『宇宙を織りなすもの~時間と空間の正体~』下巻、なんとか読み終わりました。

う~ん、最後まで読んでも「正体」はわからんかった。

ってゆーか、下巻は難しくて上巻のように途中で色々書くことができませんでした。

インフレーション理論にひも理論。

名前だけは知っていたけど、内容はほとんど知らなかったので、「へぇ」「ふぅん」と思うことは多かったはずなんだけど……古典物理学ほどに咀嚼できないから、「何かを言う」ってことが難しい。

やっぱり高校程度の物理でも、「一応知ってる」というのは強いもんだな、と思いますね。相対性理論も昔本を読んだことがあるから、わからないなりにとっかかりがあるんです。だから、「ああかな」「こうかな」と考えられたりもするんだけど。

書いてあることについていくのが精一杯。

……というより、ついていけてないところがほとんどかも……。

でもちゃんと読み通したんだから偉いよね。

偉いって言って(笑)。

ひも理論によると、「空間次元は三次元ではなく十次元である」ってゆーのが、「へぇ~」でした。

SF的な多次元世界「パラレルワールド」とは違って、「たて・横・奥行き」以外に、おそらくは「小さすぎて見えない」七種類の空間がある、ということのようです。

数学的に「十次元の空間を必要とする」ってところが面白いというか、不思議なんだけどね。

数学って、そんなことまでわかるのねぇ。

数学って、そんなにも信用のおけるもんなんだ。

だって、この地球の、「三次元空間」を基にした「数学」なら「1+1=2」だけども、別の次元ならその数式は成り立たないとか、ないのかなぁ。「かける」とか「たす」とか「ひく」とか「べき乗」とか、数学の概念は全宇宙共通で、永遠不変、絶対の真実なのかしら……。

本文中にはほとんど数式は出てこなくて、言葉だけで説明してくれるんだけど、「原注」には時に数式が出てくる。

すべて、「なんじゃこりゃ」というものでした。

すべての教科のうちで一番数学が好きだったけど、それこそ「次元が違う」感じ。

「ブレーンワールド・シナリオ」ってゆーのも興味深かったんだけど……うーん、「これこれこーゆーの」などと説明できるほど理解してない。

「ひも」ではなくて「膜」かもしれない、ってゆーところから話が始まっていたような。

学校で習った時は、「それ以上分割できないものが“原子”なんです」だったのになぁ。

今じゃ原子の中に陽子とか電子とか中性子とかあるんだよね?

いや、それは学校でも習ったんだっけ。

そーゆーものは「点状粒子」だと思われていたのが、「振動するひも」かもしれないというのが「ひも」理論で、「ひも」じゃなくて「膜」かもよ、というのが「ブレーンワールド・シナリオ」。

ええっと、それで結局「時間」と「空間」の正体ってゆーのは……?????

時間と空間もまた、物質と同じように「超ミクロな構成要素から成り立っている」という可能性があるらしい。

「時間子」とか「空間子」とか?????

ただ一つの何か(=ひも?)が色々なパターンで振動することによって電子になったり光子になたりし、そしてそのひもが組み合わさることで時間や空間が生じるのなら……その「ひも」は、なぜこの世に存在するのかなぁ……。


「テレポートとタイムマシン」を扱った章は思ったよりずっと分量が少なくてちょっと残念でした。

「量子一つならすでにテレポートは実現している」そうです。

前の「その3」ぐらいで書いたと思うんだけど、ある一組の量子が距離を隔てて相関するという「量子エンタングルメント」という現象が存在するんですね。それを用いて、「こちらの量子」とそっくり同じ性質を持つ量子を別の場所に再現することができる。

「こちらの量子」と「そちらの量子」は性質的にまったく見分けがつかないから、それは「テレポート」であると。

……なんか騙されてる気がするゾ(笑)。

「テレポート」というと「移動」だと思うけど、この「量子テレポート」は、「移動」ではなくて「再現」だもんね。

まったく同じものを別の場所に出現させるという、ある意味「テレポート」以上にとんでもない技術かもしれない。

もちろん、「量子一つ」でもそれを実行するのは大変で、多数の粒子が複雑に絡み合って存在する“生物”を「そっくりそのまま別の場所に再現する」なんてことは、まぁほとんどできそうにもない。

それにその場合、「ここにいる私」とは別に「向こうにいる私」ができてしまうわけで。

いくら科学的組成およびその物理的状態が何から何まで同じでも、それこそ皺の一つ一つにいたるまで寸分違わず再現されていたとしても(どうせならそーゆーのは再現しないでほしいものだが)、それは「私」なのか?

まったく同じ組成・状態にすれば、記憶も性格も考え方も再現されるものなんだろうか。

再現されたからといって、それは「私」が二人いることになるのかなぁ。

「ここにいる私」は今手が離せないから、「向こう」にもう一人私を再現(テレポート)して会議に出席してもらう……とかしても、その後その「記憶」と「経験」を「一人」に統合することは無理だし、「テレポート」するたびに「私」が増えちゃうじゃん。

著者のブライアン・グリーンさんは、「私は、同一性は物理的なものだけで決定されると信じている」と書いていらっしゃる。

さすが科学者やなぁ。

今この時にも私たちの体を構成する細胞は何兆個という単位で入れ替わっているわけだし、「私たちはこうしてたえず変化しているが、人格の同一性には何の影響もない」。

そりゃそうだけど……。

タイムマシンについては、「未来への旅」は限りなく光速に近い宇宙船が製造できれば、容易にできることになる。相対性理論によって、光速に近づけば近づくほど、「時計の進み方」が遅くなるから、宇宙航海をたった数時間して戻ってくるだけで、地球では何十年、何百年と経っていることになる。

このタイムマシンは、あんまり嬉しくないよねぇ。だって、一旦未来に行ったら、過去に戻る術がない。

何百年経って地球がなくなってたら行き場所ねぇぞ。

「ワームホール」を使ったタイムマシン構想でも、それを作る以前の「過去」へは行けない。ワームホールをある未来時点につなげば、「現在」と「その未来」への行き来は可能になるみたいだけど――だから、「未来の人が、その人にとっての“過去”である現在に来ることは可能」だけれども、現在にいる私たちが、私たち以前の「過去」へワームホールをつなげることはできないらしい。

恐竜時代へ行くのは今のところ不可能なのねぇ。

残念。


宇宙の始まりがどんなものであっても、時間と空間が何によって生じているとしても、その中で私たちが生きていることに変わりはなく、死んでいくことにも変わりがない。

宇宙の「時間」に比べれば、砂粒ほどの「時間」も持ってはいない私たち。

ある意味宇宙のことなんか考えたって「ムダ」って気もするんだけど。

でもやっぱり、色々考えるのは楽しい。

みんな死に絶えて、この宇宙そのものが終わっても、また別の宇宙が始まるんだといいな。


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