カント様である。

『純粋理性批判』である。

一度でも哲学を志したことのある者には避けて通れない、「西洋哲学史上最高かつ最重要の古典」である。

別に「学者として」哲学を志したことはないんだけども(うっかりインド哲学を専攻しそうになったことはあったが)、「考えることが好き」な私としては、一度は挑戦してみたかった書物。

以前、同じ古典新訳文庫でカントの『永遠平和のために・他』を読んだこともあり、新訳なら私のような素人でも読めるかもしれない、と思い、このほど刊行なった第1巻を手に取ったのだが。

甘い!

甘いぞ、ひゅうが!!

正直、読んでると猛烈な睡魔に襲われて、頁が繰れない。

真っ昼間に読んでても寝そうになる。

「眠れない夜」には格好の「睡眠薬」となること請け合い。

訳注を含めたカントによる「本文」が半分、訳者・中山元氏による丁寧な解説が半分。

ほんとは、「解説」を読む前に、「自分の頭で理解できたこと」「自分の頭で考えられたこと」だけで感想を書くつもりだったんだけど。

ダメ!

とても無理!!

途中で放り出して何度『橋本治対談集』に逃げようと思ったことか。

でも一回中断したらもう終わり、よけい話はわからなくなるし、きっともう読む気が失せるし、なんとかがんばって本文を読み終わり、解説に突入。こーゆーとこ、変に律儀です。

♪負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じ抜くこと ダメになりそうな時 それが一番大事♪

はい。相変わらず前置き長いですね。

この古典新訳文庫版、全7巻の予定だそうで、1巻には序文、序論、本文第一部門の「超越論的な感性論」が収められています。序文と序論については、初版と二版と、2種類とも掲載。

「超越論的な感性論」――このタイトルだけで逃げ出したくなりますね、いや、ほんとに。

なんかね、カントさん、めちゃくちゃ文章がわかりにくいんだよ。複雑なことを説明しなければいけないから、どうしたって文章も複雑になるんだろうけど、それにしたって「あんた、実は文章へたくそなんちゃうの!?」と言いたくなるほど、呑み込みにくい文。

それでも、「いま、息をしている言葉で」の「新訳」だから、きっと相当とっつきやすくなってるんだろうとは思うんだけど。

うーん、なんか、「言いたいこと」というか、議論の「方向性」みたいなものはわからなくはないんだ。「こういうことなのかなぁ」というおぼろげな輪郭というのは見えてはくるんだけど、せっかく見えてきたものが「例」を出されるとよけいわからなくなる、みたいな。

カントさん、「たとえ」出すの下手!

ってゆーか、これは時代状況的に、無理のないところもあるのだが。

「分析的な判断」と「総合的な判断」というのが出てきて、「AはBである」と言う時に、「B」が「A」に含まれている、「A」を分析すれば「B」が出てくる、というのが「分析的な判断」。

で、「A」をどう分析しても「B」は出てこない、「A」の外部から「B」を持ってくるのが「総合的な判断」。

その分け方自体は、なんとなくわかる気がする。

わかる気がするのに、例として出て来るのが、「物体は広がりを持つ」と「物体は重さを持つ」だったりするのだ。

「広がり」が「分析的」の方で、「重さ」が「総合的」な方。

んーーーーーー。

「広がり」は確かに「物体」そのものの「定義」に含まれているけど、「重さ」だって「物体」を「物体」たらしめる物じゃないのかぁ? いや、「物体」の「定義」としては「重さ」じゃなく「質量」であって、重力がないところでは「重さ」は感じないんだけど、でもどっちにしてもそのたとえでは、全然ピンと来ないです、カントさん。

「風が吹けば桶屋が儲かる」は「総合的な判断」であるとか言ってくれた方がまだわかる(笑)。

解説で中山さんが「カントの時代の物体の定義を考えてみる必要がある」と言ってくれていて、そういえばカントってオスカル様やアントワネット様と同時代人なので、数学や科学の話は「その時代での定義・考え方」をわかっていないと、それでなくてもわけわかめなものが一層混乱してしまう。

解説では「それまでの哲学の流れ」とか「この時代の時間・空間論」とかをざっと説明してくれているし、カントが用いている数学のたとえも、「現代数学においてはその考えは覆されている」と注意してくれている。

何しろ200年以上前に書かれた文章、当時の時代背景や「当時一般的だった考え方」を知らずに理解するのは無理ってもんです。

そりゃ眠気も襲ってくるよ、と(笑)。

同じ「わからない」でも『宇宙を織りなすもの-時間と空間の正体』の方がよっぽど楽しく読み進めたなぁ。

解説に入ったら興味深く読めたし、読むスピードも上がったし、何より中村さんが「このカントの書き方はわかりにくい」とかって書いてくれてるところがあって、「ああ、私がバカだからわからないわけじゃないのね」と安心もできる。

本文ではちんぷんかんぷんだった「時間論」「空間論」についても輪郭がはっきりして、面白くなってくる。

「本文」は「解説」を読むための修行であったか、という感じ。

「本文」が「問い」で、「解説」は「その答え」に近い感じかな。

むしろ「解説」だけを読んだ方がいたずらに混乱しなくていいような気もするんだけど、「本文」にぶつかって「一体何が言いたいんだ!」とあれこれ考えさせられてから「解説」を読んだ方が、やっぱり「思考」が深くなると思う。

自分がおぼろに思っていたことが「解説」で「その通り」と褒めてもらえたり、逆にまた「解説」のところで「え?そういう話だったんだとしたらこれはどうなるの?」と別方向へ考えていけたり。

一度は自分の頭で考えた上で、人の意見を読む。

「わからない」からと言って、「わかりやすい」ことばかり選んでいたら、「自分で考える能力」が衰える。

なんか、耐性を試されてる気がするわ。

「知性」というのは、手っ取り早い答えに飛びつかずに、いかに「答えがない」ということに耐えられるかという、ある意味「耐性」のようなものなのかもしれない。

って、この間自分で書いたばっかりだもんなぁ。

この後まだ6冊もあるのかと思うと、私の耐性、どこまで保つか、心配ですけど……。


「時間論」「空間論」、そして「物自体は認識できない」という考え方は非常に興味深かった。

私達は「物」を、私達の感覚器官を使って認識する。だから、その「物」の認識には、感覚器官による「制限」があって、私達には「そう見える」けれども、たとえば宇宙人が同じ物体を「どう知覚・認識するか」というのはわからないんだよね。

「あなたの目に映るこの空の青さは ほんとに同じ色ですか~♪」という歌を『“秘密”と私の眼に映る世界』で紹介したけど、同じ人間同士でも、私の眼に映る世界とあなたの眼に映る世界とでは、違う可能性がある。

私達は、私達に与えられた認識の方法でしか、世界を捉えられない。

そのことと、「世界」や「物自体」の「実在性」というのはまた別の話だけれども。

んで。

カントさんは、「時間」も「空間」も、「わたしたちの感覚的な直観のたんなる形式」であると述べる。

認識するための「形式」として人間に「アプリオリ(=先天的、先験的)」に与えられているもの。

カントさんの本文だけ読んでも今ひとつピンと来なかったけど、中山さんの解説でニュートンや他の人の「空間論」との対比の上でかみ砕いてもらうと、「なるほど」と思えた。

前に「平面人からの手紙」という本を手に取ったことがあって、それには平面に貼り付いて生きている「2次元人」が出て来る。彼らは、おそらくは「2次元」の「空間」(というか「平面」)しか認識できない。

世界が実際にはどのようなものであろうと、それを認識する方としては、「与えられた認識方法」でしか捉えられない。

この世界が実は5次元だったり7次元だったとしても、私達は「3次元空間」としてしか認識できない。

同じく「時間」についても、それは「認識のための形式」「人間一般に与えられた認識の前提」のようなものであると。

人間同士は「前提」が同じだから、「同じ時間」を生きて、待ち合わせもできる。

でも、「時間」が人間の外部に、絶対的に存在するかどうかは、人間には知ることができない。

人間の外部で、たとえば「時間の経過」によって食物が腐ったり、金属が錆びたり、池が干上がったり、という現象が起こるわけなんだけれども、その変化自体を人間は「時間」という形式によって認識する。

「時間が経ったから変化が起こる」のではなくて、「変化」を認識するための前提が、「時間」なのである。

……あ、このへん、まったく自己流に書いているので、カントさんや中山さんの言っていることと必ずしも合致しているかどうかわかりません。私にはそのように考えられた、ということです。

『あなたの人生の物語』というSF小説があってですね。


私達人類とはまったく異なる認識方法をもった宇宙人が出てくる。彼らの言語を研究していた地球人の女性は、「言語」を翻訳しようとしていくうちにだんだんと彼らの「認識方法」に染まっていって、しまいにはすっかり彼らの「時間認識」を身につけ、自分の未来がすべてわかるようになってしまう。

その宇宙人は、「時間が流れない」というか、平面的に時間を認識できるというか、とにかくそーゆー、我々とはまったく違う「認識方法」をしていて、「時間が流れない」から「言語」も「順番に発語する」とかじゃないような言語で、それを研究してたら研究者の脳みそも宇宙人的な認識をするようになっちゃったと。

我々が通常「ある」と思っている「空間」や「時間」は、我々に与えられた「認識の形式」に過ぎない。

なるほどですよー。


なわけであと6巻、なんとかがんばって最後まで読み通したいと思います。2巻はいつ出るんだろ。