橋本治
『橋本治という考え方』/橋本治
ちょっと久々でしょうか、橋本さんの著作。最近マンガばっかり読んでましたもんね。ははは。
やはり橋本さんの文章は読み心地がよくて、すいすいとページを繰ってしまう。特にこの本は1つずつが5ページ程度の短いエッセイ(コラム?)なので、ちょっとした空き時間にも読みやすく、あっという間の読了。
これ、『一冊の本』という雑誌に連載されている『行雲流水録』というエッセイをまとめたもので、既に同じ連載で『橋本治という行き方 What A Way To Go!』という単行本が出ている。
もちろんそちらも持っているのだけど、なぜかレビューをどこにも書いていなかった。
私としたことが。
きっと、レビューが書きにくかったんだろうなぁ。
『一冊の本』という雑誌に載っているからか、基本は「本」とか「物語」とか、「映画」とかに関する文章なんだけど、時に繋がってはいてもそれぞれ一つずつ完結した短いエッセイがいくつも入っている単行本。
小説じゃないから「あらすじ」を紹介するってわけにもいかないし、それぞれにすごく「考えるヒント」になって色々「自分ならこうかな?」とあれこれ頭をひねらされてしまうんだけど、それをぐだぐだ書いたら「この本の紹介」ではなくて、「自分の意見の紹介」になってしまう。
うん、ほんと、一つずつが短くて「エッセンスの凝縮」になってるから、ものすごく思考を刺激される。
読みながら「ああでもなくこうでもなく」考えて、でも次々に話題が流れていくから、もう最初に考えたこと忘れてて(笑)。
うーん、めっちゃ紹介しにくい。
たとえば前の本『橋本治という行き方』のサブタイトル、「What A Way To Go!」について。
日本語訳すると「なんという行き方!」になるこのタイトルがなぜついたか、って話が載ってる。
こういうタイトルの映画があるらしいの。
シャーリー・マクレーン主演で、相手役がディック・ヴァン・ダイク、ポール・ニューマン、ロバート・ミッチャム、ジーン・ケリーにディーン・マーチン。なんという豪華キャストか!って思えるのはある年齢以上の方だと思うけど、私、ディック・ヴァン・ダイク以外は全員わかるから、「おおっ、そりゃすごい」って思っちゃった。
父や母と一緒にBSで昔の映画ばっか見てた経験が、こんなところで役に立つ♪
この映画の話をするマクラとして、「私はどうも、物語を食ってないと生きていられない体質らしい。それで、疲れると古い映画ばっかり見ている」って橋本さんは書く。
「物語を食う」って、わかるなぁ。
それが「古い映画」だってゆーのも、なんとなくわかる。
私はろくに映画を見ない人間だから、「今」と「昔」の作品を比べる資格はないんだけど、BSで親と一緒に見た「古い映画」は好きだったし、『ウエストサイド物語』とか『ショウほど素敵な商売はない』とか『追想』とかはわざわざ映画館まで足を運んでスクリーンで見ている。
昔のすぐれた作品は今見ても十分面白くて、「すぐれた作品は古くならない」のに、なぜ「そのすぐれた作品を生み出した人は古くなるのか?」
と、橋本さんは続ける。
ちょっと、小室哲哉氏を連想したりもしますけど、「なぜか」を知りたい方はこの本を手にとって下さいね(笑)。
で。
「わかるなぁ」なんて上で書いちゃったりしましたが。
もちろん、橋本さんの感じてらっしゃることと、私の感じていることがイコールだという保証はなんにもなく、私が勝手に「自分が言ってほしいこと」を橋本さんの文章の中に見つけているだけかもしれない。
橋本さんの使う「物語」という言葉が、私の考える「物語」と同じものを指しているのかどうかすら、実際にはわからない。
「本を読む」ということ、と題する一章には、「本を読むということは“自分を消す”ことである」というふうに書かれてある。
だって、「本」というのは「他人」が書いたもので、それを読んで理解するということは、「自分とは違う考えの人間の言うことを頭に入れて、理解すること」だから。
「本が読めない」人はだから、「自分が消せない」人ということにもなるのだけど、となると「本が読める」人には「自分がない」という話にもなってしまうのでは?
橋本さんは言う。
「本を読む」ということに慣れてしまった人は、本というものが「本を読む自分の考えを肯定してくれるもの」と思いがちになる――別にそんなことはないのに。(P39)
橋本さんの本を読んでる時は特に、私は「自分の考えを肯定してくれてる」と思ってしまう。きっと、自分の見たいものだけを見ているにすぎないのだろうにね。
他にも「話すことと書くこと」とか、「言文一致体って、そんなにたいしたものか?」とか、「文字は音だと思うけど」といった、あれこれ考えたくなる章がいっぱい。
不条理に対処するための人間の感情は「悔しさ」で、これを持ちこたえることが「我慢」なのだと、私なんかは思っている。(P211)
私は、もしかしたら、人が「悔しさ」を持続させることを放棄しているからではないかと思う。「悔しさ」を支える体力がないから、すぐに折れてしまう。(P212)
……じーんとしてしまった。
この本の、橋本さんの語り口に漂う憂愁のようなもの。それこそは、「悔しさ」からくるものなのかもしれない。
ちなみにこの本のサブタイトルは「What kind of fool am I」。
「私はどんな種類のバカなのか?」 いや、疑問じゃなくて感嘆形だったりする???
私は英語がわからない種類のバカ(笑)。
橋本さんがfoolなら、私なんかbig fool……という言い方じゃないよな、きっと、「大バカ」って。
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