿絵みたいになっていく。で、まさに挿絵から出発した東山魁夷を経て、平山郁夫に至るわけですよ」(浅田さんP54)ってゆーところに「むふっ♪」と思った。

東山魁夷も平山郁夫も、私には「その良さ」がわからないから(笑)。

「好きだ」って思わない。

「美術の良し悪し」なんかわからないけど、でも「これは好き!」ははっきりしてる。私にとっては「好き」=「良い」なわけで、一体「美術の良し悪し」とは何か?という話にもなる。

橋本さん「そこには、自分はそれでいいかもしれないけども、他人がそれをいいと思うかどうかっていうところが抜けているような気がするんですよ。つまり、職人というのは自分はそれでいいと思うけれども、お客さんがそれでいいと思うかどうかはまた別だ、という二律背反の中にいる。近代の画家にはそういうところがない」 (P55)

最後の「躾のなくなった日本」のところも面白かった。

ああ、『ひらがな日本美術史』、手元に置きたい。

【橋本治×茂木健一郎:「小林秀雄」とはなにものだったのか】

ラインナップを見た時に、一番意外だったのが茂木さん。

茂木さんと橋本さんが対談してる図って、なんかシュールだと思った(笑)。茂木さんって、早口で話し方が独特でしょ。橋本さんとどんなふうに会話するんだろう?って。それに「科学者」と橋本さんの組合せっていうのもなんか、珍しい。橋本さんの思考って、「科学」とか「近代合理主義」というものからとても遠い気がして。

まぁ茂木さんは一般的な「科学者」とはだいぶ違ったイメージの人ではあるけど。

茂木さんと小林秀雄に接点があるということに驚き……って、そもそも私と小林秀雄に何の接点もないから(笑)、「小林秀雄がどういう人にウケるのか」もわからないし、茂木さんと小林秀雄の取り合わせが「普通」なのか「奇妙」なのかも、実のところさっぱりわかんないんだけど。

「近代合理主義の行き詰まり・限界」みたいなものがたびたび遡上に上がって、しかも茂木さんはやっぱり思考の仕方がただものじゃないから、この対談はすごく刺激的で面白い。

茂木さん「フッフフフ。すごいですね。実にすごいですね。学問とは何か、日本とは何か、批評とは何かということに関する論争をすべて無効にするような力がありますね、橋本さんとしゃべっているとね(笑)」 (P85)

「好き嫌い」とか、「上田俊成はイヤなやつだ」という橋本さんの断言。「感じる」ということの重要性。

「論理的」でも「合理的」でもない、「数値」では捉えられない、でも「感じる」能力というのは非常に重要で。

うん、なんかこの対談、ほんとにすごい内容が書いてある気がする(笑)。

織田裕二の『椿三十郎』のCMを見て、お二人ともが本家本元三船敏郎版の『椿三十郎』のDVDを買ってしまった、っていうのも笑えるし。

対談の中で橋本さんが「本居宣長をやる」っておっしゃって、茂木さんが「やったー!」って喜ぶとことか。

うふふ。橋本さん、『本居宣長の恵み』もやってくれるんだ。やったー!!!(爆)

【橋本治×三田村雅子:紫式部という小説家】

紫式部はやっぱり偉大だなぁ。

終わり(笑)。

『源氏物語』の帖の名前がぽんぽん出てきて、「あすこではこうでしょ」「○○ではこうなってるでしょ」という非常に専門的な会話が続きます。

『窯変源氏物語』は2回読んで、「全体の流れ」は把握してるけど、どの帖がどんな内容、なんてことまでは……。うっかりこういう対談を読むと、「もう一回読み返そうか」という気になってしまってヤバいです。

【橋本治×田中貴子・王朝を終焉に導く男たちの闘い】

『双調平家物語』についての対談。

終わり(笑)。

孝謙女帝の話は『日本の女帝の物語』で解説されてたし、そもそも全体について『権力の日本人』『院政の日本人』と膨大な「解説」があるので、この対談で新たな魅力が…というものではないんだよなぁ。

まだ読んでない人向けのイントロダクション、って感じ。短いし。

【橋本治×天野祐吉:二〇〇九年の時評】

『広告批評』に連載されていた「ああでもなくこうでもなく」が終わる間際の、企画した側と企画された側の「最後の感慨」みたいな対談。

「ああでもなくこうでもなく」が大好きだった私としても、感慨深い内容です。

この対談は2009年春の『通販生活』に掲載されて、対談自体は2008年の10月に行われている。だから、「もしかしたら解散総選挙なんてもう終わっているかもしれないし」とか、「でもさ、『首相辞す』ってのは、秋の季語だから(笑)、春には政権交代はないんじゃないですか(笑)」とかいう言葉が出てくる。

いやぁ、橋本さんすごいな。「春に政権交代はない」って、当たっちゃってます(爆)。

橋本さん「今、交代して民主党に政権が行ったら、これは民主党の危機だと思いますね。だって、小沢一郎が首相になって民主党がまとまっていられますか。民主党の支持者の中でも、小沢一郎を総理大臣にと望む人はそんなにいないでしょ」

橋本さん「というか逆に、小沢首相では日本はより沈滞するかもしれない。だって小沢さんて人の言うことを聞く人じゃないでしょ。今の日本の政治家にいちばん必要なのは、人の言うことを聞くという能力だもん」 (どちらもP214)

結局鳩山首相になったわけなんですけど……どうなんでしょうか……。

軍縮ならぬ「産縮(産業縮小)」で行くしかないとか、「起業よりも具体的な仕事を作るのが先決」とか、すごく大切なことが少ない分量の中にさらっと書いてあるんだけど、こういうお話が『通販生活』に載っているというのがすごいよね。

「ああでもなくこうでもなく」が終わってしまったの、本当に残念だ。もっともっと、橋本さんに今の世の中を読み取ってもらいたかった。

橋本さんにばかり頼るんじゃなく、自分の頭で考えなきゃいけないことはわかってるけど。

【おまけ:誤字・脱字が多い】

もともとの対談原稿に多かったのか、ランダムハウス講談社でまとめる時に発生したのかわかりませんが、誤字・脱字がけっこうありました。

「馬鹿と言われもいいんだけど」(P73)「防衛費を多少削れないばいいじゃないか」(P215)

「駒場際」(P127)「知恵は知ぬ」(P215)

「欲望に走ると知恵は知ぬ」って、セクション名になってて、太字印刷なんですよ。これ、わざとじゃないよね? 本文では「人が欲望に走ったとき、知恵というのは死ぬんですよ」って書いてあるから、「死ぬ」が正しいんだと思うんだけど。

「しぬ」って打っても「知ぬ」とは出てこないから、どういう入力をしたのかな、と逆に興味が湧いてきたりして。