前作『迷走する帝国』文庫化から1年、第13巻となる『最後の努力』が文庫化されました。

全15巻。もうあと2巻分で、終わってしまうのね、『ローマ人の物語』。そう思うと本当に寂しいうえに、前作に引き続き、読んでいるととってもせつなかったこの「最後の努力」。

塩野さんご本人も、文庫版37巻の巻頭言に「愛した人の死に最後まで交(つ)き合うのはやはり哀しい」と書いていらっしゃる。

私のような、この本を手に取るまで古代ローマの何たるかもわかっていなかった素人でも、読んでいるうちに「ローマ的なるもの」に愛着がわき、その凋落を見ているのがせつなくてたまらないのだから、書いている塩野さんの心中は本当にいかばかりかと、想像してしまう。

「最後の努力」でメインに取り上げられる皇帝は二人。「四頭政」を始めたディオクレティアヌスと、キリスト教を公認したことで有名なコンスタンティヌス。

ローマ史家の中には、コンスタンティヌス以降はもはやローマ帝国ではない、として筆を置いてしまう人もいるらしく、また、「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか」と言う人もいるらしい。

ほんとにそう思うなぁ。

迷走のあげく、努力の甲斐もなく、「違う国」にならざるをえないのなら、いっそすっぱりと「ローマ帝国」であることを捨てて、新しい国名をつけてくれればよかったのに。

まぁそうであっても、古いローマ帝国が完全に瓦解し、新しい国家となるこのコンスタンティヌスの時代までは、読まなければならない――付き合わなければならないのだけど。


さて。

まずはディオクレティアヌスの部分。もともとローマ史に詳しくない私でも、名前ぐらいは聞いたことがある。「四頭政」という言葉も、教科書に出てきたような。

前作「迷走する帝国」では、北方蛮族の襲撃に苦しんだ帝国が、軍団たたき上げの軍人皇帝を輩出し、その皇帝達が戦死や忙殺によって数年でころころ変わって、もはや元老院もまったくの役立たず、混乱を収拾する力もなく、政策の継続性など望むべくもないまま、まさに「迷走する」様子が描かれた。

そこへ登場するディオクレティアヌスは、とにかく北方蛮族を食い止め、帝国の国境線を守るということを主眼に、「四頭政」を始める。

当時のローマ帝国は、とにかく広い。地中海をはさんでヨーロッパ側、アフリカ側、イギリスも小アジアも、パレスティナのあたりまで、全部「ローマ帝国」だった。

一体その中に、今は何カ国あるんだろう? よくもまぁそんな広大な領土を「一国」として統治できたもんだよな、と本当に感心する。正直、もっと早い時点でバラバラに分かれてもちっともおかしくない広大さだ。

当然国境線も長くて、防衛するのは大変だから、ディオクレティアヌスは帝国を四分割して、正帝2人・副帝2人の4人それぞれが担当地域を決め、「自分の地域は責任持って防衛する」というシステムを作った。

もう一人で全部面倒見るのは無理だよ、と。

大変ごもっともな意見、というか、いいアイディアじゃん、という気はする。ほんとに、今まで一人で責任持ってたのが不思議なくらい広くて多様な風土・民族を抱えてるんだから。

実際、「四頭政」により蛮族の撃退には成功した。

国境は守られ、国民が蛮族の襲撃に怯える必要はなくなった。

でも。

代わりに重~い税金に怯える日々が始まったんだなぁ。

皇帝が4人になって、それぞれが軍を率いて担当地域の防衛に当たる。今までは、暇な地域の軍団が忙しいところに応援に行くとか、色々やりくりもできたのだけど、「担当地域」が明確に分断されてしまうと、そういうわけにも行かなくなる。

「合併して低コスト化を実現する」であちこちの市町村が合併したけれども、その逆で「分割」ってことになると、当然コスト高になるのだ。

それでなくても帝国内の経済活動は低下し、帝国の財政は悪化していたところへ、「四分割」したことによる軍事費他の増大。

軍隊だけでなく、行政官僚も肥大したのですね。

分割による増大だけでなく、ディオクレティアヌスがミリタリー・キャリアとシビリアン・キャリアを徹底して分離したがために、 「巨大化した軍機構と並び立つ、巨大な官僚機構が誕生したのである」

これに続く文章は、なんとも考えさせられる。

「しかし人間とは、一つの組織に帰属するのに慣れ責任をもたせられることによって、他の分野からの干渉を嫌うようになるものなのである。そして、干渉を嫌う態度とは、自分も他者に干渉しないやり方につながる。(中略)干渉、ないしは助けを求める必要、に迫られないよう、いかに今は無用の長物であろうと人でも部署でも保持しておく、であるのだから」

はははは。

いや、なんとも容赦ないっちゅうか、民主党へのエールになりそうというか(笑)。

こーゆー理知的でウィットに富んだ塩野さんの文章、読んでてほんと痛快です。

『ローマ人の物語』を読んでいると、色々他のことでも思うのだけど、「後の時代」が「前の時代」より「進化してる」というのは嘘で、昔の人の方がよっぽど賢かったんじゃないか、という気がしてくる。

「専従にする」というのは合理的で効率的なように見えて、実はかえって非効率になったり、専門バカを産んだり。

かつてはミリタリー・キャリアもシビリアン・キャリアも積んだオールラウンダーがローマ帝国の上層部を形作っていて、それは「効率」という意味ではもしかしたら「無駄」も多かったのかもしれないけど、でもやっぱり「上に立つ人」は軍事も行政も両方わかっていてもらわないと、かえって不都合が多い。

属州民とローマ市民の区別の撤廃も、「人間はみんな平等」という素晴らしい政策のように見えて、実は弊害も多かった(これに関しては『迷走する帝国』感想を参照。)

多神教から一神教への変化も、私には退化に思えるし……。

で。

軍と行政の肥大化によりおカネがかかるようになり、国民は重税にあえぐようになったわけです。

「税金を納める人の数よりも、税金を集める人の数の方が多くなった」

いやはや、ほんとにねぇ。

ここで塩野さんは愛しのアウグストゥス君を引っ張り出して、ローマの税制の変遷について解説してくれるのだけど、その話はまた明日