昨夜、『宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上巻』の「第一部 空間とは何か」の最後の章、「非局所性と宇宙」という個所を読みました。

「量子力学による空間へのアプローチ」です。

量子力学……さっぱりわからんかった。

いや、まぁ、「量子力学によると宇宙はこんなことになる」という「まとめ」の部分は一応わかるんだけど、具体的な実験例とか考え方のところが、「んんんんん~~~???」という感じで。

想像するのが非常に難しい。

著者の方自身が、量子力学の話に入る前に「量子力学を直観的に理解できるように頭を訓練することは、相対性理論の場合よりもさらに難しい」って書いてくれている。

確かに、相対性理論の方がまだイメージできるよなぁ。

なんか、「確率波」ってのが出てきて、「空間内のある点における波の大きさは、電子がその点に存在する確率に比例する」とかいう文章が出てくるんだけど……意味、わかります?

粒子が個々の「粒」であるにも関わらず、「波」の性質をも持つ、ってところでもうイメージするのが限界になっちゃう。

「位置が観測されるその瞬間まで、電子はどこに存在するのかと問うことには意味がない」とか。

すべては「確率」としてしか表現できない、「測定されるまで、電子ははっきりした位置をもたない」。

え゛え゛え゛え゛え゛~~~~~?????

アインシュタインは量子力学の考え方に反対だったそうで、「人が見ていなければ、月はそこに存在していないとでも言うのか?」と言ったそうだ。

そんで量子力学の立場の人は「もしも“見ることによって月の位置を測定する者がいなければ”、月がそこにあるかどうかを知るすべはなく、それゆえそれを問うことにも意味はない」と答えたのだとか。

それはそれで面白い考え方だけど……物理学というより、哲学みたいだよね。

結局人は「自分の見たいようにしか見ない」し、「私が見ている世界」と「あなたの見ている世界」は違うのかもしれない。人間の脳は「光」の情報を処理してさまざまな物体の形を描き出すけれども、情報の処理の仕方が違えば、同じものが別の形になることはきっとありうる。私たちにとっては丸いものも、異星人にとっては違うように感じられるかもしれないのだ。

人間は、人間固有の「情報処理」によって外界を感知している。何の処理もしていない、「生のままの外界」が実はどんな姿をしているのか、それを知るすべはたぶんない。

……まぁ、「量子力学」はそーゆー話ではなくて、ちゃんと実験して、「不確定である」ということを言っている(らしい)のだけど。

そして。

「空間的に遠く離れていても、二つのものが完全に相手に依存することがある」という現象。

ある基準点を同時に、反対方向に飛び出した一組の粒子のそれぞれをある地点で測定すると、その測定結果には相関が見られるということなんだけど。

「測定するまで宙ぶらりんで、“確率”でしか表現できない」はずのものが、どちらか一方を測定すれば、必ずもう一方もそれに相関した値を示す。

……読んでるとなんか騙されたような気分というか、狐につままれてるような気がしてくるんだけど、とにかくそーゆー「遠く離れているにも関わらず協調的なふるまいをする」ものが実際に観測されているらしく、ということは「空間」のあり方が根本的に変わってくる、ということらしい。

物体と物体とを引き離し、区別するはずの「空間」。その「空間」を乗り越えて、ある物体から別の物体へと影響を及ぼそうと思えば、何らかの物体やエネルギーが「あいだの空間」を通っていかなければならない。

でも、「協調的なふるまいをする一組のもの」にとって、あたかも「あいだの空間」は存在しないかのように見えて……。

うーん。

面白いけどわからない。

わからないけど面白い。


次は「第二部 時間とは何か」。どんな「え゛え゛え゛ーーーっ!!!」が出てくるんだろう。わくわく♪