岩波文庫の『山月記・李陵』には他に9つの作品が収められている。

そのうちの二つが、「西遊記」から想を得た『悟浄出世』『悟浄歎異』。どちらも“「わが西遊記」の中”と記されてあり、この二つの短編がもっと大きな作品の中の断片であることがうかがわれる。

『悟浄出世』の方は、三蔵法師一行に出会う前の沙悟浄が流沙河の底で「我とは何か?」という問いを抱えて「哲人」と呼ばれる妖怪達のもとをさまよう姿を描いている。

妖怪達から「ヤツは病気だ」と言われる悟浄。

この「病気」に関する描写がまず面白い。

「人間をくらうようになってから、我々の間にもごく稀に、これに侵される者が出てきた」

「この病に侵された者は、何を見ても何に出会うても『何故?』とすぐに考える。(中略)そんな事を思うては生物(いきもの)は生きて行けぬものじゃ」

「殊に始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑をもつことじゃ。何故俺は俺を俺と思うのか? 他の者を俺と思うても差支えなかろうに。俺とは一体何だ? こう考え始めるのが、この病の一番悪い徴候じゃ」(いずれも岩波文庫P137)

思わず苦笑してしまう。

私も、悟浄と同じ病をわずらって久しい。

悟浄は「我とは何か?」という問いの答えを求め、賢人たちのもとを訪ね歩く。しかし納得のいく答えは得られない。

「思索だけではますます泥沼に陥るばかりであることを感じて来たのであるが、今の自分を突破って生れ変ることが出来ずに苦しんでいるのである」(P157)

『悟浄出世』の最後で悟浄は三蔵法師一行と出会い、旅をともにすることになる。

そして『悟浄歎異』の方では、悟空や八戒、三蔵に対する悟浄の観察が描かれる。

思索などとは無縁の悟空の“強さ”、自信。「この猿の前にいる時ほど、文字による教養の哀れさを感じさせられることはない」

悟浄の、悟空に対する「憧れ」のような気持ち、「自分もこのようであったらよかったのに」という思いは、とても他人事とは思えない。

思索ばかりの人間というのは本当に、実際的な行動力と生命力に溢れた人間を羨ましく思っているものなのですよ。

悟浄は「悟空に学ばねばならない」と思う。

けれど悟浄は、いくら悟空を「素晴らしい」と思い、「真似しよう」「学ぼう」と思っても、悟空のようにはなれないだろう。

ただ観察し、感嘆することしか。

「俺みたいなものは、いつどこの世に生れても、結局は調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。決して行動者にはなれないのだろうか?」(P182)

中島敦が「そう書いている」からと言って、彼自身が「そのような人物」で「そう思っていた」かどうかはわからない。

けれど『文字禍』という作品でも、「文字(に代表される教養・思索)が人間をむしばむ」というテーマが描かれていて、やはり中島敦自身が少なからず自分の「思索」に辟易しているところがあったのではないかという気がする。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」などという表現を使えてしまう人なのだもの。

「我とは何か?」などという益体もない問いに足を取られて、なんら実際的な行動のできない穀潰しの役立たずな人間。

悟空のような在り方に憧れて、でも、本当にその問いを――「思索すること」を手放したいと思っているのかどうか。

それを手放しても、「我」は「我」なのだろうか――。

このように生まれついたことは、本当に因果なことだ。

おそらく生涯この病の癒えることなどないだろう。けれども時に、救いはある。こうして、「同じ病に憑かれた人間」を書物のうちに見出す時には。

『悟浄歎異』の最後のシーンは、とても美しい。

好きだな。